MENU

地方

鎌倉殿の快進撃はここから始まった!千葉県・南房総エリアで頼朝ゆかりの地を巡る旅

鍋田ゆかり

鍋田ゆかり

  • URLをコピーしました!

平安時代末期、平家打倒を目論み挙兵した源頼朝は、石橋山の合戦で敗れ、神奈川県・真鶴から千葉県・南房総エリアへ逃れました。南房総市や館山市周辺には頼朝が上陸したとされる場所や、縁の地名、史跡などが今も伝え残されていて、最近は大河ドラマの影響もあって、はるばる足を運ぶ人も少なくありません。今回は、南房総エリアにある頼朝ゆかりのスポットを、南房総で暮らすローカルライターが紹介します。写真:南房総市白浜町・「頼朝の隠れ岩屋」に祀られた大蛸の海神

目次

源頼朝上陸地は現在の鋸南町(きょなんまち)

千葉県指定史跡源頼朝上陸地

千葉県指定史跡源頼朝上陸地

鎌倉時代の日本の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』によると、源頼朝が上陸した場所は現在の鋸南町竜島(りゅうしま)とされています。「千葉県指定史跡源頼朝上陸地」の看板には、ここから始まった頼朝再起の一歩について記されていました。
房総一の兵力を誇っていた上総広常のもとへ向かうべく、外房の長狭(ながさ/鴨川市)へ進んだ頼朝一行は、九月三日、平家に味方する地元の豪族長狭常伴(ながさつねとも)の襲撃を一戦場(いっせんば)で撃破。ひとまず安西景益の館(南房総市池ノ内)へ入り、各地の豪族へ使者や書状を送り味方を募り、情勢を見極めます。その間、洲﨑神社(すのさきじんじゃ)、丸御厨(まるのみくりや/南房総市丸山)などへ足を運び、十三日、安房を進発して兵力を加えつつ房総を北上、鎌倉へと入りました。
via 源頼朝上陸地看板より
ここには無料の駐車場や公衆トイレ、東屋や堤防があり、釣りを楽しむ人たちがいます。人懐こい猫たちもいるので、猫好きの人は海と猫に癒されるまったりとした時間を過ごすことができそう。天気がよければ、海の向こうに富士山を見ることも。
源頼朝上陸地駐車場にいた猫

源頼朝上陸地駐車場にいた猫

源頼朝上陸地駐車場にいた猫。
源頼朝上陸地所在地:安房郡鋸南町竜島165-1​

源頼朝に馬を差しだした場所「安馬谷(あんばや)」

安馬谷交差点

安馬谷交差点

安馬谷交差点。
南房総市丸山地区に、「安馬谷」という地名があります。安馬谷の地名の由来は、この地区から頼朝に馬を差しだしたため名付けられたといわれています。鞍を置いた馬のことを指す「鞍馬(あんば)」を差し出したことから、元々は「鞍馬谷(あんばや)」と言っていたという説も。
参照:南房総市「安馬谷(あんばや)の地名」

安馬谷にある「八幡神社」では、源頼朝が天下泰平を祈願して流鏑馬(やぶさめ)を行ったことに由来して、流鏑馬の奉納が始まったといわれています。五穀豊穣の祈年祭で9本の矢を射り、作柄を占います。昔は馬上から行っていましたが、矢が見物客に当たる事故が発生し、歩射(ぶしゃ)になったのだとか。

歩射(ぶしゃ)の様子

歩射(ぶしゃ)の様子

歩射(ぶしゃ)の様子。©南房総市
八幡神社所在地:千葉県南房総市安馬谷936​

鳥居のない下立松原神社

鳥居のない下立松原神社

鳥居のない下立松原神社

鳥居のない下立松原神社。
安馬谷から千倉町へ向かうと、鳥居のない「下立松原神社(しもたてまつばらじんじゃ)」があります。なぜ鳥居がないのか。そこには頼朝が関わっていました。
源頼朝(よりとも)が石橋山の合戦に敗れ安房に逃れてきた時、豪族丸五郎の案内で戦勝祈願をしたとされ、その折敗戦の身をはばかり鳥居をさけて脇から入ろうとしたところ、氏子達が鳥居を取り除き招き入れたとされることから、以来鳥居はつくられることなく、鳥居のない神社となりました。
敷地内に設置されている看板「南房総市の昔話」によると、頼朝が戦勝祈願をしたさい、神社の背後にある岡に登って海上から上る朝日を礼拝したことから、この岡は「旭ケ丘(あさひがおか)」と呼ばれるようになったそうです。
経塚

経塚

頼朝に縁のある経塚。
頼朝が奉納した大般若経600巻は、年月とともに破損がひどくなったため石函(せっかん)に納め、そこに経塚が建てられました。

下立松原神社所在地:千葉県南房総市千倉町牧田193
※南房総市白浜町に同名の下立松原神社があるので、ご注意ください 。

房総半島最南端の地で雨宿り

房総半島最南端の地

房総半島最南端の地

房総半島最南端の地。
南房総市白浜町にある「野島崎公園(のじまざきこうえん)」は、白亜の灯台や厳島神社、白浜海岸美術館やハイキングコースを有する公園で、房総半島最南端の地でもあります。
頼朝の隠れ岩屋

頼朝の隠れ岩屋

頼朝の隠れ岩屋。
公園内にある「頼朝の隠れ岩屋」は、頼朝が野島埼に立ち寄って願掛けのために岩に文字を刻んだとき、突然雨が降り出したため岩屋で雨宿りをしたそうです。
伝説の岩屋
西暦二八〇年 伊豆から安房に渡って来た源頼朝公は精力的に動き、この野島埼に立ち寄り矢鏃で大岩に野島山の三文字を刻んだ伝説であるが史実でもあると云われている
この地で武運再興を願掛けている時、突然の時雨に近くの岩屋に身を寄せ雨を凌いだ
この岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称し、この場所に深海に棲む創造の大鮹の海神を祀った海神は海面を鎮め豊漁を授け、そして人々に幸をもたらす事であろう
via 伝説の岩屋看板
野島崎公園には無料の駐車場、公衆トイレ、食堂もあり、房総半島最南端からの夕日スポットとしても知られています。

野島崎公園所在地:千葉県南房総市白浜町白浜地先

春のおでかけは南房総へ。菜の花と一緒に歴史散策も

南房総エリアにはほかにも頼朝が立ち寄ったとされる場所が数多くあり、頼朝伝説が残されています。石橋山の合戦に敗れた頼朝が、どうやって再起を果たしたのか。彼の足取りを辿りながら、春の南房総を巡ってみるのはいかがでしょう?
写真:南房総市、鍋田ゆかり
文:鍋田ゆかり

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね
  • URLをコピーしました!

関連記事