広島県にある瀬戸内の離島・大崎上島に、昨年7月、『大崎上島町観光案内所』がオープンした。それから1年。この観光案内所を訪ねてきた島外者が、この半年ほどで10人も島に移住した。人と人、人と島をつなぎ、島がもつ可能性まで感じさせてしまう観光案内所とは?
「関わり」を生むスタッフも、全員が移住者。
広島県にある大崎上島は、瀬戸内海のほぼ中央に位置する島だ。島がそのまま大崎上島町であり、人口は約7800人。造船業で栄えた島で、本土と島を結ぶ橋はなく、本土側の竹原市の港からフェリーで約30分。温暖な気候に恵まれ、柑橘類の栽培も盛ん。2019年には、世界中で活躍できるリーダー育成を目的とした県立の中高一貫教育校が新設される。
この大崎上島に昨年7月、町が設立し、民間に運営を委託する形で『大崎上島町観光案内所』がオープンした。スタッフは現在5人。ここでちょっとすごい現象が起きている。この案内所に来たり、スタッフと出会った訪問者が、この半年ほどで10人も島へ移住したという。「観光案内」だけではなく、この人は! と思う相手には、島とのつながりをつくり、島の可能性まで感じさせてしまう案内所なのだ。実はスタッフも全員が移住者。話を聞いてみた。
ソトコト(以下S) まず、みなさんが観光協会のスタッフになった経緯は?
南 和希(以下南) もともと、国内のいろいろな場所で働いていました。僕はご縁や関わりから、「やってみない?」と誘われたことに可能性ややりがいを見出すタイプ。「こうすればもっとよくなるんじゃないか」とアイデアを出したり、さらに人を巻き込んでコミュニティをつくるなど、どこでも自分なりの関わり方を見つけようとするためか、ありがたいことに「一緒に仕事をしよう」と言ってもらえることが多いのです。大崎上島には友人とのつながりで何度か訪れ、昨年初めから島の老舗温泉旅館『清風館』で働いたのですが、その社長に、「今度、島で観光案内所を立ち上げるんだけど、やってみないか」と声をかけてもらいました。
西本みなみ(以下西本) 私は美大で織物について学び、もっと布について知りたくてアジアの国々を回りました。その後「食」にも興味が湧き、島にある『岡本醤油』さんの、昔ながらの天然醸造でつくる醤油を知りました。蔵を見学したのを機に「この島に住むのもいいかも」と、3年前に移住。昨年、当時の仕事が一区切りついたときに、友人経由で知り合った南さんに「観光案内所を開くから手伝って」と誘われました。
太田智之(以下太田) 僕は現代美術を学んだ後、いろいろなバイトをしながら絵を描いていました。兄の知り合いを訪ねて島に来て、昨年初めに島のギャラリーで絵を描かせてもらったことが最初にできた関わりです。その後、案内所のオープン直前に南さんから電話がきて、「建物の壁に絵を描く観光案内所スタッフにならないか」と。流れに身をまかせるのもおもしろいと思って移住しました。10人のうちの1人は僕です(笑)。
有田麻実(以下有田) 私は結婚して、夫の地元であるこの島に移住しました。島のSNSで観光案内所がスタッフを募集していることを知り、応募しました。
内外の人にとって、価値のある交流をつくり出したい。
S みなさん、「大崎上島に住みたい」と強く希望したのではなく、偶然できた関わりやご縁で住み始めたんですね。
南 つながりやご縁がきっかけになったのはそのとおりです。でも、僕たちも、僕たちが関わって移住した人も、この島でなら自分がやりたいことができそうだと感じたり、島のエネルギーに惹かれた、ということが決め手になっています。例えば、「『農』のある暮らしがしたい」と福岡県から来たあるカップルは、ほかの島で家探しをしていて、大崎上島にはその帰りがけに寄っただけでした。僕はピンときて、すぐにそのカップルに合いそうな農家さんを数人紹介しました。そうしたら話が盛り上がり、トントン拍子に移住まで話が進みました。そのカップルも農家さんの話を聞き、可能性を感じたのだと思います。一方で僕たちも出会う人、誰にでも移住を勧めるわけではありません。この人は! と思う人に一生懸命になります。
S 観光案内所にはカフェや物産品売り場もありますが、島の人も来ますか?
西本 来てくれます。カフェメニューも、船が出る前などちょっと時間ができたときに立ち寄ってもらいやすい価格設定にして、島の人を呼び込めるようにしました。寄り合い所みたいにおばあちゃんたち
がお茶を飲んでいるところに観光客も来て、つながったらいいな、と。運営しているのは自分たちでも、島の人がいて初めて完成する場です。「勝手にコンシェルジュ機能」と呼んでいますが(笑)、今では島の人が観光客に島のおすすめポイントをどんどん紹介してくれます。日帰りのつもりだったのに、地元の方と話が盛り上がってしまって宿を予約することになった観光客もいました。
南 造船と農業の島だった大崎上島は、観光地や文化の発信地としては今までほとんど認識されていませんでした。瀬戸内地方最大の空港である広島空港から1時間弱の距離であったり、島としてはスケールが大きかったりと、「素材」は抜群なのですが、善くも悪くも「まだ何もない」。そういうところにできる観光案内所ですから、既存の役割だけをこなしているのでは観光客にも地元の人にも意味がない。外から来た人が「島の深いところにまで触れられた」と感じられて、島の人も島の価値を再認識できる「内外の交流」を、偶然に頼らずプロデュースできる場にしたいと考えたんです。
太田 案内所は、インテリアという意味でも、島の生活を再定義したような場所です。予算がなく、最初は粗大ごみを拾ってきては室内の装飾や家具などに使えるようしていたんですが、僕たちが案内所をどういう場所にしたいのかが島の人に伝わるようになってから、「これを使って」と、家にあるものを持ってきてくれるようになりました。庭で育てた花を活けに来てくれる方もいます。
大崎上島にあふれるエネルギーを受け取ってほしい。
S そうやって生まれた交流の終着点のひとつが、移住なのですね。
南 はい。でも実は、最終的に移住する、しないは、それほど気にしていません。交流の結果、移住や観光などの枠に関係なく、この島で「何かができそうだ」と感じて、一緒に関わっていける「仲間」を増やせたらいいと思っています。
S 今後、島はどんなふうに変わっていくと思いますか。
南 よく「島をどうしたいの?」「何がしたいの?」と聞かれることがありますが、あえて目標を定めたり、未来像を考えたりはしないでいます。方向性だけ決めて、あとはどこに行き着くのかわからないというやり方のほうが、時代や人の変化にも柔軟に対応できると思うんです。昔からの住民にも新しく移住してきた人にも、それぞれの方法で自分の生き方や島との関わり方を大事にしながら暮らそうとしている人がいて、それが全体として人を惹きつけるエネルギーにもなっています。未来を規定せず、どんな生き方や関わり方でも上手にディレクションしていけば、島全体として大きなムーブメントをつくることができそうな予感があります。
S なんだかわくわくします。
南 さらに、そのエネルギーを外に向けて積極的に発信していくことも、仲間を増やすうえでは不可欠だと感じています。東京などで行う移住促進イベントで、六次産業化で島のブランド化を目指す移住者女性に、仕事のやりがいや島への思いを伝えてもらおうとしています。大崎上島にあふれるエネルギーを受け取り、そこに一枚噛みたいと思ってもらいたい。そして島に来て、新たな縁をつくってもらえれば。
S これから忙しくなりそうですね。
南 今も毎日、動き回っています。どこで何がつながって、どんなふうに芽吹くかわかりません。最近は隙あらば人に会って自分たちがやっていることを話したり、イベント出展の企画を練ったり、他地域の人と協力して何かしようと調整したりしていますね。とにかくネットワークを広げようと。
有田 私は週末担当ですが、曜日に関係なく南さんはいつもどこかに出ていっているイメージがあります(笑)。
南 今まで直感とフットワークの軽さで動いてきましたが、やってきたことは間違ってはいなかったんだろうなと、最近、自分でも少しずつ評価できるようになりました。でも、今あるのは結果ではなく、あくまでも過程。プレイヤーも関係者も増えてできることは多くなってきましたが、やりたいことはたくさんあります。大崎上島は今、人がつながること、そこから何かが生まれること、今まであったものの規模がさらに大きくなることなどが加速していて、とてもおもしろい時期にあると思います。