コロナ禍で人気が高まっている首都圏近郊のエリア。都心に通いながら自然の近くで生活できる、東京と地域の両方を味わえる点が魅力のようです。そんなエリアに位置する茨城県龍ケ崎市で暮らすフォトグラファーの梶山泰央さんは、移住したからこそ、本当にやりたかったことに挑戦できたのだとか。移住先で挑戦を続ける想いについて、梶山さんに聞きました。
子育てと挑戦を両立できる暮らしを求め、たどり着いた龍ケ崎市。
もともと住んでいたのは、東京23区内。夫妻ともに東京で仕事をしていたが、子どもが生まれた頃から「のびのびと子育てしたい」と考えるように。本格的に移住を検討し始めたのは、2011年。東日本大震災のボランティア活動を行い、被災地の光景を目にしたことがきっかけだった。
被災地で日常が奪われる苦しみや痛みを目の当たりにした梶山さんは「もっと人の役に立てるようになりたい」と思うようになった。その一歩目として、挑戦しやすく、住みよい環境へ移り住むことを決めた。
梶山さん夫妻は、関西や北陸をはじめとする複数の候補地に足を運んだ。しかし2人とも「ここがいい!」とぴったり気持ちが重なる場所は、なかなか見つからなかった。そんなとき、梶山さんの友人が「一応見てみたら?」と声をかけてくれた場所が、龍ケ崎市だった。
夕陽に照らされる龍ケ崎市の自然が、夫妻の決意を後押し。
当時はまだ空き地。しかし梶山さんは、夕陽に照らされて金色に輝く空き地を眺めたとき、「ここなら挑戦できるかもしれない」と直感した。「自然が身近で、子育てするには最高かも」とも。帰り道、妻ののぞみさんに思いを話してみると、初めて夫妻の意見が一致。まさに「龍ケ崎に呼ばれた」感覚を味わった。
龍ケ崎市で暮らし、挑戦する理由。
「思い返すと、いい写真を撮れたときには友人やその家族も喜んでくれました。そんなふうに一枚の写真をきっかけに笑顔が連鎖していったときにはじめて大きな幸せにつながるのかもしれない、写真は人を幸せにするチカラを持っているのだと感じることができたんです。だから僕が撮った写真で人が笑顔になってくれるのであれば、それが自分の人助けだと思えました」
写真を撮ることで人の役に立てることに気づいた梶山さんは、写真を仕事にすることを決めた。
屋号を「SMILE CAMERA」にした理由は、「笑顔につながる一枚を届けたいから」。一枚の写真から一人が笑顔になり、その笑顔が連鎖して大きな幸せにつながっていく。梶山さんが見つけた、自分の「人助け」への思いが込められている。
地域との関係を育んできた8年間。いい種をまけば、いい花が咲く龍ケ崎のまち。
オープン直後は特に、フォトスタジオの存在を知ってもらうことに苦戦した。当時スタジオに来てくれたお客さんの言葉を、今でも鮮明に覚えている。
「本当にいいものは、知ってもらえるまでに時間がかかる。今はまだ新しい土地に来て種まきをしているのだから、焦らずに梶山さんが大切にしていることを続けていけば、きっと写真をとおしてやろうとしていることが、龍ケ崎に住んでいる方々にも伝わっていくはずだよ」。
移住で叶えた「人の役に立つ」という目標、手にしたたくさんの支え。
「誰かの役に立ちたい、と思ってフォトスタジオを始めましたが、気づいたらお客様に支えてもらっている場面のほうが多くて。龍ケ崎に来て、写真の仕事がつなげてくれたご縁です。この仕事を選んでよかった、と心から思うんです」。
常に全力投球で仕事に向き合う梶山さんにとって、龍ケ崎市でのびのびと暮らす家族の姿を見ることが息抜きになっている。
「妻にとっては、故郷と龍ケ崎の雰囲気が似ているようで、穏やかに過ごしています。娘も自由気ままに過ごしていて、家族でよく公園に遊びに行くんです。龍ケ崎に移住してから空の広さに驚きましたし、自然ってこんなにいいんだな、と思うようになりました」。
編集・写真:小松崎拓郎
◆龍ケ崎市移住・定住サイト「龍ケ崎で暮らす」
HP:http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kurashi/emigration/index.html
facebook:https://www.facebook.com/ryugasaki.city