「どっちの暮らしがいい?」
よく受ける質問だが、毎回答えが出ない。あまりに多い質問なので、1週間ほど真剣に考え続けた結果、一つの答えが出た。そもそも拠点の優劣を比較していないのだと。
暮らしに「優」と「劣」は付き物。
なお、両方の拠点に、「優」も「劣」もある。内容はまったく異なるが、量はほぼ同じ。
小豆島での「優」は、私の大半の仕事が小豆島のクライアントの案件なので、小豆島にいないとできない仕事が進むこと。そして、家事と育児と介護を、母とバランスよく分担できること。そして、かつての子ども部屋が私の仕事部屋となっており、その部屋で「一人時間」を過ごすことができること。あえて「劣」を述べると、両親や祖父母の老いに寄り添い続ける大変さがあることと、同世代との会話がほぼないことだ。
幡豆での「優」は、同世代と会話ができること。幡豆の家はシェアハウスであるうえに、夫の仕事を手伝う人とも昼夜共にする。さらにオープンな家なので、近所からもいろいろな友人が訪れる。世界観も食事の幅も広がり、刺激になるし、たくさん笑っている。そして、夫婦の時間と親子の時間があることも大切なポイント。こちらもあえて「劣」を述べると、私の仕事ができる時間が少ないことと、一人時間がほぼないこと。みんなとの時間も好きだけれど、ある程度は一人時間も確保したい。
きっと、どこでどのような暮らしをしていても「優」と「劣」があり、暮らし方でその内容は異なる。
「比較」や、「ないものねだり」を、しないほうが幸せ。
大切なのは、異なる優劣を比較したり、「ないものねだり」をしないこと。経験上、やったって解決しないし、やれば自分自身が惨めになり、周りの人も気持ちがよくない。そして「この瞬間」「今日一日」が悲しいものなる。
拠点ごとの「優」と「劣」を移動しながら補っていくという考えもあるが、私はお薦めしない。それは「ないものねだり」をすることと同じで、今いる場所や時間に不満を感じやすくなるからだ。2、3日我慢して完結するならまだしも、「暮らし」は永く続くもの。拠点ごとの「劣」となる不満や問題はその拠点ごとで解決するべきで、持ち出さないのが鉄則。すべての拠点がいい場所になり、毎日が楽しくなる秘訣だ。
暮らしは一人では成り立たない。たとえ一人暮らしであっても。だから「優」と「劣」が出るし、頑張って「劣」を改善しても、何かが変化して再び「劣」が表れてくるものだ。どこにいようと、拠点が何個あろうと、誰といようと、「優」と「劣」に寄り添い続けることが、「暮らし」なのだと、私は深く実感している。
ある日の夫婦
3月末に父方の祖母が他界した。新型コロナウィルス感染拡大防止対策として、同居している家族6人だけで通夜と葬儀などを行った。いろいろな想いが募ったに違いないが、祖母は家時間や一人時間を大切にする人だったので、アットホームなお見送りは向いていたかもしれない。お嫁に行った娘、ましてや孫は大抵同居していないもの。お見送りできたのは、二拠点生活のおかげだと思うと一層感慨深い。