新千歳空港から車で約30分のところにある、北海道・厚真町。道外から好アクセスで、海も山もあり、田園風景も見られる豊かなまちです。事故や震災を経験した3人の物語と声を、このまちから届けます。
北海道胆振東部地震から1年。北海道勇払郡厚真町では、まちの外と中をつなぐ動きが進んでいます!
大切な家族を失い、厚真町へ行くと決断。
2018年5月、「東京の仕事を手放して厚真町へ行こう」と決めた男性がいた。東京で大手ゲームメーカー勤務などを経てフリーランスになり、8年ほどアプリ開発などを手がけていた花屋雅貴さんだ。数億円単位の事業を動かすまでになっていた花屋さんが、そう決めたのには一つの理由があった。1年半ほど前、登山に出かけた妻とたった一人の愛息が、事故で帰らぬ人となったのだ。
大きな喪失感と深い悲しみ──。
暗闇のなか、花屋さんは「せめて『この人と仕事をしたい』と思える人と仕事をしよう」と思い立つ。その一人が、昔からの友人で仕事仲間でもある、岡山県・西粟倉村に拠点を持つ『西粟倉・森の学校』と『エーゼロ』の代表取締役・牧大介さんだった。『エーゼロ』は2016年から毎年、厚真町が主宰する「厚真町ローカルベンチャースクール(以下、LVS)」を運営していた。「LVS」とはいわゆる学校ではなく、移住・起業したい人をまち側がサポートし、起業プランのブラッシュアップと選考会を行うプログラムだ。花屋さんはアプリ開発の傍ら、その運営に欠かせないメンターを務め、厚真町をたびたび訪れた。
同社は、2018年5月に100パーセント子会社となる新会社『エーゼロ厚真』を設立し、厚真町で関係人口の創出や地域商社事業に取り組むため、まちに常駐する担当者を求めていた。花屋さんは、牧さんの話を聞いて決めたのである。「僕が行くよ」。落ち込んでいれば事故や家族のせいにすることになる。それは嫌だと感じたからだ。「前に仕事の失敗から鬱状態になり、どん底を味わったことがありました。あのときよりも落ちたくないと思ったんです」。進行中の案件を終わらせ、10月から厚真町へ行くことにした。
まさにその準備の真っ只中、9月6日午前3時7分。厚真町を北海道胆振東部地震が襲う。最大震度は7だった。東京にいた花屋さんは、まちを案じた。
厚真町役場と「ローカルベンチャースクール」。人と人との出会いから、地域づくりが広がります!
地域の未来のため、「厚真町LVS」が始動。
厚真町役場の産業経済課に勤める宮久史さんは、発災直後に役場へ駆けつけた。停電で真っ暗なまちを走り、非常用電源の作動で灯りが点ついた役場を見たときには、少しだけホッとしたという。幸い、役場の建物には大きな被害はなかった。
しかし、町内の被害は甚大だった。後で分かったことだが、地震発生のわずか数秒後には山の崩落が起きていたのだ。加えて道路の寸断、ライフラインの断絶、住宅224棟の全壊、318棟の半壊。
そして、命を落とした36人──。
そこには、役場の職員やその家族も含まれていた。
1週間が経ち、「今年のLVSの開催は難しいですね」と宮さんは上司と話した。実は、「厚真町LVS」の発起人は宮さんだったのだ。宮さんは、2013年に札幌市で牧さんの講演を聞き、林業の6次産業化の実現やリスクをとって挑戦する姿に感銘を受け、数年後に牧さんに厚真町森林資源利活用戦略策定に向けたアドバイザーを依頼。牧さんが西粟倉村で始めた「西粟倉LVS」にも注目し、視察に行き、牧さんをまちに呼ぶなどして交流を深め、「厚真町LVS」をスタートしていた。
この年で3年目だったが、まちの避難所には1000人以上があふれている状況。「まずは町民のみなさんが日常を取り戻すことを優先すべきだし、移住希望者に『今の厚真町にどうぞ来てください』と言うのは無責任に感じられたんです」。そうして宮さんたちは、一度は「中止」を発表したのだった。
地元を愛するまちの人、思いを寄せる、外から来た人。厚真町の未来を一緒に見つめています。
地域課題の解決なしに、復興はありえない。
厚真町で被害が大きかったのは山のある北部だった。北西部の幌里地区で養鶏業を営んでいた小林廉さんは、地震の揺れと土砂崩れの衝撃で目覚めた。小林さんは、まちで一人目の地域おこし協力隊隊員として2011年に札幌市から移住し、13年に『小林農園』を開園していた。
裸足の状態で妻とヘリコプターに救助されたが、自宅と鶏舎、納屋は全壊で、近隣の道路は寸断。1週間後に様子を見に行くことができたものの、大切な約1500羽の鶏は、約半数が地震発生直後にパニックにより折り重なって圧死したようだった。「餌を調達できないので残っ
た鶏に餌をあげることができず、鶏舎の入口を開放したんですけど、日に日に数が減っていき、ある日ゼロになりました」。どんなに悔しかったことだろう。小林さんは養鶏の規模を拡大中で、目標の3000羽にもうすぐ手が届くというときだった。
廃業して厚真町を去るか、それとも──。
悩んだが、自分を受け入れて就農させてくれた厚真町役場や地域の人々への感謝が込み上げてきたという。9月20日頃、小林さんはこう決める。「もう一回、やろう」。新事業を始めるよりも8年ほど携わっている養鶏を続けるほうがいいと考えた。土地を探し、山とは対称的な海側に4倍弱の広さの土地を購入し、新鶏舎を建て始める。多くのボランティアがそれを手伝った。
小林さんが再起を図る姿に、花屋さんや宮さんは強く励まされた。宮さんはさらに、厚真町を含む11の自治体で構成された「ローカルベンチャー推進協議会」で、東日本大震災を経験した自治体から「今までの地域課題の解決なくしては、復興はありえない。未来への目標、旗印が必要」と聞き、「厚真町LVS」の再起動、つまり”再挑戦“を決める。
花屋さんは予定どおりに厚真町へやって来た。まちのさまざまなコミュニティに顔を出し、商工会の理事に推薦された。「このまちに来て、自分ももう一度幸せを目指していいんだと思えるようになった。感謝しています」と話す。
『エーゼロ厚真』と厚真町は、2019年3月に「厚真町LVS」最終選考会を開催。3名の採択者がまちで新たな一歩を踏み出した。
小林さんは現在、4つの新鶏舎に鶏を入れて営業を再開している。「もうすぐ目標の3000羽に届くんです。失ったものは大きいけど、もし届いたら『事業面ではこれでチャラ。なかったことにしてやったぜ』と言いたい」と笑う小林さん。「何かを取り戻そうとするとき、拠りどころになるのは、それまでにできている縁なんですよね。感謝を仕事で返していきたい」と、花屋さん。人の底力と縁こそが、まちを未来に導くのだろう。
災害に対して、普段から備えていること、心がけていることは?
花屋雅貴さん 『エーゼロ厚真』取締役
僕は災害への備えとして実践していることはないんです。ただ、家族の事故を経験して、家族やまちの人から受けとったものは、必ずしも本人にお返しするのではなくて、感謝の分、別のところに返していけばいいと心がけています。「恩送り」ですね。