東北のことを知るきっかけをつくり、東北ファンを増やすための取り組み「Fw:東北 Fan Meeting」(フォワード東北ファンミーティング)では、東北への移住をテーマとしたオンラインイベント「東北暮らし発見塾」を開催しています。2022年度、第一回開催となる7月19日の「気仙沼校」は「“人を中心としたまち”気仙沼に暮らす」というテーマで行われました。
市民と関係人口を大事にしたまちづくり。
移住・定住促進の取り組みとしては、『気仙沼市移住・定住支援センターMINATO』の設置をはじめ、移住へのステップとなるお試し移住プログラムを実施したり、関係人口増に向けワーケーションを推進したりしています。
それに対して菅原市長は、「まさに関係人口がこのまちに増えてきたという実感があります。観光目的ではなく、人に会うために何度も気仙沼に来てくれる人が多いですね」と話しました。
指出はまた、「市長のお話で『まち(まるごと)大学構想』の紹介がありましたが、気仙沼はまち全体が学びの場になっているんですね。“学ぶ”という人間が誇りを持てる行動をまちが守っているところに、気仙沼の寛容性を感じました。若い人はそこに惹かれているのではないでしょうか」と考察。
菅原市長は、「まちの寛容性については、地元出身者としてはなかなか実感できないところですが、気仙沼は日本中の船を受け入れてきた港町であるということが関係していると思います。さらに、東日本大震災後の復興支援活動で多くの人が気仙沼に来てくれたので、より『人を受け入れる』まちになりました。今では、多くの人に来てもらって初めて気仙沼の将来を描くことができます」とコメントしました。
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自分の役割・居場所があるまちで暮らす。
尾形真弓さんも東日本大震災をきっかけに気仙沼を訪れました。2013年、大学卒業を機に市内の唐桑地区へ移住。いったん岡山県に帰郷しましたが、2021年11月に再び唐桑へ。現在は児童館職員として働いています。「まちのことを自分ごととしてとらえられるのが気仙沼の魅力」と話します。
尾形さんの話を受けて指出は、「住むうえでは、『自分がそこにいることが想像できる』ということが大事。尾形さんにとって気仙沼は、住むことを考えるとワクワクする場所なんでしょうね」とコメント。また菅原市長は、「ここは約束しなくても人と会えるまちです。そんな人間関係が心地よいと感じてくれているのではないでしょうか」と笑顔で話します。
最後は皆川太郎さん。山形県出身で、デザイン教育事業を行う一般社団法人『ペンシー』で大学時代にインターンを行いました。いったん仙台市で就職しましたが、2021年2月に気仙沼に移住。現在は地域おこし協力隊隊員として『ペンシー』に加わっています。「気仙沼には温かい人がたくさんいて、個人の“やってみたい”を応援してくれます。自分がアクションを起こすと連鎖的に活動が広がっていくところがおもしろいですね」と話しました。
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最後に指出が 「人がまちをつくるという、菅原市長がおっしゃることを実感できましたね。そんな人たちに会いに、みなさんぜひ気仙沼へ……!」と呼びかけて、無事に閉会。人に会いに気仙沼に行きたくなるような2時間でした。