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多様性

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ

「LGBTプライド」とは何か。

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先日、企業のダイバーシティ担当者の方々を集めた大きなフォーラムで、トークセッションのモデレーターを務めた。僕が担当したのは、アメリカのドキュメンタリー映画『The Freedom to Marry』を観賞した後のセッションで、大きなビルの、東京を見下ろすフロアの雰囲気に気圧されながら、いつもより少しお行儀をよくして挑んだ。まぁ結果、ヒートアップしていつもどおりだったけれど。

この映画は、全州での同性婚合法化を32年の闘いの末に実現させた、一人のゲイの弁護士「エヴァン」と、その仲間たちの合法化前最後の1年を追ったものだ。同性婚賛成派を追うだけではなく、分厚く反対派へのインタビューも行われており、見応えがあった。

反対派の主張の軸は「家庭には、母親と父親が必要。何千年も続けてきた家族の形を壊していいのか」であり、その背景にはキリスト教社会がある。途中、反対派のデモをする集団と、賛成派の一人の女性が言い合うシーンが印象的だった。「ちょっと聞きたいんだけど、いい? 私の息子はゲイなの。なにがいけないのか教えて?」「君の教育の仕方が問題だったんだろう」「私にはストレートの息子もいるわ。同じように育ててきたわよ」「家庭には、母親と父親が必要なんだよ」「愛する人と結ばれることの何がいけないのよ!」。激しく言い合う姿は、両者から意志を感じ、日本ではなかなか見ることのできないやり取りに、心が震えた。

映画を見終えて最初に出た一言は、「これが、LGBTプライドか」だった。「LGBTプライド」というのは、セクシュアルマイノリティ当事者が、自己の性的指向や性自認に誇りを持つべきだという概念を表す言葉で、世界ではLGBTパレードも、「プライドパレード」と呼ぶのがスタンダードだ。この映画はまさに「LGBTプライド」の気高さを全身で浴びるようなもので、登場人物の意志ある言葉や眼差しは、凛々しくて美しく、青空に高く掲げるレインボーフラッグが本当によく似合っていた。

実を言うと、僕はずっと「LGBTプライド」という言葉がピンとこなかった人間である。自分はゲイだ、とカミングアウトした時は、もちろん意志を要したけれど、それでも「恥ずかしいものじゃないから、引き出しから出しちゃおうよ」と、テーブルの上に置くような感覚であったし、こうしてセクシュアリティをオープンにして生きる今も、「旗を掲げて、誇りを持とう」とまで思ったことはないのだ。

「プライド」が心に灯るのは、大きな反発勢力の存在を感じてこそなんじゃないかと僕は思う。日本でも環境やセクシュアリティの違いによっては、「LGBTプライド」を持って光る人がいる。ただ、僕自身は10代の頃、「ホモ、キモい」などの言葉に真綿で首を絞め続けられるように苦しんできたものの、キリスト教社会のような「同性愛を認めない!!」と突き飛ばされるほどの危機を感じたことはないのだ。日本はアメリカや多くの国のようにゲイタウンが襲撃にあったこともなく、LGBTが大規模な「弾圧」を経験していない。そういった背景も、僕の心境に婉曲的に影響しているんだろうと思う。

今回、この映画を見て「プライド」とはなんたるかを感じられたことは、僕にとって、観賞の域を超えて、ひとつの原体験となった。そして同時に『やる気あり美』が自分にはやっぱり合ってるな、とも思った。高々と掲げるような主張ではなく、すっとお皿に載せて並べるようにものを言うことしか僕にはできない。今の僕がプライドを持っているとすれば、それはセクシュアリティに対して、というより「人を楽しませたい」という気持ちにある。そのほうがしっくりくる。いやはや、『The Freedom to Marry』、とても考えさせられる映画でした! ぜひ映画館でも上映してほしいので、配給会社の皆さん、どうぞお願いいたします!

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