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震災からの復興を経て、移住者が増えつつある福島県・南相馬市の小高区。「精霊の木」とともにこの地を見守るキーパーソンに町の軌跡を聞く

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2011年の東日本大震災から復興が進み、今では移住者が増えている福島県・南相馬市小高区。この町には、地元の復興のシンボルとなっている「精霊の木」と呼ばれる1本の木があります。ここでは「精霊の木」の名付け親であり、近隣の自治体と共同で地域再生の願いを込めた「光のモニュメント」を開催している須藤栄治さんに、震災を経て、賑わいを取り戻しつつある小高区のこれまでとこれからについてお話をうかがいました(写真:pikapi_san/高岡 弘)。

目次

裏路地の隠れ家から生まれる新たなストーリー

ソトコト 福島県・南相馬市小高区は東日本大震災のあと、2016年7月12日に避難指示が解除され、町の人たちが戻ってくるとともに、テック関連企業の誘致や、もともと機織りをはじめとするものづくりが盛んな地域であったことから若いクリエイターがアトリエを構えるなどで、移住者が増えています。

小高区に隣接するこの原町区で町の人が集う飲食店「インフォ・メッセ だいこんや」を経営し、震災を経て復興に携わり、今日までこの地域を見守り続けてきた須藤栄治さんにお話をうかがいます。さっそくですが、須藤さんのこれまでの経歴について教えていただけますか。

須藤栄治さん(以下、須藤) 私は南相馬市の生まれで、高校を出てから一時的に東京などで働いていたのですが、1995年にこの町に戻ってきて、母の経営していたこの「だいこんや」を手伝うことになりその後、お店を引き継ぐかたちでやっています。

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須藤さんの営む「だいこんや」。バーのような洒落た雰囲気ですが、店を始めたお母さまは家庭の味を大事にし、身近な食材である大根から店を名付けたとのことです。
2011年の3月に東日本大震災と原子力災害があり、一時は会津若松の方へ避難したんですが、翌4月には店を再開させました。ずいぶん早いと思われるかもしれませんが、3月の下旬に避難先でじっとしていられなくて、震災後手付かずだったお店の後片付けをしていたら、近くの病院の看護部長さんが来て「マスター、4月4日に病院再開するからその日の夜に予約お願いね!」って言われて、営業再開となりました(笑)。

ソトコト そこから4月のうちに「つながろう南相馬!」という市民団体を立ち上げられていますよね。

須藤 はい。当時、病院の方だけでなく役所の方などとも話す機会があったのですが、当時は役所にクレームの電話が鳴りやまず、午前9時から午後5時まで電話対応をして、それからようやく仕事に取り掛かれるような状況だったそうです。住民からだけでなく、避難してきた人を受け入れていた避難所からも「南相馬市の市民の方が……」と苦情の電話があったようで、こんなに負の連鎖が続いている状況では何にもつながらないなと危機感をおぼえ、少しでもこの町からプラスのものを発信したいと“ありがとうから始めよう!”をキャッチフレーズに仲間たちと始めたのが「つながろう南相馬!」の取り組みです。

地震と津波、そこに原子力災害が加わって、心が疲弊していましたが、全国から支援をいただいたり、現場の方々ががんばってくれていることに目を向け、それに対してのぼりやポスターを作って「ありがとう」を伝えようというものでした。その年の5月に活動の一環で警察署を訪れたのですが、その際に「(震災以来)初めて住民の方から『ありがとう』と言われました」と言ってもらえたことをおぼえています。

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須藤栄治さん。

「精霊の木」の発見と「光のモニュメント」を開くまで

ソトコト その後も、「南相馬ダイアログ」という未来への対話の場づくりや、子どもの遊ぶ場所作り「みんな共和国」に関わるなど、さまざまな取り組みをされてきた須藤さんですが、2017年からは新たに「光のモニュメント」という催しを開かれています。これはサーチライトの光に鎮魂と再生の願いを込めて光を灯すというもので、第1回の開催時は小高区の「精霊の木」や小高駅、原町区の綿津見神社、高見公園(旧無線塔跡地)、鹿島区の一本松で点灯されました。
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「光のモニュメント」の様子。須藤さんが「精霊の木」と名付けた一本の木が幻想的にライトアップされます。(写真:pikapi_san)
この「光のモニュメント」以来、須藤さんによって名づけられた「精霊の木」は小高区の復興のシンボルの一つとなりました。とても神秘的な景色だと思いますが、須藤さんがこの木を見つけ、「精霊の木」と名付けられた経緯についてお話いただけますか。

須藤 2015年に常磐自動車道が開通し、いわき市の方から高速道路を使って帰ってきたとき、当時はまだ道路沿いの畑などは荒れ果てたままになっていたなかで、すごく綺麗な風景が飛び込んできて、その場所を探して小高を訪れた際に偶然見つけたのがこの一本の木でした。今は牧草地になっているのですが、この木はもともと土地の境界を表すために植えられたもので、小高い丘の上にポツンと佇む姿がとても印象的で、東から西へ隣接している道路を進むと、どんどん木の存在感が増していく感じで、同じ場所にいるはずなのに、「立ち位置」が少し変わるだけでさまざまな姿を見せてくれるんです。

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取材当日の「精霊の木」。この日は珍しく雪が降り、思わず息をのむような独特の雰囲気を醸し出していました。
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穏やかな日の「精霊の木」。木と大地から瑞々しいエネルギーが感じられます(写真:pikapi_san)。
この“見方によってさまざまな姿がある”というのは、当時のこの地域と同じだな、と感じたんです。まだ復興半ばで“震災に見舞われた町”でもあるし、また同時に“復興しつつある町”でもある。“人がいなくなってしまった町”でもあるけれど“人が戻ってきている町”でもある。ちょうど、精霊の木の少し離れた場所には高村光太郎の開拓十年の詩が刻まれた石碑もあり、これから問われる十年を「開拓10年」と重ね合わせて、この木(この場所)から新たな復興のストーリーを描けないかと思いました。「精霊の木」という名前は、視点を変えることで地域再生の姿が見えてくるもの、というイメージがありました。
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「光のモニュメント」では、鎮魂と再生への願いを込めた光が地域の各所から放たれます(写真:pikapi_san)。
ソトコト 2015年のこの「精霊の木」発見から、2017年の「光のモニュメント」につながるわけですね。

須藤 この時期は、復興への関わり方が少し難しいタイミングでした。災害のすぐあとであれば、届いた物資を配るとか泥かきをするとか、個人でもできることがたくさんありました。しかし、時間が経ち被災者の生活再建が進んでくると「想い」で関われる部分はどんどん少なくなり、何かしらの専門性がないと復興に関わることも難しいと感じていました。そんななかで何ができるかと考えたときに思い当たったのが、かつてこの地域のシンボルであった「原町無線塔(磐城無線電信局 原町送信所主塔)」を光で再現できないか、ということでした。原町無線塔は高さ201メートルを誇り、これはかつて世界でもパリのエッフェル塔に続く高さであり、東洋でもっとも高い無線塔でした。

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▲当時の原町無線塔。下に広がる町並みから、塔の巨大さが伝わってきます。
原町無線塔は1921年の開局以来、関東大震災の第一報を世界に送信するなどの働きを見せましたが、無線技術の進歩により1931年に廃局となり、1982年に解体されました。しかし、当時のこの町の住民にとっては忘れられない存在であり、原発事故で避難をした際にもふるさとの思い出として、相馬野馬追(そうまのまおい)とともによく話題にあがりました。たとえば上京していた人が町に帰省した際にはこの塔を見ることで「帰ってきた」ことを強く感じていたと聞きます。
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古くから住んでいる人の家には、無線塔をおさめた写真がよく飾られているそうです。そこからも原町無線塔がこの地域のシンボルであったことがうかがえます。
ソトコト 確かに、これは絶対に忘れられない風景ですね。

須藤 私自身、無線塔をきっかけに地域の歴史や文化をあらためて見つめ直すきっかけができました。先ほどの「精霊の木」であったり、この無線塔であったり、あるいは山津見神社・綿津見神社といった中世の信仰を残す神社仏閣など、この地域には歴史的な要素がたくさん残っています。相馬野馬追(そうまのまおい)のような行事はある程度知られていますが、ほかにも地元のレガシーともいえるものはあり、これをこの地域の文化として少しでも多くの人が自分の言葉で語れるようになれればという想いがありました。古くから住んでいる人にはふるさとを懐かしむとともに誇るべきものとして、新しい世代にはこの町の魅力を知る機会として発信したかった、というのが「光のモニュメント」を始めたきっかけです。

復興が専門化してきていたという話をしましたが、当時の課題として「分断」がありました。震災は地震だけでなく津波であったり原発事故であったり、さまざまな被害を発生させました。さらに、そこから時間がたつと復興の進み方も地域によって、あるいは人によって異なる状況でした。そんななかで「光のモニュメント」を開催するにあたり、「原町無線塔」だけでなく小高区の「精霊の木」や、「鹿島の一本松」など、南相馬市全体を横断するかたちでできたことには意義があったかなと感じています。

そしてもう一つ、視野を広げれば3月11日は直接被災した方以外にとっても特別な日だと思うのです。時間が経った今でも、ずっと想ってくれている人も、関わりたいと思ってくれている人も大勢いると思うので、その寄り添う気持ちや温かい支援への感謝を無線塔の功績に擬えて発信できれば、と。

ソトコト それ以来、活動エリアを広げながら毎年「光のモニュメント」は続けられています。今年はまさに今の時期に開催されています。

「光のモニュメント Episode7 2023」開催概要

日時/場所
◆1月11日(水) 富岡町/地蔵院
◆1月12日(木) 大熊町/大熊町インキュベーションセンター(旧 大野小学校)
◆2月11日(土) 浪江町/震災遺構 浪江町立請戸小学校
◆2月12日(日) 双葉町/相馬妙見宮初發神社
◆2月23日(木・祝) 相馬市岩子地区/文字島前
◆2月26日(日) 南相馬市鹿島区/八沢小学校
◆3月5日(日) 南相馬市小高区/精霊の木と滝平の里
◆3月10日(金) 南相馬市原町区/農家民宿 いちばん星南相馬
◆3月11日(土) 南相馬市原町区/高見公園(原町無線塔跡地)
◆3月12日(日) 飯舘村佐須/山津見神社

「光のモニュメント/sou.sou.hikari」Facebookページ
https://www.facebook.com/sou.sou.hikari/

新旧の住民の連携が大きなストーリーを生み出す

ソトコト ここまで、須藤さんのさまざまな取り組みについてうかがってきました。小高区では2016年7月の避難指示解除以降、緩やかに人口が回復し、また若い移住者も増えてきています。そのなかで、これからの小高区について、須藤さんはどのような希望や課題を見据えていらっしゃいますか。

須藤 先ほども少し触れましたが、小高区をはじめ南相馬市には、さまざまな歴史的な要素があります。そうした、もともと地域にあるものを価値として自分たちが再認識し、その価値を高めていこうとすることが地域にとって必要だと考えています。

その一端を担っているのが、他の地域から移住してくる人たちや、この地域を訪れる人たちです。それまで自分たちにとって当たり前だったものの中に、価値を感じて来てくれるわけですから。

だからこそ重要になるのが“自分たちのふるさとや土地のことを、自分たちで語れるようになること”ではないかと考えています。自分たちが暮らしてきた土地のことを知り、それに愛着を持って「過去の歴史」を「今に続く文化」として語れるようになれば、移住されてきた方だけでなく観光で訪れた方にも魅力を伝えられるはずです。よく“町づくり”という言葉を聞きますが、地域にもともとあったものや受け継がれてきたものへの理解を深めることが、新しく街をつくっていく際にも、その土地らしさを活かすヒントになるはずです。そして、自分の言葉で地域を語れる人たちがいるということは、次の世代を担う子どもたちやこの土地に触れてみたいと考えている人たちにとっても重要なことだと思います。

ソトコト 大いに語る人を通じて、町を好きになってもらう、ということですね。

須藤 そのためにはある種のストーリーが必要になります。「精霊の木」もそうですし、あるいは数々の神社仏閣、桜など、地域の伝統行事である「相馬野馬追(そうまのまおい)」などといったフレーズからは少し離れてもいいと考えています。あえて今までのメインとなるようなキーワードを外すことで、新たな価値を創造し生み出していけたら最高ですね。そして、それは結果的に相馬野馬追をより盛り上げることにもつながっていくと思っています。

この地域は江戸時代に起きた飢饉の時に、加賀から移民を受け入れることで地域再生に取り組んできた歴史があります。「確かな未来は懐かしい過去にある」震災後に学んだ言葉ですが、昔からの住民と新しい移住者の方たちが、この地のさまざまな歴史的な要素とそこから生まれるストーリーを通じて連携することができれば、それが一番いい結果につながるのかなと考えています。

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小高駅前のメインストリートの様子。まちなかには、古くからの住民の家だけでなく、移住してきた方が開いたアトリエやお店などが溶け込み始めています。

南相馬市・小高区の魅力を発信するサイト「おだかる」

観光・就職・起業・移住など、さまざまなテーマで南相馬市・小高区の魅力を発信するサイト「おだかる」。再生に向かう町で”おだかる”な人たちを取り上げた「おだかるぴーぷる」。なにげない1日を大切に生きる「おだかるまいんど」などを紹介しています。

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