人類に一番近い動物、チンパンジー。彼らを見つめ続け、道具を使うことや作ることをはじめ、数々の歴史的発見を行ってきたのが、2017年のコスモス国際賞を受賞したジェーン・グドール博士だ。現在、博士は年間約300日にもわたって世界中を飛び回り、日々、講演活動を行っている。動物と自然と人が、共生できる社会づくりのために。
ターザンへの憧れから、野生動物研究へ。
1960年に、タンザニアのゴンベで野生のチンパンジーの調査研究を開始したジェーン・グドール博士。当時、世界には推定100万〜200万頭のチンパンジーが生息していたといわれているが、現在は約25万頭にまで減少。絶滅が危惧されている。こうした危機を知ったグドール博士は、あえて調査の現場を離れ、実に30年以上にわたって、野生動物と地球環境を保護するべく、世界中で精力的に講演などの活動を続けてきた。野生動物と人とが共に生きていくために、私たちはどうすればいいのか。博士に話を聞いた。
ソトコト(以下S) そもそも博士を研究に駆り立てた原点とは?
ジェーン・グドール(以下グドール) 私は小さな頃から動物が大好きでした。私はロンドンの都市部で育ったのですが、ミミズをベッドに持ち込んで、「足のない動物はどう動くんだろう」と観察したり、庭の木に棲むリスの行動を1分ごとにノートにメモして過ごしたり。そんな私の情熱を母も支えてくれて、動物に関する本もたくさん与えてくれました。
S 野生動物に特別な興味をお持ちだったんですね。
グドール 10歳の時に『ターザン』の本を読み、私はアフリカで暮らすターザンに恋をしました。残念ながら、ターザンは私とは別のジェーンさんと結婚してしまいましたが(笑)、あの時から私の夢が始まったのです。大人になったらアフリカに渡り、野生動物と一緒に暮らし、本を書くんだと。
S 10歳で抱いた夢が、その後「動物も道具を使う」「動物にも個性がある」といった世界的な発見につながっていったわけですが、博士がそうした素晴らしい成果を挙げられた要因は、なんだったのでしょうか。
グドール 一言で申しますと、チンパンジーたちが私の目の前でいろいろなことをやってくれたおかげです。私は彼ら一頭一頭に名前を付けて観察し、彼らが私を受け入れ、何か行動するまで待ちました。その結果、私が“デイビット”と呼んでいた灰色のチンパンジーが、木の枝をアリ塚に差し込みシロアリを釣り上げる姿や、枝から葉っぱをむしって道具を製作するのを目に当たりにし、それをつぶさにメモして報告しただけ。それが真実です。
S 子どもの頃と同じように、チンパンジーについても身近で観察し続けたわけですね。
グドール 実はその後、博士号取得のために入ったケンブリッジ大学では、私の調査手法はすべて間違いだと批判されました。「野生動物に心や個性は存在しない。個体ごとに番号を付けて客観的に観察すべし」と。たしかに、大学教授や専門家は素晴らしい知識をお持ちであるかもしれませんが、時には彼らも間違いを犯すものだと、私の子ども時代の“先生”は教えてくれていました。その先生とは、私が飼っていた愛犬です。あらゆる動物が、感情や個性を持ち合わせていることを、私は犬から学んでいたのです。
母の献身的なサポートが、今の私を生んだ。
S 幼少期からの動物たちとの触れ合いが、グドール博士の調査活動を支える原動力になったと。
グドール 支えという点では、母の存在も大きかったと思います。チンパンジーの社会では、50年以上にわたって母子の絆が続き、母親に献身的にサポートされた子チンパンジーはヒエラルキーの上位になりやすいことが判明しています。私自身も、今こうしていられるのはすべて母親のサポートのおかげです。
S グドール博士のお母さんは、どのようなサポートを?
グドール 私の「アフリカに行きたい」という夢を人々は笑いましたが、母は心から応援してくれました。それに当時はまだタンザニアは大英帝国の一部だったのですが、私ひとりで渡航することは許されず、随行者が必須でした。そこで4か月間、母がついてきてくれたのです。
S 博士の研究のそばに、お母さんもいらっしゃったんですか。
グドール はい、それに母の兄弟が外科医だったものですから、彼女は基本的な医療知識を身につけていました。そこで渡航の際に、アスピリンなどの簡単な薬や包帯などを持参し、私のサポートに加えて、地元住民のために湖岸沿いで小さな診療所を開設しました。おかげで、地域の方々といい関係を築くことができて、私たちの調査活動はもちろん、その後立ち上げたプログラムの進行にも大きな意味を持ちました。
S どんなプログラムですか?
グドール 80年代中盤、私はチンパンジーの個体数や生息地の森林面積が急速に減少していることに危機感を感じていました。そして原因究明を行う中で、地域の人々が大変な貧困状態にあると分かった。この人たちの生活改善をサポートしなければ、そこに生息するチンパンジーを保護することはできない。そう考え、94年にジェーン・グドール・インスティテュート(以下JGI)で「タカリ(TAKARE)」というプログラムを立ち上げたのです。
S 野生のチンパンジーを守るために、まず地域の人々の暮らしを守ろうと。
グドール そうです。チンパンジーの生息地周辺に暮らす人々に、私たちの研究のパートナーになっていただくことで、地域住人の生活を全体的に改善しようと。このプログラムは私の調査研究の拠点があるゴンベからスタートし、55の村へと拡大していったのですが、厚顔な白人が、物知り顔で「こういうプログラムを始めるから……」と説得したわけではありません。ゴンベの方々が私たちのサポーターになってくれて、各村に行き参加を促してくれたのです。
S お母さんのサポートが、地域の暮らしを向上させる取り組みの土台にもなったわけですね。
グドール 当時は、ゴンベ周辺を飛行機から見ますと森林伐採がひどく進み、チンパンジーの生息地は減少する一方でした。それが現在は森が少しずつ再生し、肥沃な土地が戻ってきています。それに地元住民も森林の重要性を理解して、誇りを持つようになった。これは本当に喜ばしいことです。
共生社会の可能性を育む、「ルーツ&シューツ」。
S 道具を使うことや母子の絆などチンパンジーと人間との類似点の多さには驚かされますが、逆に大きく異なる部分はなんだとお考えですか?
グドール 一番の違いは、人間の知性が爆発的に進歩してしまった点ではないでしょうか。今や人やチンパンジーの全ゲノム解析ができるようにまでなり、素晴らしい科学的功績がいくつも生まれています。その一方で、高度な知性を持つはずの人間が地球を破壊し続け、地球上の資源が無限にあるかのような生き方をしている。これは本当に意味が分かりません。
S 「自然と人間との共生」への意識は高まりつつありますが、たしかに自然破壊は続いています。
グドール 次世代、次々世代、曾孫の世代まで考えると、あまりいい見通しとは言えません。こうした社会問題や将来に対して、世界中の若者たちも希望が持てず、落ち込んだり、怒りを感じたり、無関心になってしまうケースが増えています。ですが、彼らの考えや行動が変化するためのサポートができれば、大きな希望を見出すことができるはず。そこで今、私がもっとも情熱を注いでいるのが、JGIが行っている「ルーツ&シューツ」というプログラムです。
S ルーツ(根)とシューツ(新芽)という意味ですね。どのような活動なのでしょうか?
グドール これは日本を含めた世界100か国以上、約15万グループの若者が取り組んでいるプログラムです。メンバーは幼稚園児から大学生まですべての年齢層が含まれます。参加した団体は、自分たちの周りの世界をよりよくするために、「人助けをするもの」「動物を助けるもの」「環境を守るもの」というテーマから一つ、もしくはすべてを網羅するプロジェクトを自分たちで考え、実行します。
S どのようなプロジェクトが行われているのでしょうか?
グドール 野良犬の保護活動に取り組む台湾のグループもあれば、海辺の生物のために海岸の清掃を行う西インド諸島のグループもあります。日本には、使用後の割りばしを集めて製紙会社に送っているグループもありますね。ただし、「ルーツ&シューツ」に決まった形はありません。両親に対して「象牙製品を買わないで」と語るだけでも立派な活動です。
S 大切なのは、子どもたちが自分で考え、行動を起こすことなんですね。
グドール このプログラムに参加することで、「世界のいろいろな国で同じ問題意識を共有する子どもがいて、みんなとリンクできたことで力を得た気がする」と語ってくれた子どもたちがいます。小さな活動でも、それを何万ものグループが取り組めば、あるいは学校全体で毎日続けたら、違いはみるみる表れるはずです。日本でももっと「ルーツ&シューツ」が広がっていけば、これ以上嬉しいことはありません。