「なんか心地よい」。この感覚を大切にしたい。手描きを通して、身体が覚える。
手描きを通して、身体が覚える。
活躍が期待される39歳以下のグラフィックデザイナーに贈られる、JAGDA新人賞。JAGDAとは日本で唯一のグラフィックデザイナーの全国組織であり、賞の選考委員は日本を代表するグラフィックデザイナーが担う。また、この賞の権威は、歴代受賞者に並ぶ、『サントリー』の烏龍茶や『虎屋』のアートディレクションで知られる葛西薫氏や、『金沢21世紀美術館』のロゴデザインやNHK教育テレビ『デザインあ』の総合指導を務める佐藤卓氏など、デザイン界の重鎮たちの名前からも分かるかもしれない。そして2019年、小林一毅さんの名前がここに加わることになった。
近年の受賞者の出展作品の大半がクライアントワークという中、小林さんは個展のポスターや自主制作の作品など、個人的な作品を複数提出。それらが評価を受けたことについて、まず、「グラフィックデザイナーとしてどんな表現ができるのか、実験を繰り返してきたので、その努力が結果に結びついてよかったです」と話した。
今回小林さんが提出した作品のひとつが、片手に収まるほどの大きさのステッカーにモノクロのグラフィック描き、それらをつなぎ合わせて、2メートルを超える巨大なタペストリーのような作品に仕上げた『Graffiti/Stickers』だ。「これを制作していた時は独立前で、まだ『資生堂』に在籍するデザイナーでした」と明かし、「『資生堂』という組織で発揮できるスキルを磨くだけではなく、どこに出て行っても力が発揮できるよう、個人的な鍛錬を積まなければとも思っていたんです」と続けた。
毎日2時間、複数枚のステッカーに手描きするという作業を半年間続けた、実に365時間のプロジェクト。一つひとつは小さくても、積み上げればスケールのある作品はつくれるということを示した、努力の軌跡でもある。
そして、「これまでのグラフィックデザイナーとは違う働き方をしていきたいんです」という決意も聞かせてくれた。グラフィックデザイナーの主戦場は、広告や出版物など平面のデザインであり、東京発信で大衆に働きかけるケースが多いが、活躍の場はもっと拡張できるという意味での、「違う働き方」なのだろう。
小林さんは、『資生堂』でデザイナーをしながら個人としても仕事を引き受けていた頃に出会った若い世代の職人と共に、新たな領域に踏みこむ。平面から立体へ。デザインの領域を広げた最初の仕事が、信しがらきやき楽焼のオブジェだ。丸みを帯びたシンプルな線で、2019年の干支の猪を表現した。「いつもと同じようにA3判ケント紙に手描きしたんですが、立体をイメージしながら描くことは、すごくおもしろかった」。この経験は、グラフィックデザインが陶器や漆器・衣類など立体へ出ていけることを確信させた。一方で、地方との関わりについてはこう語った。「よい質のものをちゃんとつくること。その土地・人、そこにしかないよさを、追求していけたら」。「そこにしかないよさ」。小林さんにとって「よさ」とはどんなものなのか。すると、「心地のよいもの、座りのよいものです」という答えが返ってきた。脳より先に、感覚が心地よいと感知する感覚。それは、小林さんがこだわりを持つ、手描きという手法を通じて、身体で覚えてきた感覚。特に『資生堂』在籍中に磨かれたものだ。資生堂の新人デザイナーの初仕事といえば、その美学と精神性を表現するために開発された独自のフォント『資生堂書体』を、1年をかけて手描きで体得すること。しかも口頭で伝えられるため、同じ文字でも描き方に個性が出てくることが特徴だ。「正解はないからこそ、なにが心地よさなのかは自分で考えなければいけない。感覚の基準を叩き込まれました」。
可能性を探し、「よい」を追求する小林さんの向かう先。それは「インテリアポスターをつくりたい」という言葉にあった。アウトプットとして、ポスターはむしろ一般的なものではないか……。すると「ポスターはどうしても、広告や宣伝にかかわる商業ベース。でもそこから離れて、グラフィックデザインが暮らしの中でどう生きるのかだけを考えた作品をつくってみたいんです」と目を輝かせた。紙にこだわり印刷にこだわり、ポスターを納める額縁にもこだわる。小林さんの「よい」の集大成ともいえる作品になるのだろう。
文字を一切使わず造形の力だけで、空間を心地よくすることが果たして本当にできるのだろうか。「想像以上に高度な技術が必要ですけど」と笑いながらも、「挑戦しようと思っています」と話す。このしなやかな挑戦は、また、グラフィックデザイナーの新たな可能性を拓いていくのだろう。