移住を考える人にとって「地域に馴染めるか」というのは、大きな不安要素のひとつ。そんな不安に対して、埼玉・ときがわ町へ移住した「野あそび夫婦」こと青木達也(アオ)さん&江梨子(エリー)さん夫妻に話を聞いていると、「地域に愛されるためには、自分がそのまちを愛すること」という答えにたどり着きました。縁もゆかりもないまちでふたりが叶えた「幸せな移住」について、教えてもらいました。
きっかけは焚き火を囲んだ人生会議
そもそものはじまりは、キャンプで焚き火を囲みながら、ふたりで今後の人生について本音を話し合ったことでした。当時、テレビ番組の制作会社でディレクターとして働いていた妻・エリーさん。番組を通じて地方で活躍する人たちに取材を重ねるなかで、田舎暮らしへの憧れが募っていったといいます。
エリーさん「私の実家はいわゆる転勤族で、ふるさとがないのがコンプレックスでした。地元のお祭りに命を懸けている人や農家さんとおもしろいことをやっている人たちに取材するなかで、地元愛ってすごい素敵だなと思って。私もそういうものを見つけられたらいいなっていうのはありましたね」
そんなエリーさんから話を切り出し、お互いの思いを話すうちにひとつの目標にたどり着きます。それは「自然の中で遊ぶように暮らす」というもの。自然の近くで暮らし、仕事と暮らしを一緒にしたい。ふたりが目指したのは、そんな生活でした。
移住するために、無理はしない
移住先の条件に掲げたのは、「大自然すぎないこと」「アオさんの職場から通えること」「移住者の仲間がいること」の3つ。東京や大阪など市街地で過ごしてきた時間が長いふたりは、険しい山間部や豪雪地帯のような雄大すぎる自然のなかでいきなり暮らすのは不安。また、移住してもしばらくは夫・アオさんが会社に通いながら生計を立てることを決めていたため、職場がある川越市まで通える範囲で“ちょうどいい田舎”を探すことにしました。どの条件も背伸びせず、ふたりにとって「無理のない移住」を考えた結果です。
エリーさん「仕事を辞めて移住したと言うと、いろんな人に『思い切ったね』と言ってもらうんですけど、全然そんなことなくて。ビビリなので、常に『大丈夫かな?』みたいな(笑)。ふたりとも仕事辞めたらやばいよね?とか、そういう感じで。できるところからやってみて、もし無理だったら戻ればいいよねって言いながら少しずつ進めてました」
まずは移住先を探すため、キャンプで関東近郊を巡りながら、行った先で地元のお店を訪ねたり、移住者が経営するカフェやゲストハウスで話を聞いたり、自治体の相談会に行ってみたり。気になるまちへ足を運び、実際にそこで暮らす人の話を聞いてみる。その繰り返しのなかで出会ったのが、埼玉県比企郡ときがわ町でした。
何度も通ってできた人とのつながり
決め手になったのは、丸くて可愛いらしい山ときれいな川、そして移住者に優しい町の人と温かくて心地よい空気感だったといいます。
エリーさん「町に通って地元のお店にもいろいろ行ってみたときに、そこで出会う人たちも本当に優しくて。まちの雰囲気もいいね、とふたりで話していたんです。ときがわ町で家が見つかったら良いなと思い始めたころに、農業体験ができる民宿をやっている金子(勝彦)さんに出会いました。それも大きかったですね」
当時は、SNSのプロフィール欄に“ときがわ町”と書いてある人をとにかくフォローするなど、積極的に情報収集していたというエリーさん。ふたりの移住のキーマンで、ときがわ町の先輩移住者でもある「農家民宿 楽屋」店主の金子さんは、たまたま目にした移住冊子をきっかけに出会いました。
エリーさん「ときがわ町に移住したい気持ちが80%くらい固まっていたとき、金子さんのインタビューに『移住したい人にアドバイスもしてます』と書いてあるのを見て、会いに行ったんです。その後もイベントを手伝わせてもらったりして、毎週のように行ってたときもありました。そうすると、やっぱりそこで地元の人とのつながりもできていって。それでもう100%になったっていう感じでしたね」
エリーさん「しかも、農家民宿 楽屋さんでの経験が本当に良くて。金子さんのことを好きな人たちが集まるので、みんな感覚も似ているんですよね。それで初対面同士でもコミュニケーションが生まれる場になっていたんです。それがすごく素敵で。キャンプ民泊のアイデアを思いついたのも、その体験があったからという気がしています」
アオさん「金子さんは、僕らにとってキーマンになってくれた方のひとり。ときがわ町ってこんなまちだよっていうことも教えていただいたし、移住の準備を進めるなかで地元のいろんな方を紹介してもらいました」
そうして移住先をときがわ町に定めたふたりは、町にも通いやすい川越市内に引っ越し、本格的に移住準備をスタートさせます。しかし、ここからが大変でした。
SNSがつないだ、ふたりの思い
ふたりが苦戦したのは、移住先となる物件探し。インターネットでのリサーチのほかにも、地元の人への聞き込みや不動産会社への訪問を重ねましたが、なかなか理想の物件は見つからず。「キャンプ民泊」という新しい事業を立ち上げるために探していた物件の条件が特殊だったこともあり(探していたのは、テントが張れる広い庭付きの一戸建て賃貸…!)、最終的に現在の物件に決まるまでには1年半以上もかかりました。
難航した物件探しを助けたのは、ふたりのSNSやYouTubeだったといいます。もともとふたりは、ときがわ町でキャンプ民泊をやると決めてすぐ、「野あそび夫婦」というユニット名でSNSやYouTubeへの投稿をスタート。物件探しのあいだも町へ通いながら、「キャンプ民泊」という新たなサービスの構想や、移住〜開業までの過程、そしてふたりの思いを発信していました。
そんななかで、“運命の出会い”は物件を探し始めてから約1年半後に訪れます。やっとの思いで見つけた理想の物件。しかし問い合わせてみると、それはふたりが希望していた賃貸ではなく、売り物件でした。
それでも「ここしかない!」と思ったふたりは、ダメ元で賃貸にしてもらえないかを相談。不動産会社の担当者も必死なふたりを見て、売主さんへ交渉してくれることになったのです。それから祈るように待つこと数日。不動産会社を通じて返ってきたのは、なんと「OK」という返事でした。
その理由は、売主さんの友人がSNSを見て、ふたりの活動を知ってくれていたこと。売主さんは、賃貸の相談がきていることをたまたまその友人に相談していたのです。その後、売主さん自身もYouTubeやSNSを通してふたりの思いを知り、家を貸すことをOKしてくれました。しかも、このとき交渉してくれた不動産会社の担当者もふたりのキャンプ民泊の構想を聞き、陰ながらプッシュしてくれていたのだとか。
物件が見つかるまでの1年半、ときがわ町へ通い続け、町やキャンプ民泊への思いを発信し続けていたからこその奇跡。ふたりの真っ直ぐで温かい人柄も相まって、多くの人の心を動かしました。
しかし、なかなか思うようにいかない物件探しのなかで、心が折れそうになったこともあったといいます。そんなときも、SNSやYouTubeで発信していたことが、ふたりを支えていました。
アオさん「物件を探しているときから『キャンプ民泊準備中』みたいなSNSのアカウントになってたんです。言ったからにはやらないとって思ったし、周りに言うことで自分を追い込んでました。それに、僕らの発信に対して、見てくれた人から『応援してます』とか『楽しみにしてます』っていう声を直接もらえたのも、継続して頑張れた理由のひとつです。自分たちの思いを明確に外へ出していくことはすごく大事だなと思いましたね」
そうして長かった物件探しの日々を乗り越え、ふたりは2019年にときがわ町へ移住し、キャンプ民泊「NONIWA」をオープンさせました。移住を決意してから、ここまで約2年。時間はかかりましたが、地域にじっくりと通い詰めたぶん、移住するころにはすでに地元にとけこめている感覚がありました。
アオさん「僕らも2年くらいかけて地域に通うなかで、いろんな人に出会って、自然と知り合いが増えていきました。物件を探したり、『こういうことをしたいです』っていろんな人に話してきたので、町のなかに顔の見える人がすごく多いんです。関わってきた人が多いまちだから、その人たちに恩返ししたい。そういうのが今の僕らの原動力になっている気がします」
ときがわ町のためにできることを
現在は、地元の木材を使ったキャンプグッズの制作や、まちを盛り上げるイベントの開催など、ふたりはキャンプ民泊以外にも活動の幅を広げています。そのなかで、地元の人同士の交流を生む「ときがわばっかり食堂」というイベントも、ふたりの企画で立ち上がった取り組みでした。
地元の笑顔をつなぐ活動、そして変化した生活とは
「ときがわばっかり食堂」は、観光地としても有名な三波渓谷などのときがわ町らしい場所を舞台に、町の郷土料理をみんなで作って食べるごはん会。現在はコロナの影響で休止中ですが、これまで3回実施され、地元の人たちの交流の場になってきました。
エリーさん「もともとは役場の人に『三波渓谷で何かやってほしい』と相談されて考え始めたんです。それで、地元の食材や郷土料理を、移住者である私たちも知りたいし、教えてもらえる場があったらいいなと思って、お料理が得意なおばあちゃんたちに話を聞きに行って。そしたら、みんな『ときがわには何もないから』って言うんですよね。それが少しさみしいなと思って。移住者の私たちと話すことで、ときがわには何もないと思っていた地元の方たちがその魅力に気づく、そういう場になったらいいなと思って企画しました」
実際に開催してみると、それまで関わりが少なかった人との交流が生まれ、参加者もみんな喜んでくれました。地元の人たちにも「またやってよ」と言われるほど、評判も良かったとか。
エリーさん「若い移住者の人たちが『おいしい!』と郷土料理を食べているのを見て、地元の人がニコニコ喜んでくれていたのがすごく嬉しくて。次に会ったときも『あれ楽しかったね』って言ってくれる人がいたり、地元のクールなおじいちゃんも、そのあと何回会っても『あのときのあれは……』と話してくれるので、たぶん楽しかったんだろうなって(笑)。すごく良かったですね」
さらに、このコロナ禍では、野あそび夫婦オリジナルの「ときがわお取り寄せセット」をつくり、販売したことも。地元のお店に声をかけて商品を集め、インターネットを通じて販売。発送もふたりで行いました。コロナの影響が出始めていた昨年春、日ごろからお世話になっている人たちの顔が浮かび、すぐにふたりで動き出した活動だったといいます。
移住して変わった、ふたりの生活
このように、ときがわでのふたりの生活は、人とのつながりが中心にあるように見えます。しかし、都内での生活は今の暮らしと真逆だったとか。当時の生活を振り返りながら、その変化についても教えてもらいました。
アオさん「都内に住んでるときと比べたら、180度くらい違うと思います。そもそもふたりは、ほとんど人に会わないような人種だったので(笑)。お互い働いてて、週末に時間があったらふたりで飲み屋に行くとか、映画館に行くとか。それでまた平日は普通に働いて。近くにすぐ遊べるような友達もいなかったし、全然人に会わない生活でした」
エリーさん「今は同い年くらいの移住友達も近所にいて、昨日も散歩してたらちょうど会ってそのまましゃべったり。キャンプ民泊を通じて関わる地元の人やお客さんも含めると、人と会う機会は本当に多くなりましたね」
さらに、人との関わり方にも大きな変化があったといいます。
アオさん「ときがわに来て、人にお願いすることと、お願いされることの量がすごく増えたなという感じがするんですよね。会社に通いながら都内のアパートに住んでると、誰かに何かをお願いすることもないし、されることもあんまりない。でも僕らの場合だと、NONIWAで撮影が入ったから地元の飲食店にケータリングをお願いするとか、宿泊者用のバーベキューの食材を依頼するとかもある。僕らも僕らで、やっぱりいろんなことをお願いされます。地元の材木屋さんから『こんな木が出ちゃったから、焚き火用に使ってよ』とか」
エリーさん「それは、お金が発生するようなお仕事の場合もあるし、たとえば草刈り機の使い方がわからないから教えてもらうとか、個人的なものもあって。そのお礼におすそわけをしに行ったりすることもあります。今改めて思うと、そういうことができてるのって、すごく嬉しいなと思いますね」
そんなふうに、ふたりのまわりにはお金のやりとりだけでは成立しない、地元の人との自然な“貸し借り”が生まれています。それは、地域のなかで育んできた顔の見える関係があるからこそ。暮らしと一体になっているふたりの仕事も、そうした人との関係に支えられています。
地域を好きな気持ちは、自分に返ってくる
そんなふたりの活動からは、“ときがわ”というまちへの大きな愛を感じます。ふたりにとって、もともとは縁もゆかりもなかったときがわ町。しかし、2年かけて地域に通うなかで、たくさんのつながりが生まれました。
今では地域に頼られ、愛される「野あそび夫婦」のアオさんとエリーさん。最後に、大切なのは「自分が地域を好きになること」と話してくれました。
アオさん「自分がこの町を好きなぶん、自然と向こうも返してくれるというか。そういうのはすごく感じます。どういう理由で移住先を探すかは人それぞれ。たとえば『リモートワークになったから、自然が多いところに住もう』という理由でもいいけど、そこからもう一歩踏み込んで『この地域のここが好き、だからこのまちが良い』っていうところを見つけられれば、地域の人からも自然と愛されるんじゃないかなと思います」
ふたりが印象的なのは、自分たちのことだけではなく、地元の人や町そのものに向き合い、相手のことを常に考えていること。それでいて謙虚になりすぎることなく、地域のなかに自ら入っていこうとする姿があったからこそ、快く地域に受け入れられ、ふたりもさらに町が好きになっていく。そんな良い循環が生まれているように見えました。
鍵になったのは、最初に掲げた「無理をしない移住」、そして「自分から地域を好きになること」。ふたりのように、地域や自分自身の思いに焦らずじっくり向き合うことが、実は「幸せな移住」を叶える近道になるのかもしれません。