弊誌編集長の指出が学校長を務める、福島県郡山市の地域づくりのスクール『こおりやま街の学校』の特別企画として開催されたトークイベント「まちのあれこれ談話室」。ステージ上のこたつに入って、“ゆるふわ”な雰囲気で始まりました。
ローカルプロジェクトに ついてのあれこれ。
馬場正尊(以下、馬場) ワクワクするプレイヤーに出会えるかどうか。もちろん、そのまちの風景やリノベーションしたらかっこよくなりそうな物件にも目を向けますが、まずは、まちにどんなプレイヤーがいるかが気になります。
山崎亮(以下、山崎) 僕もワクワクするまちかどうかは、そのまちに住んでいる人がワクワクしているかで決まる気がします。ただ、何に対してワクワクしているかも重要です。高級品を買うこともワクワクかもしれませんが、そのワクワクにどんな価値があるのかとまちづくりのワークショップなどで対話を重ねるなかで、その人のワクワクの対象が変わっていくプロセスに遭遇すると、今度は僕がワクワクします。地域の人がどう変わっていくかというプロセスも、ローカルプロジェクトのなかに組み込まれているのです。
指出 うまく進んでいるローカルプロジェクトと、そうでないものの違いはどこにありそうですか?
山崎 プロジェクトの速度。素早く成果を出している地域は息切れするのも早いけれど、ゆっくりと歩みを進めているプロジェクトは力強く、安心して関われます。
馬場 僕は山形市でエリアリノベーションを実践していますが、10年かかっています。学生と廃旅館をシェアハウスにリノベーションしたことに始まり、最近は廃校のリノベーションも行っています。10年の間に少しずつ仲間が増え、一人、また一人と新しい登場人物が現れ、フォロワーも加わり、プロジェクトが広がってきました。
指出 まちの規模感はどうでしょうか。郡山市の人口は約33万人です。東北で3番目に大きなまちをワクワクさせるにはどんな段階を踏めばいいでしょう?
山崎 33万人のまちを変えようと思わず、自治会や小学校の校区レベルで何ができるかを考えたほうがいいでしょう。地域に3000人が暮らしているとしたら、10分の1の300人の意識を変える。10分の1の人が変われば、地域の雰囲気はだいぶ変わります。1980年代にミニスカートが流行ったとき、渋谷では女の子が全員ミニスカートをはいているイメージがありましたが、雑誌『anan』が調査したところ実際にミニスカートをはいている女の子は10人に1人でした。だから、300人の意識を変えることは効果的なのです。
馬場 若い人たちの活動に対して、まちからリアクションが返ってくることも大事ですね。山形市の人口は約25万人。それくらいの規模だと、学生たちがおもしろい地域づくりの活動をしたら、地元のテレビ局や新聞社が取材をしてくれます。それによってプロジェクトが周知され、学生のモチベーションも上がります。
指出 規模感や主体が誰かなど、ローカルプロジェクトは多様ですが、なぜ行うのでしょうね。
山崎 19世紀のイギリスの思想家ジョン・ラスキンの「人生こそが財産である」という言葉を引用すれば、その「財産」を活用する方法の一つにローカルプロジェクトがあるのだと思います。プロジェクトを行うことで自分の人生だけでなく、まわりの人の人生も楽しく豊かにする。そんな人が多く暮らしているまちが豊かなまちなのだと思います。
ローカルプロジェクトと 行政の関わり方。
馬場 廃材をデザインし直して家具などのプロダクトをつくって販売する「スローバックプロジェクト」を行っています。例えば、廃棄するソーラーパネルを天板にしたテーブルとか。そういうプロジェクトって仲間と一緒に飲んでいるときとかに、「それ、いいじゃん!」「おもしろそう!」というノリで立ち上がったりすることが多いですよね。そして、「考えてみたらこのプロジェクト、SDGsの何番に当てはまっているね?」というように、社会的な価値は後からついてくる。そういうプロジェクトをいくつか編集しながらまちの政策にしていくのが現実的な落とし込み方ではないでしょうか。先に政策や目標を掲げて何をしようかと頭を捻ってもおもしろいプロジェクトは生まれないと思います。プロジェクトって、”悪巧み“
みたいなものだから(笑)。
山崎 ステージにこたつを置いてトークさせるなんて、悪巧み感にあふれていますよね(笑)。
指出 郡山市にオフィスがあるデザインファーム『ヘルベチカデザイン』と郡山市の若い職員による悪巧みです(笑)。こんな悪巧みをおもしろがる気持ちを行政の皆さんに持ってほしいですね。
山崎 「お金さえ払えば楽しませてあげます」という情報がSNSに絶え間なく届き、油断しているとついクリックしてしまう。そうではなく、お金を使わずにおもしろがれる力を身に付けなければ。
馬場 今の時代、消費自体がおもしろくなくなっている気がします。何にワクワクするかも変わってきているし、何のために仕事をするかも変わってきている。
山崎 何のための仕事かという悩みはアーツ・アンド・クラフツや民藝の時代にもありました。家具づくりで「この曲線がいいんだ」とこだわって削っていたのに、「そんなの機械ならもっと早く、安く削れますよ」と忠告され、機械に板を入れることが彼の仕事になる。以来100年が経ちますが、仕事は一般的に楽しいものではなくなってしまった。ならば、仕事で儲けたお金でワクワクを買って楽しみを得ようと、高級車やブランド品を買い漁る時代もありました。ただ、「それも違うな」と気づいた今、消費のあり方が変わってきている気がします。
馬場 19世紀には働くことは労働、レイバーと呼ばれました。産業革命後はそれを機械がやってくれるようになり、20世紀になると労働は仕事、ワークと呼ばれるようになりました。これからはプレイと呼ばれるのではないかなと思っています。楽しいことを創造する、プレイ。「まちづくりのプレイヤー」と呼ぶように、人生の楽しみを追求することが仕事になっていくのかもしれません。
指出 『こおりやま街の学校』はウェルビーイングの視点も持ちながら活動しています。楽しみを自分の真ん中に置き、いかにご機嫌に自分らしくまちで働き、暮らすか。もしかしたらローカルプロジェクトに参加することも、楽しみを真ん中に置く一つの方法かもしれません。さっきの話題に戻りますが、そのとき、行政がどんなふうに関わればローカルプロジェクトはうまく進むのでしょうか?
馬場 行政マンは民間のプレイヤーが活動しやすい環境を整えるのが役割。その”美学“をしっかりと持った行政マンとならうまく進みそうな気がします。俳優ではなく、シナリオライターや演出家として協業できる行政マン。
指出 ただ、裏方に徹しようとしても、行政マンが何か意見を言うと、まちの人たちは「じゃあ、それでいこう」となってしまうケースもありますよね。
山崎 僕は兵庫県庁の行政マンとして5年半ほど勤めていました。政策立案や予算獲得などまちの人たちのサポーターとなって行っていましたが、やがて、自分がプレイヤーになりたいという気持ちが湧いてきて辞め、『studio-L』を設立。「まちづくり、やるぞ!」と走り出したら、思ったほどプレイヤーとしての能力がないことを自覚し、今は裏方としてプロジェクトに関わっています。裏方として気をつけているのは、プロジェクトのアイデアがひらめいても、決して口にしないということ。ひらめくのは、まちの人たちでなければいけないからです。僕が口にしてしまうと、「さすがはコミュニティデザイナーのアイデアだ。その提案で進めよう」となってしまい、まちづくりのワークショップを開いている意味がなくなってしまいます。まちの人がアイデアを出すからこそ、そこに責任が生まれ、やらなければという覚悟が生まれるのです。
指出 なるほど。絶妙な距離を保ちながら、まちのプレイヤーたちの背中を上手に押していく技術や工夫が必要なのですね。
山崎 行政マンはアイデアや意見を出すよりも、例えば、「公園で火を使ってはいけません」という条例に従ってすぐに諦めるのではなく、どうやって火を使えるように条例を読み替えていくかという能力を発揮してもらいたいです。そんなスキルと情熱を持った行政マンがいてくれたら民間側もプロジェクトを動かしやすいですから。
質疑応答の時間。 若者人口の減少を防ぐには?
女性 私は高校3年生です。福島県の高校生は都会で進学し、多くがそのまま就職するので、若者人口が減少しています。福島で就職することを選択肢の一つに持ってほしいのですが、そのために何かできることはありますか?
山崎 学校にお願いしたいのですが、故郷や地域を意識するような教育の時間を十分に確保していただきたいです。地域にどんな魅力的な人がいるか、楽しい場所があるか、あるいは、どんな課題を抱えているのか。地域の魅力や課題について考え、ディスカッションする時間をたっぷりと取ることで、東京で進学、就職をしたとしても、身につけたスキルを福島に持ち帰りたいという感覚を持った若者が育つのではないでしょうか。
馬場 地元で友達と思い出をたくさんつくることも大切。僕は佐賀県出身で、地元のローカルプロジェクトを依頼されると、まちのなかにたくさんの思い出があるので、明らかにほかの地域よりも高いモチベーションで仕事ができます。東京で暮らしながら佐賀県のために何かできないかと仲間と佐賀市内の映画館を借り、「勝手にプレゼンFES」を開催しました。佐賀県出身のクリエイターたちが佐賀県を盛り上げるアイデアを5分間プレゼンテーションするイベントで、会場には県知事も来てくださり、実現したアイデアもありました。参加者の地元愛は、小・中学、高校のときに地元で遊んで養われたもの。今のうちに思い切り福島を楽しんでください。
馬場 インタビューすることです。首長を動かす必要があるとき、インタビューを依頼し、しっかりと意見を聞きます。「本当ですか」「すごいですね」と相槌を打ちながらも、自分のやりたいプロジェクトの話を所々に挟み込み、首長に「それ、いいね」と言ってもらい、事実上承認してもらうという。インタビューは、相手の人となりや考え方も理解でき、その後、仲よくなれるという効果もあります。
山崎 僕もよくインタビューをします。仕事を依頼してくださった行政の担当者に地域のキーパーソンを10人紹介してもらい、インタビューに向かいます。地域の困りごとや思いを聞き、最後におもしろいと思う人を3人紹介してもらいます。10人に3人で30人。その30人からも3人ずつ紹介してもらえば、合計130人にインタビューできます。その後、ワークショップを開くとその内の70人ほどが参加してくれます。さらに、SNSやチラシで募った50人ほどが参加してくれますが、よそ者の僕にガツンと言ってやろうと思って来られる方もいます。でも、インタビューした70人と僕はすでに知り合いになっているので、会場で仲よさげに話す姿を見て、「山崎という男はあの重鎮とも知り合いなのか」と良質な抑制力が働き、「ちょっと話を聞いてやるか」という雰囲気になります。地域の人たちの関係性を把握できるのもインタビューの利点です。
指出 なるほど。僕は編集長という仕事柄、イデオロギーの違いなどからSNSで叩かれることもあるのですが、反対意見をくださる皆さんにも「友達申請」を送るようにしています。すると、互いの理解が進み、最終的に仲よくなれたりするのです。SNSも一つの地域と考えたとき、そこで生きていく方法の一つとして参考にしてもらえたらと思います。いかがでしたでしょうか? 今日の鼎談が皆さんのローカルプロジェクトの活動のヒントになれば幸いです。ありがとうございました!
登壇した人
ばば・まさたか●1968年佐賀県生まれ。早稲田大学大学院建築学科修了。建築家。『オープン・エー』代表取締
役。東北芸術工科大学教授。著書に『RePUBLIC 公共空間のリノベーション』(学芸出版社)など。
指出一正(写真中央)
さしで・かずまさ●1969年群馬県生まれ。上智大学法学部卒業。弊誌編集長。『ソトコト・プラネット』代表取締役。『こおりやま街の学校』学校長も務める。著書に『ぼくらは地方で幸せを見つける』(ポプラ社)。
山崎 亮さん(写真左)
やまざき・りょう●1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院修了。コミュニティデザイナー。『studio-L』代表。
関西学院大学建築学部教授。社会福祉士。著書に『ケアするまちのデザイン』( 医学書院)など。