高校卒業後は自衛隊に入る予定だったというアーティストの豊福亮さん。どうしてアーティストになったのか。その経緯と、『房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス2020+』のアートディレクターとして、コロナ禍での芸術祭をどう形にしていくのか、そして豊福さんのまちとの関わり方についてお話を伺いました。
千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までの約40キロメートルを結ぶ小湊鉄道。その駅舎や市原市内の豊かな自然などを舞台に、世界各国のアーティストの作品を展示する『房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス』。市原市の歴史・文化・自然・人々の暮らしなどと現代アートをミックスすることで、市原市を再活性化し、より魅力的な「いちはら」を再発見してもらうというコンセプトで実施されてきた。2014年・17年に続き2020年で3回目を迎えるはずだったが、インタビューを行った2021年3月時点でも、新型コロナウイルスの感染拡大により、開催の見通しがまだ立っていなかった。
アーティスト、社長、教育者。
この芸術祭でアートディレクターに就任したのが、豊福亮さんだ。芸術祭の現場で、制作、設置、コンディションを保つなどの作業を行っている。
豊福さんは東京都立川市に生まれるが、すぐに千葉県に移住。現在は船橋市に住むアーティストであり、2000年からは千葉美術予備校の経営者も務める。「アーティストになりたいとは、小さい頃から思っていませんでした」と豊福さんは話す。どうしてアーティストを志すことになったのか。「もともと友人と一緒に自衛隊に入隊する予定でしたが、あまり入りたいと思えなくて。そこで当時仲のよかった高校の美術の先生に、なぜ先生になったのか聞いてみたんです。すると先生自身は東京藝術大学を卒業し、美術教師になったと教えてくれました。東京藝術大学の名前は聞いたことがありましたが、私の中では音楽家・坂本龍一さんの母校で、音楽を勉強する大学というぐらいの認識で、美術も勉強できる学校とは知りませんでした。それほど美術に興味がなかった。でも、先生が『音楽は小さい時からの訓練や経験が大きく影響するから、高校生から東京藝術大学を目指すことは難しいけれども、美術は高校から受験の準備をしても遅くはない』と話をしてくれたんです」。その話を聞いて、美術を勉強したいというよりも、まずは東京藝術大学に行ってみたいという気持ちが強くなり、高校3年生にして受験を決意。そこから3年間の浪人生活を経て、1997年に油絵を学ぶ東京藝術大学油画科に入学、その後同大学院まで進んだ。
大学在学中の2000年には、『Office Toyofuku』を設立し、代表取締役社長に就任する。「大学1年生の時に、千葉県のとある会社の社長から、出資するので千葉で美術学校をやりたいと相談を受け、開校しました。当初は講師として働いていましたが、さまざまな事情で、私が学校の運営を全面的に引き継ぐことになり、会社を興しました」。こうして豊福さんはアーティスト活動と並行して、教育者、社長、学校長という多面的な活動を展開していくようになる。
アーティストで会社を立ち上げる人はいるが、その多くはアーティスト自身の活動や作品を管理する会社だ。豊福さんのように、学校経営などのビジネスのために、しかも学生で会社を起こす人は少ない。そういう意味でも豊福さんは稀有な存在だろう。
会社を起こし、学校を運営していくことにリスクや不安などはなかったのだろうか。「あまり感じませんでしたね。もちろん潰れたらどうしようとか、経営者の悩みはありますが、できることをやる、できることしかしない、という気持ちでやってきました」。
現在、千葉美術予備校は千葉県内で3校を展開し、約200名の生徒が在籍。そのほかカルチャースクールなども手掛けている。
北川フラム氏との出会い。
豊福さんは『房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス』の第1回から出品するアーティストでもある。どうして今回アートディレクターとして携わることになったのか。そのきっかけが、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』や『瀬戸内国際芸術祭』などのディレクターを務める北川フラム氏だ。二人の出会いは、2000年に第1回が開催された「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の準備期間中のこと。「この時、大学の友人たちと新潟県十日町市の隣村の廃校で、夏の間だけ制作活動をしていました。そうしたら北川フラムという人が、まちおこしのために芸術祭をやるらしいということを知って、これは会いに行かないと」と思い、十日町市にあった芸術祭の事務所を訪問。その時は北川氏に会うことはできなかったが、その後北川氏本人から連絡があり、おもしろいことをやっているねと言われ、それから約20年、北川氏がディレクターを務める全国の芸術祭に幾度もアーティストとして参加してきた。そして今回、北川氏からの指名で、アートディレクターとして一緒に、地域に根ざした芸術祭の運営を行うこととなった。
これまでアートディレクターというのは、美術館館長や海外から招聘されたアーティストなどが務めることが多く、芸術祭に参加する日本のアーティストが務めるという前例はほぼない。しかも北川氏がアートディレクターを指名するというのは、初めてのことだ。
「私自身、全国いろんな場所で作品をつくりたいと学生時代から思っている中で、全国で芸術祭を手掛けるフラムさんとの出会いは大きかったですね。どうして地方でこんなことができるのか、いつかフラムさんが考え、やっていることを一緒にできる機会があればと思っていたので、今回一緒に仕事ができたのは、私自身とても勉強になっています。でも個人的には、フラムさんのアシスタントディレクターのスタンスです」
コロナ禍での活動。
新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの芸術祭が延期、中止。美術予備校などの学校もリモート授業を余儀なくされた2020年、芸術祭と学校、その両方に携わる豊福さんだが、大きく変わったことはあったのだろうか。
「人が集まるイベントができない、鑑賞のための動線や距離の取り方、アーティストとの打ち合わせなどがリモートになり直接会えない、という変化はありました。でも私自身、根本的には何も変わっていないと思っています。特に芸術祭は自然の中で展示されることが多く、1か所に滞留するなど密を避けて観ることができます。また作品をつくる側としても、個展や展覧会などがなくなったことで自由な時間が増えました。だから、これまで時間がなくてやれていなかったことを試せるようになったという意味では、すごくポジティブに時間が使えました。自分の世界を見つめ直すというか、他者と交わらない時間というのも、アーティストにとっては重要だったのかもしれません」
また豊福さんは千葉県在住ということで、コロナ禍で県外からの移動が遮断されていた期間も、すぐに現場へと駆けつけ、市との話し合いなどに参加できたことで、市からの信頼が厚かったという。そして豊福さんはまちづくりの観点からもまちと関わり、芸術祭の会場だけでなく、アートでのまちづくりも行っている。
「芸術祭を一過性のものにしてしまうと、せっかくの活動や作品はそこで終わってしまい、持続しないままになってしまいます。だから継続的にまちと関わり、取り組んでいくことが重要です。芸術祭が終わっても続くアートとまちのあり方、まちづくりを提示していきたいと思います」
『房総里山芸術祭いちはらアート×ミックス2020+』
新型コロナウイルス感染症の影響により、開催を延期。今後の開催については決定後、公式WEBサイト(https://ichihara-artmix.jp)などにて発表される。