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連載 | 写真で見る日本

何もないという素晴らしさ|野口里佳×埼玉県さいたま市

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写真だからこそ、伝えられることがある。それぞれの写真家にとって、大切に撮り続けている日本のとある地域を、写真と文章で紹介していく連載です。

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私は埼玉県さいたま市で育ちました。さいたまはこれといった特徴のない、平坦な風景が広がっている地味なところです。私が住んでいた頃は大宮市という名前で、駅前にはデパートあり、いくつかの映画館があり、飲み屋街がありました。東口から西口に行くには薄暗いトンネルを通っていたような気がします。駅まで出ればどこに行くにも便利な所でしたが、私の家は駅まで出るのにバスで30分かかる、「見沼たんぼ」と呼ばれる田畑が広がる地域の近くにありました。そしてそこが私にとって世界の中心でした。どんなに遠くに出かけても、必ず帰ってくる場所でした。

20歳を過ぎて実家を離れ、いろいろな場所に住んできました。アメリカやドイツなど海外の生活も長くなりました。そしていろんな場所から実家のあるさいたまに帰るたび、やっぱり何もない所だなと思うのです。駅前のうどん屋がなくなり、デパートが新しくなり、新都心ができても、私の実家のまわりはほとんど変わりません。もし、私のドイツ人の友達がさいたまに来たなら、きっと世界の果てにきたような気持ちになるに違いないと思います。

ある時、さいたまで初めて行われる芸術祭のポスターのために写真を撮ることになりました。私の育った場所の写真です。それならば、ぜひさいたまに行ってみたいと思うようなドラマチックな写真を撮らなければと、張り切って撮影を始めました。早朝から夕暮れまで、写真になりそうな場所を必死になって探しました。今まで行ったことのなかったさいたま市の観光名所も隈なく歩きました。けれど何もないのです。人に自慢できるようなものが本当に何もないのです。そして最後には、多分これが、この何もないということが私の育ったさいたま市の姿なのだと思い、子どもの頃に自転車でよく行った、実家の近所のなんでもない川をパチリと撮りました。

2020年にコロナウイルスが広がり始めると、展覧会やイベントが次々と中止や延期となり、今住んでいる沖縄県にいる時間が急に長くなりました。沖縄には海も山もあります。観光客のいない沖縄はどこか清々しく、最初の1年は少し贅沢をしているような気持ちで日々を過ごしていました。今こそ沖縄で作品をつくろうと張り切っていました。

2年目になると、どこにも行けない生活がだんだんと息苦しくなってきました。やっぱりどこかに行きたい。知らないところに行ってみたい。知らないところで知らない人と出会ってみたい。今まで旅したきれいな場所を思い出しては、遠くのことばかり考えていました。

そして3年目、思い出すのはあの何もないさいたまの風景です。気がつくとさいたまのことばかり考えています。今までいろいろな美しい所に行ったのに、結局一番行きたい場所は、何もないさいたまなのです。あの何もないさいたまで夢見た世界のなんと広かったことか。なんとキラキラしていたことか。私の夢見る力は、あの何もないさいたまで鍛えられたに違いありません。何もないということはなんと素晴らしいことなのだろうと思いました。

想像力さえあればどこにだって行けるはず。今あらためて、そんな風に思うのです。

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のぐち・りか●埼玉県さいたま市出身。1992年より写真作品の制作を始め、展覧会を中心に作品を発表。現代美術の国際展にも数多く参加している。2002年、第52回芸術選奨文部科学大臣新人賞(美術部門)を受賞。国内での主な個展に「予感」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2001年)、「飛ぶ夢を見た」(原美術館、2004年)、「光は未来に届く」(IZU PHOTO MUSEUM、2011-2012年)、「不思議な力」(東京都写真美術館、2022-2023年)など。作品は東京国立近代美術館、国立国際美術館、グッゲンハイム美術館、ポンピドゥ・センターなどに収蔵されている。
記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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