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サスティナビリティ

連載 | 森の生活からみる未来

森の生活10周年と最終回

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今、少し感慨深い気持ちになっている。気づけば、先月号をもって連載8年目を迎えていたからだ。
「コツコツ続けることは誰にでもできる行為だが、もっとも大切で難しいことの一つ」と、ぼくは常に言ってきたが、その言葉を今まさに噛みしめながら、これまで書いてきた85回分の連載原稿を見返していた。

ここニュージーランドで営む森の生活のことは、ほぼ網羅できているという満足感と、伝えたいことの半分も表現できていないかもしれない、という不安な気持ち。これら表裏一体の感情に揺さぶられてしまうが、何事も一度は区切りをつけないといけない。

そして今年は、レコード会社プロデューサーの職を辞し、「すべてを捨ててニュージーランドへ」という、人生最大のフルリセットから10年目。つまり森の生活も記念すべき10周年ということになる。
「場所にも時間にも制約されない仕事しかしない。あらゆる制約から自由になり、何にも依存しないインディペンデントな生き方を追求したい」

これは、連載初回に書いていた移住前夜に掲げた人生の目標。そして思った。今の自分は、この想いをほぼ体現できていると。でも当時は、「まあ無理だろう。一か八かで挑戦だ」という覚悟でいたことを思い出す。

そして、理想としていたライフスタイルが実現したのは、圧倒的な才能があったからでも、魔法を使ったからでもない。ただ毎日、数え切れないほどのトライ&エラーを愚直に繰り返してきただけだと言い切れる。

家は、街から20キロ離れた山奥の湖の。電線と電話線は細々ときているが、店や街灯はなく、携帯圏外で水道もなし。庭のオーガニック農園、周りの森、目の前の湖と近くの海からのいただき物に支えられた生活。こう書くと大変そうだが、森の生活は想像以上に楽しくて、驚くほどクリエイティブな暮らしであった。

この連載を続けている間に、農園と釣りの技術はどんどん上達し、豊かな収穫物を安定的に手にできるようになっていた。畑の面積は倍増し、ギャンブル的な要素が強い漁労である釣りも、最近はほぼ確実に釣れるようになっていたのだ。

ここでは日常的に肉体を使い、早寝早起きとオーガニック食が基本でストレスフリー。そのためか、体と脳のパフォーマンスが非常に高まっていた。

学生時代から続けてきたバックパッキング登山では、当時よりも歩けるようになり、平気で2週間も山を旅するようになっていた。仕事でも、劇的に進化したモバイルテクノロジーを使いこなし、自在に表現活動をし、どこでも働けるようになっていたのだ。

ここでの、野生的かつ創意工夫に満ちた長い年月を経て、組織や貨幣制度といった曖昧なものに依存しなくても生きていけるようになっていたということになる。つまり、生活能力や食料調達力、大自然を生き抜く技術、ビジネススキルといった、ぼくがこれからの未来において必須と考える、3つのカテゴリーにおけるサバイバル能力が身についていたのである。

人間にとって(これから)何が大切か。これは初回に書いた問いかけだが、その答えは当連載でいろいろな形で表現してきたので少しは伝わっていると信じたい。ここで改めて言語化するならば、「消費者ではなく生産者に、情報の受け手ではなく表現者になるべし」という一言に集約されるだろう。

さあここで、ぼくの未来のことを書いて締めくくろうと思う。ここでの連載は、自分との長く深い対話でもあった。そこで聞こえてきた心の声は「自然を守ることにこの命を使いたい。死んだ後も残ることしか創造したくない」であった。こんな自分との約束をもって、一旦筆をきたい。

最後に。
近いうちに、この連載を一冊の本にまとめるつもりなので、そこでの再会を楽しみにしておいていただければ幸いだ。そして、編集長という立場なのに、担当者としてずっと並走してくださった指出一正さん、今日まで本当にありがとうございました。あなたがいたから、今の自分があります。心から感謝しています。

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