「実践人口」を増やすための合言葉が「やってこ!」である。「やってこ!」が世代を超えたつながりを生み、ローカルをおもしろくする。借金は「やってこ!」の加速装置でもある。
家族を支えるべく、汗水垂らして働いている世の中のお父さんは大体やっている。昼間のパパはちょっと違うってやつだ。そして実践主義の親を持つ子どもは「やってこ!」への理解が早い。今回はHuuuuのメンバーである、きむらいりに、父が営むパン屋の娘視点で実践主義者について書いてもらうことにした。
「あ、この人『やってこ!』だ」。今年の始め、わたしの父親にインタビューをしている最中にふと気づいた。「そうか、わたしはやってこ! の娘だったのだ」と。
わたしの両親は、北海道函館市でパン屋さんを営んでいる。父を取材した様子はWebメディア「ジモコロ」で記事にしているので、もしよければ詳細はそちらでご覧いただきたいが、父の話は要約するとこうだった。
「新卒でそこそこ大きくて安定した会社に就職するも、30歳を目前に会社を辞め、パン職人になることを決意する。当時、母は第一子を身ごもっていた。そこから大手パンチェーン店で修業を積んで、独立。自己資金でも開店費用はまかなえる状態だったものの、『それじゃあ必死さが出ない!』と、あえて銀行からお金を借りて、開店にこぎつけた」
この話を聞いた瞬間、発酵おじさん、洋服おじさん、校閲おじさんに代理店おじさんなどなど……私の周りにいるさまざまな「やってこ!おじさん」たちの顔が浮かんだ。
柿次郎さんをはじめとする実践主義の人たちは、不思議と似たような道を辿り、おなじ答えに行き着くことが多い。わたしの父がそうだったように、「あえて銀行からお金を借りる」という道は、やっているといつかたどり着く場所のようだ。念のため、ここでいう「借金」は消費者金融からの借り入れなど「後ろ向きな借金」ではなく、銀行からの融資など「前向きな借金」のことであることを前提として伝えておきたい。
あえての借金は、「やってこ!」をブーストする。
父の場合「借金」は、モチベーション的な意味合いが大きかったように思う。しかし、令和を生きる「やってこ!おじさん」たちの話は、もう少し理にかなっている。彼ら曰く、「借金」は、「社会的信用」の積み上げなのだ。
とくにローカルで、その土地に根付いた活動をやっていこうと思うと、とにかく「信用」を積むことが大きな意味をもつ。プレイヤーとしての認知度や信頼はもちろんのこと、法人としての信用も積まなければいけない。そんな時に手っ取り早い手段の一つが、「借金」なのだという。地元の銀行からお金を借りて、しっかり返す。まずは少額からでいい。そうやって会社としての信用を積んでおくと、次なる「やってこ!」が目の前に現れた時、躊躇なくアクセルを踏み込めるのだ。といっても、彼らは「やりたいこと」があれば迷わず突き進む。一方で冷静な思考で、メリットとリスクの総量を判断してもいる。
「銀行からお金を借りる」という選択肢は、ただでさえ反射的な彼らの判断を、より早くする材料になるのだ。本人たちはほぼ無意識だろうけど。
お金を借りることは、決して悪いことじゃない。
「勤め続けていれば一生安泰なのに」、「子どもが生まれるって時に」。
あらゆる言葉を受け止めて、それでも父はパン職人という道を選んだ。借金を背負い、娘三人の生活を守り、わたしたちがいつでも帰ってこられるようにと家まで建てた。30年動き続けられる設備はない。冷蔵庫もオーブンも、メンテナンスや買い替えを繰り返してきた。そうして積み重ねてきた借金という名の「やってこ!」の原動力が、数年前にキレイさっぱりなくなった。「もうパン屋を続けるモチベーションがなくなった」と、つぶやく父の姿に寂しさを感じても、これ以上頑張れなんて言うつもりはない。言えるはずがない。
30年以上にわたる父の「やってこ!」の旅は、無事に終焉を迎えたのだ。その道中、不景気の荒波に呑まれそうな時も、激務に血を吐き倒れた時も、彼を奮い立たせたのは「借金を返す」という強い意志だった。
「やってこ!」の父を持つ娘(わたし)は、今日も実践者の側を奔走している。 (きむらいり)