平安時代末期、平家打倒を目論み挙兵した源頼朝は、石橋山の合戦で敗れ、神奈川県・真鶴から千葉県・南房総エリアへ逃れました。南房総市や館山市周辺には頼朝が上陸したとされる場所や、縁の地名、史跡などが今も伝え残されていて、最近は大河ドラマの影響もあって、はるばる足を運ぶ人も少なくありません。今回は、南房総エリアにある頼朝ゆかりのスポットを、南房総で暮らすローカルライターが紹介します。写真:南房総市白浜町・「頼朝の隠れ岩屋」に祀られた大蛸の海神
源頼朝上陸地は現在の鋸南町(きょなんまち)
房総一の兵力を誇っていた上総広常のもとへ向かうべく、外房の長狭(ながさ/鴨川市)へ進んだ頼朝一行は、九月三日、平家に味方する地元の豪族長狭常伴(ながさつねとも)の襲撃を一戦場(いっせんば)で撃破。ひとまず安西景益の館(南房総市池ノ内)へ入り、各地の豪族へ使者や書状を送り味方を募り、情勢を見極めます。その間、洲﨑神社(すのさきじんじゃ)、丸御厨(まるのみくりや/南房総市丸山)などへ足を運び、十三日、安房を進発して兵力を加えつつ房総を北上、鎌倉へと入りました。
源頼朝に馬を差しだした場所「安馬谷(あんばや)」
参照:南房総市「安馬谷(あんばや)の地名」
安馬谷にある「八幡神社」では、源頼朝が天下泰平を祈願して流鏑馬(やぶさめ)を行ったことに由来して、流鏑馬の奉納が始まったといわれています。五穀豊穣の祈年祭で9本の矢を射り、作柄を占います。昔は馬上から行っていましたが、矢が見物客に当たる事故が発生し、歩射(ぶしゃ)になったのだとか。
鳥居のない下立松原神社
源頼朝(よりとも)が石橋山の合戦に敗れ安房に逃れてきた時、豪族丸五郎の案内で戦勝祈願をしたとされ、その折敗戦の身をはばかり鳥居をさけて脇から入ろうとしたところ、氏子達が鳥居を取り除き招き入れたとされることから、以来鳥居はつくられることなく、鳥居のない神社となりました。
下立松原神社所在地:千葉県南房総市千倉町牧田193
※南房総市白浜町に同名の下立松原神社があるので、ご注意ください 。
房総半島最南端の地で雨宿り
伝説の岩屋
西暦二八〇年 伊豆から安房に渡って来た源頼朝公は精力的に動き、この野島埼に立ち寄り矢鏃で大岩に野島山の三文字を刻んだ伝説であるが史実でもあると云われている
この地で武運再興を願掛けている時、突然の時雨に近くの岩屋に身を寄せ雨を凌いだ
この岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称し、この場所に深海に棲む創造の大鮹の海神を祀った海神は海面を鎮め豊漁を授け、そして人々に幸をもたらす事であろう
野島崎公園所在地:千葉県南房総市白浜町白浜地先
春のおでかけは南房総へ。菜の花と一緒に歴史散策も
文:鍋田ゆかり