「発達障害」という言葉をよく聞きます。「発達障害」とは、脳の働き方の違いにより、幼いときから行動面や情緒面に特徴がある状態とされます。そのため、周囲や家族が育児の悩みを抱え、環境次第では子ども自身も生きづらいと感じるケースがあります。発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害、チック症、吃音などが含まれていますが、いずれも、生まれつき脳の働き方に違いがあるという点が共通しています。また、同じ名称でもかなりの多様性があります。
「発達障害」は脳の働き方の違いとされますが、そもそも脳はどういう役割でしょうか。外界を入力(インプット)し、内部(内界)で統合し、外界へ出力(アウトプット)します。入力は五感などの感覚で行い、統合は脳を中心として行い、出力は筋肉系(動き)で行います。外界から内界へ、内界から外界へ、というプロセスに個人差があるのは当然であり、そう考えると「個性」と「発達障害」にもつながりがあると分かります。
「発達障害」がゆるやかに発達し続けているとすれば、どんな未来へ発達しているのか、未来のイメージを持つことは大切です。西洋医学での「因果論」の発想は、原因を考え続けるので視点が過去に向かいやすく、「もうどうしようもない」と、考え方も悲観的になることがあります。そこに「目的論」の視点を加え、「この症状は、どこへ自分を向かわせているのだろうか」と目的を見据え、「ではどうすればいいか」と、視点を未来にも向けてほしいのです。
症状や問題行動とされる中に、「治ろうとする力」が秘められており、その人の強みが含まれています。症状の中に潜在的な可能性を発見し、潜む能力を活用する発想が大事です。例えば、暴力行為という問題行動を行う人は、暴力が誤った自己治療法になっていることが問題なのです。あふれ出す過剰な出力行為を、別の形に変換することで自己治療へとつなげていきます。閉じこもりという症状も、時間を決めて閉じこもることで自己治療として機能します。誰もが安心して脳を休める時間を必要としています。閉じこもる人は、外部からの刺激量を減らす脳の体質を持つ人であり、脳を守る練習が自己治療につながります。不適切な点を修正するよりも適切な点を伸ばし続ける。好きで熱中しているものに共感し合える場を発見すれば、場の力でその人なりのリズムとスピードで育ってゆきます。
自然に生まれてきた症状は、自分自身で創造したものです。そこに個人の特性があります。苦しい時をしのいだ過去の経験にこそ、未来への種があります。その力を発見し伸ばすことが適切な自然治癒力へとつながります。元に戻すのではなく、相手の未来を思い描きながら未来に向けての援助を行うことが医療やケアにおいて大事です。その人はその人のように生きれば健康で幸福です。生きている限り、いのちはゆっくりと"伸びて"います。困った時、わたしはラテン語の格言をマントラのように口ずさみます。「Dum spiro, spero.(ドゥム・スピーロ・スペーロ:生きている限り、希望を持つことができる)」。
いなば●としろう。1979年熊本県生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-20年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(「山形ビエンナーレ2020」芸術監督就任)、2022年4月より軽井沢病院院長に就任。在宅医療、山岳医療にも従事。単著『いのちを呼びさますもの』(2017年、アノニマ・スタジオ)、『いのちは のちの いのちへ』(2020年、同社)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『いのちの居場所』(2022年、扶桑社)など。www.toshiroinaba.com
記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。