物や情報が簡単に手に入りやすくなった今、便利になっているはずなのに心が満たされず、どこか物足りなさを感じている人が多いように感じます。モノ消費からコト消費へと変わって行く中で、どんな体験をするかによって人生の豊かさや経験値が大きく変わっていくのではないでしょうか。
今回は、プロサッカー選手を引退した後、スポーツチームのWEBコンサルティングを経て、バスケットボールチームの広報やファンマーケティングを行っている、プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社/新潟アルビレックスBB広報・ファンマーケティング担当の鳥谷部梢(とりやべ こずえ)さんとの対談記事をお届けします。
「身近な人に負けたくない」負けず嫌いな性格から始まったサッカー人生
鳥谷部 大学を卒業後、なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)と地域リーグで4年間プレーしました。現役を引退後、別の業界で新しいことに挑戦しようと思い、一般企業やスポーツチームのWEBコンサルティング・マーケティング業を経験し、現在は新潟アルビレックスBB(プロバスケットボールチーム)で広報・ファンマーケティングを行っています。
中屋 プロサッカー選手になるまで、どのようなプロセスを歩んできたのかが興味深いです。サッカーを始めたきっかけは何でしたか?
鳥谷部 子供の頃から体を動かすことが好きで、自然と男の子たちと遊ぶ機会が多く、鬼ごっこやサッカーをしていました。負けず嫌いなこともあり、サッカーが全然出来なかったのが悔しくて。上手くなりたいと思い、小学校の部活で男の子の中に混ざってサッカーを始めたことが最初のきっかけだったと思います。
中屋 苦手だと思ったら別のものに挑戦することが多いと思いますが、立ち向かったのですね。負けず嫌いな性格には、いつ頃気付いたのですか?
鳥谷部 小学校の頃から、マラソン大会やスポーツ大会で負けると泣いていたと思います。「身近な人に負けたくない」という想いが私はとても強かったんです。中学時代は自分が輝けるポジション、絶対に負けないポイントを探してサッカーをしていました。高校で女子サッカー部に入った際も、「自主練は絶対に最後まで残る」と自分ルールを作って周りに負けないよう取り組んでいました。
中屋 置かれた環境の中で、絶対に勝つための方法を常に考えて生きてきたという感じですね。
鳥谷部 自分がどこで一番になれるのかをよく考えていたと思います。私にとって絶対に負けたくなかったことは長距離走で、高校3年間を通してずっと1番でした。当時の高校の先輩に久々にお会いしたときに「サッカーは上手くはなかったけれど、誰にも負けないポイントに注力して努力するところはすごいと思った」と言ってもらえたので、周りからも負けず嫌いなところは認められていたのだと思います。
怪我に悩まされることが多かった現役時代の苦悩と葛藤
鳥谷部 自分のプレーが思うようにできなくて、悔しい気持ちをたくさん抱えていました。1年目は三重県のチームにいたのですが、怪我ばかりで試合にも出られていなかったです。「何でチームに貢献できているの?」とチームメイトに言われることもあり、プロは厳しい世界だと実感して他チームへの移籍も考えました。
中屋 サッカーやバスケなどの球技はチームの移籍が多いと思います。どのような出来事があって移籍を決めたのですか?
鳥谷部 私は大学を卒業してから三重、埼玉、熊本、3つのチームでプレーしましたが、 1つ目のチームを変えた理由としては戦力外通告を受けたからです。クビではないものの、「来年の試合の構想には入っていない」 と言われたことがきっかけで、別のチームへ移籍することを考えました。2つ目のチームに行ったときも怪我が良くならず、ほとんどリハビリをしていたのでプレーをした記憶があまりないです。そこでサッカー選手としての自信を失ってしまい、辞めようと思っていました。
そんなとき、「怪我の状態も知っているけれど、ポジション的に選手がいないから期限付きの移籍でチームに来てくれないか」という話をもらって。プレーが出来る自信がなく、話を受けていいのかとても悩みました。ですが、選手としてラストチャンスのような想いと、自分がどこまでできるのかを試したかったこともあり、移籍を決意しました。
鳥谷部 三重と埼玉は1部のリーグですが、熊本は地域リーグだったので、さまざまな面でギャップを感じました。「サッカーをやるならトップでやりたい」と思っていたものの、体が思うように動かず、実力的にもトップレベルにはいけないことがわかったので、引退を決断しました。
サッカー人生に終止符。これまでと異なる業界でセカンドキャリアを歩む
鳥谷部 これまでサッカー漬けの人生だったので、この先をどう考えていけばいいのかもわからなくて……。ただ、運が良いことに、体育会系の就職支援を行うエージェントさんと繋がりがあったので、その方に相談をしながら転職活動をしていました。サッカー選手としての経歴自体は、「すごい!」と言われることもあったのですが、思ったようなプレーができずに挫折や劣等感を抱えていたので、転職活動中は自分に自信を持てず……。いくつか企業の選考を受けたのですが、自分には合わないと思い「転職活動を辞めたいです」とお話ししていたんです。
すると、「面白い人がいるから、1回相談してみない?」と今の会社の代表を紹介されました。代表もバスケットボールで海外にチャレンジされた経験があり、私と同じような境遇や劣等感を抱えていたそうなんです。さまざまなキャリアを経て今の会社を作り、B. LEAGUE(国内男子プロバスケットボールリーグ)決勝戦のプロモーションに関わることができたとき「自分を解放できた感覚があった」と話していて。私も代表のように別の関わり方ができたら、今よりは楽になれるし、「サッカー選手をやっていて良かった」と思えるかもしれないと前向きな気持ちになれたんです。そのあと代表から「うちで働いてみないか?」とお誘いを受けたので入社を決意しました。
中屋 僕も業界は違いますが近しい境遇を抱えていたので共感できます。今はWEBコンサルティング業や広報・ファンマーケティング業など、スポーツチームの舞台裏を支えるお仕事に就いていると思いますが、プロサッカー選手時代とは仕事場で飛び交う言葉も異なると思います。違う環境に足を踏み入れたときはどんな気持ちでしたか?
鳥谷部 「私は何をしているのだろう……」と最初は思っていました(笑)。当初は、勉強のため上司の打ち合わせに同席させてもらっていたのですが、横文字が多くて理解が追いつかず寝そうになっていて「お客さんの前で寝るな」とよく怒られていましたし……。
中屋 今まで自分が生きてきた世界とリンクしないですもんね。自分の成長を感じるまで、どのくらいの期間がかかりましたか?
鳥谷部 今でもまだ「成長できている」と自信を持っては言えませんが、うちの会社の場合、その人がどれだけ成長したかを評価してくれる制度があって。初めて良い評価をもらうまでに3年はかかりました。
中屋 どんなに苦手な業界でも、3年いると見えてくる世界は異なると思っていて。3年未満では見えない世界がありますよね。
鳥谷部 みなさんの3年と私の3年は大きく異なると思います。26歳で社会人1年目だったのですが、その年齢になると自分というものが形成され始めますよね。メールを打つのに1時間もかかる、相手が何を言っているのかもわからない。課題は多くありましたが、プライドが邪魔をして、指摘されたことを素直に受け入れることができませんでした。上司に「何でわからないの?」と言われても、何でわからないのかがわからなくて……。「何でも教えてもらえると思わないほうがいい」と言われたときに、「何でそんな風に言うんですか」と言い返したこともありましたね。
中屋 僕が鳥谷部さんの上司だったら、育て上げられた自信がないです(笑)。
鳥谷部 私も自分と同じ境遇の人が入ってきたときに指導するのは、無理かもしれません(笑)。根気強く向き合ってくれた上司、仲間には本当に感謝しています。
新潟に拠点を移して感じる「地域×スポーツ」で広がる可能性
鳥谷部 「会社としては行ってほしいけれど、鳥谷部の気持ちは考慮したいから、行くかどうかは自分で決めていいよ」と代表からは言われていました。ですが、新潟に行った方が成長できるし、知らないことを知りたい気持ちが強くて。
東京で仕事をしていたときは、自分自身の成長が停滞していると感じていました。どうすれば打開できるだろうかと方法は考えていましたが、26歳で社会人になっているので周りと比べてあまり時間も無くて。自分が成長できて停滞から抜け出せる方法は、環境を変えることやクラブチームの現状を知ることだと思ったので、新潟へ行くことを決めました。
中屋 鳥谷部さん自身もサッカー選手として地域でプレーをしてきた中で、アスリートから見て地域に住む皆さんはどのように映っていますか?
鳥谷部 都会のチームにいたことがないという前提でお話させていただくと、アスリートだからかもしれませんが、みなさんとても優しく接してくれます。飲食店を営んでいる方は、「食べにおいで」と言ってくださったり、「正座をすると足が疲れるだろうから」と足をちゃんと伸ばせる座席に案内してくれたりします。アスリートであることを尊重してくれつつ、サポートをしてくれる方がとても多いなと。
鳥谷部 新潟アルビレックスのグループ全体がとても歴史があるクラブですので、他の地域と比べると、スポーツを応援する土壌がすでに出来上がっているのではないかと思っています。歴史があるがゆえに皆さん熱い想いを持っているので、いろいろなご意見もいただきます。
中屋 長くやっているからこそ、地域の人たちから率直な意見がたくさん出て、より仕組みが改善されていくということですよね。
鳥谷部 地域の人からいただく意見が私や選手の活力になっているのではないかというくらい、温かい応援メッセージをいただくこともありますし、スポーツを観る土壌が新潟にはあるのではないかと感じています。
中屋 鳥谷部さんの中で、「地域×スポーツ」は今後どのような可能性が広がると思いますか?
鳥谷部 生活の一部になれるのではないかと思っています。都会はエンタメが多く休日の過ごし方の選択肢が多い一方で、地方に行くと、商業施設などが少なくなるなど休日の過ごし方も限られてきますよね。だからこそ、スポーツを楽しむ文化が根付きやすいと思いますし、「スポーツ観戦が生き甲斐」というような方を増やせる可能性を大いに秘めているのではないかと、新潟に来てとても感じます。
自分の経験を還元しながらスポーツ選手のキャリアをサポートしていきたい
鳥谷部 一つでも多くスポーツビジネスの事例を作っていきたいです。短期的なものではなく、スポーツチームやスポーツ業界が稼げる仕組みづくりができると、いま私が行っていることの結果に繋がりやすいのではないかと思っています。私も選手だったので、「選手時代にどうキャリアをつくっていくか」にも興味が湧いてきました。B. LEAGUEも立ち上がって5年目ですが、これから先はセカンドキャリア問題がバスケット業界内でも問われると思います。自分の今までの経験を現役選手たちに何か還元できないだろうか、ということも自然と考えるようになってきました。
中屋 マネジメントやセカンドキャリアの形成が上手くいき、アスリートが安心して現役時代を過ごせる仕組みができると素敵ですよね。女性ならではの視点や女子サッカーで考えたときには、鳥谷部さんが第一人者になっていくのではないかという期待を感じました。
鳥谷部 そういっていただきありがとうございます。戦略的に考えることは苦手ですが、自分の素直な気持ちに従っていれば、進むべき方向が自然と見えてくるような感覚もあります。
鳥谷部 私はサッカー以外の場面で自分の意見を持っていなかったので、サッカーを辞めたときに、自分がどう生きていきたいのかもわからなかったんです。 社会人になっていろいろな人と話す中で、「私はこれが好きなんだ。好きと言っていいんだ」という、自己形成ができてきたのですが、自分のことを理解するためにすぐにできることとして発信することが大事なのかなと思っています。
いま広報をしているので、発信の大切さにも気付かされていて、スポーツ選手が発信することは大きな影響力を持つことも実感しています。スポーツ選手が地域の魅力を伝えることによって、「自分たちの住んでいる場所は素晴らしいんだ」と地域の人たちが自信を持つきっかけを作れたら素敵だなと思いますね。
体験には何があった?
今まで歩んできた世界と違う環境に葛藤を感じながらも、持ち前の負けず嫌いさで自分の成長と貪欲に向き合っていく姿勢。決して現状に満足せず、アスリートの経験を活かして奮闘する姿はたくさんの人に勇気を与えることができるのだと思います。
自分のセカンドキャリアの経験を糧にして、現役の選手や未来のアスリートが生きやすい社会を作るために道を切り拓いていく、火付け役のような存在になるのではないかと感じることができました。
プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社HP
鳥谷部さんのInstagram
文・木村紗奈江
【体験を開発する会社】
dot button company株式会社
プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社/新潟アルビレックスBB 広報・ファンマーケティング 鳥谷部 梢
9歳からサッカーを始め、日本体育大学卒業後なでしこリーグ1部、地域リーグも含め4年間選手としてプレー。高校から地元の青森を離れ、現役最後は九州でプレーなど全国各地のチームに在籍。引退後、株式会社プラスクラスに入社し、業種問わず幅広く企業のウェブコンサルティング業務に従事。2019年12月からプラスクラス・スポーツ・インキュべーション株式会社にてスポーツチームのデジタルマーケティング支援を担当。2020年10月に、プロバスケットボールBリーグ1部所属の新潟アルビレックスBBに出向。広報兼ファンマーケティング部署に所属しマーケティング全般の業務に関わる。また、デジタル領域の活用や社内IT活用のサポートも実施。