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サスティナビリティ

特集 | 第1回 ソトコト・ウェルビーイングアワード2023

組合員と生産者が50年間つながり実現した『生活クラブ』と庄内のローカルSDGsプロジェクト

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生協(生活協同組合)のひとつである『生活クラブ』は、1968年に設立され、現在、約42万人の組合員がいます。『生活クラブ』では古くから山形県、庄内地域の米、野菜、畜産物などを取り扱っており、地元生産者と『生活クラブ』組合員が共同で「遊YOU米」を開発するなど、深いつながりを持ち続けてきました。そして2023年、山形県酒田市に複数の自治体や地元企業、大学と協働し、住宅とシェアオフィス、オープンスペースがひとつになった交流の拠点「TOCHiTO(とちと)」をオープン。ここでは『生活クラブ』の前会長で現在は顧問である、山形県での取り組みを主導してきた伊藤由理子さんに『生活クラブ』の考える地域づくりについてお話をうかがいました。また「TOCHiTO」の完成セレモニーや『生活クラブ』が山形県の庄内地域で取り組んでいる農業、再生可能エネルギー事業、地域コミュニティづくりの様子をお届けします。

目次

生産者だけでなく地域の力を結集しての活性化を目指す

ソトコト 「TOCHiTO」をオープンするまで、『生活クラブ』は山形県庄内の地域活性化のためにどのような取り組みをされてきたのでしょうか。

伊藤由理子さん(以下、伊藤) 生活クラブと庄内地域の生産の提携は50年前から続いています。その土台の上に「TOCHiTO」のような現在の庄内地域での取り組みがあり、その発端は、10年ほど前にさかのぼります。当時、東日本大震災による原発事故で地方と都市圏のつながりが分断されたことを受けて、経済評論家の内橋克人氏が提唱していた「FEC自給圏」の重要性に注目しました。「FEC」とはFood(食)、Energy(エネルギー)、Care(福祉)の頭文字を取ったもので、生活に欠かせないこれら3つの要素を地域で自給し、自治できるようにするということです。

そして2015年ごろから地球規模で気候危機の問題が深刻化してきて、国内ではさらに流通や人手不足の問題も取り沙汰されるようになりました。『生活クラブ』では昔からひとつの消費材(※)はできるだけひとつの生産者に担ってもらい、みんなで中身のわかった同じものを食べるよう努めてきましたが、生産が維持できなくなればそれも不可能になります。そのことに危機感を抱き、生産地のFEC自給をかなえるため、そして都市圏の消費者が『生活クラブ』の消費材を食べ続けられるようにするため生産地の持続可能性、ひいては生産地の活性化を目指すようになりました。

(※消費材:『生活クラブ』では共同購入した品を「商品」ではなく「消費材」と呼ぶ。)

ソトコト 生産地の持続可能性、いまでいうローカルSDGs、地域循環共生圏ですね。

伊藤 山形県庄内地域は、『生活クラブ』にとって歴史ある一大生産地です。しかし、生産地を活性化させるためには『生活クラブ』や地元の生産者だけががんばるだけでは足りません。気候危機や人口減少などの問題が急速に進むなかで、成功事例をつくってモデルケースとして「こういうことができます!」と広めるには時間が足りませんでした。そこで、生産者だけでなく行政や地元の企業、大学などの地域資源とともに取り組みを進めることにしたのです。それが結実したのが、移住者の住む場所と地元の企業などが入るシェアオフィス、そして県内外の方々が交流できる複合的な拠点となる「TOCHiTO」です。

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伊藤由理子さん。(写真:御堂義乗)
ソトコト 「TOCHiTO」にこれからどういう働きを期待されていますか。

伊藤 いま、地方の抱える大きな問題のひとつは、かつては豊かに存在していた「場」が失われつつあることだと思います。たとえば、街の人が集まる場になっていたお店が閉店してしまったり、若い人たちが仲間を見つけられる場所がなかったり。そんな状況では人の交流が根付かないですよね。よく地方に人が定着しない理由として「地方では収入が少ないから」とか「都市圏に比べて利便性が低いから」といったことが挙げられますが、真の問題はコミュニティがないこと、コミュニティを形成する場が存在しないことではないでしょうか。

なので「TOCHiTO」にはまずコミュニティを形成する交流の場になってほしいですね。また「TOCHiTO」の居住棟「TOCO(とこ)」には今春から移住者が住まわれていますが、この方たちもいつまでもここに住む必要はなく、庄内地域に羽ばたいてほしいと思います。いま「TOCO」に移住されてきた方たちは、たとえば就農して『生活クラブ』の生産者になりたい、新しいビジネスを始めたいなど、庄内でやりたいことがあるのだそうです。なので、庄内の冬なども経験して慣れたら、自分のやりたいことを実現するために、酒田市内や遊佐町内などに引っ越すことがあってもいいと考えています。

ソトコト それで初めて移住者がこの地に「根付いた」と言えそうですね。

伊藤 いまは家族とは別に一人で移住されてきた方や、組合員どうしでルームシェアをされている方がいるのですが、「TOCO」に離れて住む家族の方も呼んで住むようにしたり、県内の方と県外の方でルームシェアしたりと、そういう使い方がどんどん広がればいいですね。「TOCHiTO」が庄内を訪れる、庄内を身近に感じるための入り口のような存在になって、「TOCHiTO」で暮らし、先に移住していた先輩や地元の方たちと交流するなかで、新しい土地になじみ、根付いていってもらえるようになればうれしいです。

ソトコト​ ありがとうございました。

「TOCHiTO」オープニング記念セレモニーが開かれる

2023年6月17日、山形県酒田市の「TOCHiTO」のオープニング記念セレモニーが行われました。セレモニーでは「TOCHiTO」設立に尽力された地元事業者や自治体の首長などがお祝いの言葉と、「TOCHiTO」を活用した地域活性化への展望を述べました。続いて移住者、そしてシェアオフィスの入居者がそれぞれに自己紹介をし、移住に際し「TOCHiTO」の存在と『生活クラブ』のサポートが大いに力になったこと、そしてこの庄内で各人が取り組みたいことについて話しました。
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「TOCHiTO」の外観。右がシェアオフィスやオープンスペースのある交流棟「COTO(こと)」。
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居住棟の「TOCO」。全18戸3階建て。
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TOCHiTOからすぐの道路から。彼方には山形県を象徴する鳥海山が広がり、その自然の雄大さも移住者には大きな魅力に映ったとのこと。
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セレモニーは終始和やかな雰囲気で進行。移住に至るまでや、ここしばらくの移住生活についてのコメントに皆さん共感されることも多いようで、笑いの絶えない会となりました。

「TOCO」移住者に聞く

今回のセレモニーのあと、実際に「TOCHiTO」の居住棟「TOCO」に移住された方にお話を聞くことができました。ともに神奈川県から移住された猪股順子さんと藤田篤子さんです。
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猪股順子さん(写真右)と藤田篤子さん(写真左)。
ソトコト 猪股さんと藤田さんは、もともと山形県の庄内地域や、移住に興味があって今回「TOCHiTO」への入居を決められたのでしょうか。

猪股順子さん(以下、猪股)​ 移住したい気持ちはあったのですが、故郷の福島より北に住むことはないと思っていました(笑)。私は『生活クラブ』の実店舗である「デポー」で働いていたのですが、「TOCHiTO」のことは知らず、『生活クラブ』の配達組合員である妹から聞きました。それで興味を持って応募したのですが、そのときにはもうあと2部屋しか残っていないということで、滑り込みでしたね。

藤田篤子さん(以下、藤田) 私は両親が年を取ってから移住を考え、いろいろ苦労していたのを見ていたので、なるべく早く移住したいと思っていました。しかし庄内のことはほとんど知らず、神奈川でシェアハウスをしていた際に共同購入していた『生活クラブ』の消費材の産地だな、くらいの認識でした。

ソトコト 移住を考えられたきっかけは何だったのでしょうか。

猪股 私は、娘のために安全な食を選びたいと思って『生活クラブ』の組合員になって28年がたちます。「デポー」で働きながら、生産者の代わりに『生活クラブ』の消費材についてお伝えすることが、自分のできる最終地点だと思っていたのですが、庄内に移住して「生産者になる」という更なるステップに気づいたことが、移住を決意したきっかけでした。

藤田 私は35歳で介護士の仕事を始め、地方都市に移住したいと思うようになって、フリーで仕事をしていました。また先ほどシェアハウスで暮らしていたと言いましたが、そのなかでもたとえばご飯づくりや掃除をする係を担うなど、自分にできることをやるスモールビジネスを積み重ねてきました。ここ庄内でも、同じように自分にできることを地域の方や移住されてきた方に役立てられないかと考えたのが移住のきっかけですね。

ソトコト 庄内で新しく始めたいことはありますか。

猪股 自給自足の生活をすることが夢ですね。いまは農業などについても素人なので本当に夢のような話ですが、いつかは生産者になれればと考えています。釣りなども、この前教えてもらってとても楽しかったです。

藤田 社会に出て働き、結婚して子どもを育てて……という暮らしだけでなく、自分の力でできる好きなこと、スモールビジネスで人生をつくって「こんな生き方もできるんだよ」と発信することをやりたいと思っています。また、猪股さんとはここに来て知り合ったのですが、地域で小さな仕事をもらってやっていくワーカーズ・コレクティブ(※)のようなことが一緒にできればと話しています。

(※ワーカーズ・コレクティブ:働く人が自ら出資して事業・経営を主体的に担い、地域に必要とされるものやサービスを協同労働する働き方。)

ソトコト これから庄内に限らず、移住を志す方へ一言メッセージをいただけますか。

猪股 移住を決めるには経験することが一番だと思います。私が庄内への移住を決めたとき、周囲で「私も移住したい」と言う人もいましたが、仕事や家庭の都合で身動きが取れないということも多いと思います。それでも一度移住したい先の土地を経験することで、そのモチベーションを維持できるようになるので、「いまは動けないけれど……」という方も、その火を絶やさないために一度、新しい土地を経験してみてほしいと思っています。

藤田 私は、実は正反対の考え方で(笑)。移住の前に自分の棚卸をすることが大切だと考えています。たとえば、自分はどういう生活が自分らしくしっくりくるのか、早起きが得意なのか、平日はゆっくり過ごしたいのかなど、それを定めてから動くのが失敗しないやり方ではないかと。いきなり移住するのではなく、経済的に可能であれば、まずはいまの住まいと地方の住まいでの二拠点生活もいいと思います。半分だけ移住したい先に身を置くことで移住先が自分の肌に合うかなどもわかってきます。そうして自分自身やその土地をじっくり観察してから移住を決めるといいのではないでしょうか。

庄内地域での『生活クラブ』の取り組みを見る

今回、セレモニーに先がけて、山形県遊佐町で行なわれている『生活クラブ』の農業、再生可能エネルギー事業を視察することができました。

ひとつめは、日本ではまだ珍しい国内産のパプリカの栽培です。約20年前に、生産者のひとりが姉妹都市であるハンガリーのソルノク市を訪れ、パプリカを知って「遊佐町でも栽培してみたい!」と思ったことがきっかけなのだそうです。減反政策により、水田が休耕地となっており、米の代わりにつくる作物を探していたこともあり、パプリカの栽培が始まりました。

遊佐町では現在、5ヘクタールの敷地でパプリカを栽培し、その収穫量の約3割を『生活クラブ』が購入しています。現地ではパプリカ農家が集まり「パプリカ青年隊」を結成しています。遊佐町のパプリカの美味しさを広める活動をしていて、現在のメンバーは45名。『生活クラブ』が一定量を常に買い入れてくれるからこそ、パプリカ農家が増えたと言います。

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まだ赤や黄色に色づく前のパプリカ。収穫は人力で、「パプリカナイフ」という専用の器具を使って行うのだそうです。
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この日、ハウス内を案内してくれた「パプリカ青年隊」の皆さん。
ふたつめは、『生活クラブ』と共同開発している「遊YOU米」などを栽培する中山間部の水田です。ここでは新しい農法や肥料の研究が行われていました。
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2023年から試験されているのがこのアイガモロボ。土や水をかく拌し、雑草を除去したり、水が濁ることで太陽光を遮断し、雑草の成育を遅らせたりしてくれます。GPSで位置情報を定めアプリで動かせるのですが、いまはまだテスト段階のようで田んぼのなかでスタックしてしまい、動きが止まってしまうこともありました。

また、マトリックス肥料という新しい肥料の研究も行っており、これには『生活クラブ』とのつながりが深い、現地の「平田牧場」の豚のたい肥を活用しています。

こういった実験的な取り組みができるのも『生活クラブ』がお米を購入してくれるからなのだそうです。買い支えてもらっているからこそ、どんどん挑戦しようという気になるのだとか。

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お話をうかがった今野さんは、都市圏でIT企業に勤めたのち、故郷で就農しました。その当時は何もわからないまま、作業的に米をつくっていたのですが、約20年前『生活クラブ』の組合員と交流するイベントで「私たち約束して食べるんだから、しっかりお米をつくってちょうだいね」と直接言われたことで生産者としての自覚が芽生え、米づくりへの大きなモチベーションにつながったと言います。

最後に訪れたのは、庄内・遊佐 太陽光発電所です。東西に約1キロ、南北に約300メートルの敷地があり、約66000枚の太陽光発電パネルが設置されています。

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この太陽光発電所の発電量は年間およそ1万8000MWh(メガワットアワー)、 1メガワットあたり約300世帯分の消費電力量となるため5千数百世帯分の電力をまかなえることになります。これは遊佐町の全世帯数とほぼ同じなのだそうです。

記事の冒頭で伊藤顧問の「FEC自給」のお話がありましたが、農業や畜産だけでなく、エネルギー面でも自治体と連携し、地域づくりに貢献する『生活クラブ』の理念にのっとった取り組みと言えるでしょう。

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なお、この発電所は2人で管理しているそうです。お話をうかがった菅原さんいわく「一番大変な仕事はパネルの下から生えてくる雑草の草刈りで、敷地内の雑草を刈り取るのに2か月かかります。それを年に3回行っています。除草剤を使用すれば楽なのですが、この近くの川は遊佐町内に流れ、米の栽培にも使われているので、手動で草刈りをしています。」とのことでした。

また、この発電所でつくった電気の売却益を基金として、庄内地域の活性化に役立てることを目的に助成先を一般公募しています。先ほどの水田で行なわれていたアイガモロボを使った実験にかかる費用なども電気の売却益から助成し、地域のローカルSDGsの推進に役立てられています。

若い世代の方が自然と地方に興味を持ち、目を向けられる社会へ

最後に『生活クラブ』の目指す地域づくりについて、伊藤顧問のメッセージをお届けします。

「ひと口に地域の活性化と言っても、地域ごとに抱えている問題であったり、持っている資源は異なります。山形県庄内地域ではそこにたまたま“移住”というキーワードがフィットしましたが、地域活性化=移住の推進という考え方ではいけないと思っています。

『生活クラブ』では山形県のほかに長野県や栃木県、紀伊半島などでも地域づくりに取り組んでいます。たとえば長野県は農業県として有名ですが、実は加工食品の生産も盛んなので、それを活かせないかと考えています。栃木県であれば、都市圏に近いという立地上の強みがあります。

このようにその土地それぞれの事情、特徴を活かした地域づくりをすることが大切なのだと思います。そして、特色ある各地域の取り組みによってできた消費材を、『生活クラブ』の仕組みを使って全国に届ける、これが『生活クラブ』のもっとも貢献できるやり方になります。

いま、日本の第一次産業は人手不足や流通など、さまざまな問題を抱えていますが、若い世代の方が農業や地方に興味を持ち始めているのはひとつの希望です。『生活クラブ』を通じて育った若い世代の方たちが、興味を持ったら都市圏から地方に行くこと、地方に目を向けるということが自然にできるような流れを生み出せればと考えています」

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(写真:御堂義乗)
伊藤由理子(いとう・ゆりこ)
1980年生活クラブ東京に入職。
ワーカーズ・コレクティブの草創期を担当、多摩きた生活クラブ事務局長、生活クラブ東京常務理事などを経て、2020年同連合会会長に就任。2022年連合会顧問現職。

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