トリングへの旅

連載 | 福岡伸一の生命浮遊 | 114 トリングへの旅

 2010年8月、私は英国を旅した。それは新潮社の知的な雑誌『考える人』(残念ながら今はない)の取材で、児童文学の古典「ドリトル先生シリーズ」の足跡をたどる旅だった。私は少年の頃、この物語を知り、夢中になった。ドリトル先生は、英国の架空の田舎町・パドルビーというところに住んでいる、ちょっと変わり者で、医者をしていたのだが、途中で人間を相手にすることに嫌気が差して、動物のお医者さんに転向した。そして動物たちがそれぞれ固有の言葉と文化をもっていることに気づき、それを探求しはじめる。


 ドリトル先生はパドルビーの一隅にある大きなお屋敷に一人で住んでいる。とはいえ、たくさんの動物たちが一緒だ。家政婦がわりのアヒルの「ダブダブ」、食欲旺盛で美食家のブタの「ガブガブ」、あらゆる言語が堪能なオウムの「ポリネシア」、番犬の「ジップ」。ドリトル先生は自他共に認める「博物学者」である。原語では、ナチュラリスト(naturalist)となっているのだが、当時はそんなことにまでは気づかなかった。『考える人』ではそんなドリトル先生のゆかりの場所を訪ね、架空の町であるパドルビーのモデルを探し(それは物語によると、ロンドンの西にある河口の港町。海が近く、大きな船が行き来するような中規模の町となっていた)、また「博物学者」ドリトル先生自身のモデルをも考えてみようという企画だった。


 私はまず、トリングにある『大英自然史博物館分館』に出かけた。ここは前回にも話題にしたウォルター・ロスチャイルドの蒐集物を基礎としてできた一大博物館。分館という名称からは想像できないほど大規模な所蔵品を誇っている。


 取材にあたって、ひとつ不思議なことがあった。私の訪問は、ドリトル先生をたどる旅という、いたって真面目な趣旨なのにもかかわらず、なかなか入館の許可が下りなかったことである。博物館はどこでもだいたい来る人拒まずで、むしろ、自然史に興味がある人は誰でもが歓迎されるがゆえの博物館のはずだった。


 しばらくしてようやく許可が下りた。実際に行ってみると、なかなかセキュリティが厳重だった。ゲートに非常ブザーがついていて、それが不意に鳴ったりしていた。その訳はあとになって解けた。


 写真撮影のため、実際の開館よりも少し前から入れてもらったので、展示物を独占できた。そして驚愕させられた。その規模と充実ぶりにである。行けども行けども、ショーケースが並んでいて、その中に、おびただしい数の剥製、標本が陳列されていた。聞けば、哺乳類、鳥類、爬虫類だけで数千点、研究庫に数百万の昆虫、数十万の鳥類標本が収蔵されているという。ほとんどがウォルター・ロスチャイルドが金に糸目をつけず、世界中から漁った蒐集物なのである。そしてそもそもこの建物(筐体は赤いレンガ造りで、切り妻の屋根が幾重にも連なっている)はウォルターの両親(つまり、ロスチャイルド財閥本家)が、ウォルターの成人式の誕生日にプレゼントしたものである。


 さて、話はいったん現在(2019年)に飛ぶ。私は一冊の本を読んだ。『大英自然史博物館珍鳥標本盗難事件』(カーク・ウォレス・ジョンソン著、矢野真千子訳、化学同人刊)という本だ。まずこの漢字ばかりの変なタイトルに引かれ、大英自然史博物館という文字が目に飛び込んできた。これって、あのトリングの博物館のことではないか。次いで、版元の『化学同人』に懐かしい思いが込み上げてきた。


 実はこの版元には個人的な思い入れがある。ここはもともと京都の小ぶりな出版社で、専門家・学生向きの科学書の出版会社だった。京都大学で学んでいた私も化学や生化学の教科書、実験書などを購入していた。そのうちここの編集者と交流ができた。私が海外の研究会などに出席し、その際、おもしろそうな科学読物を見つけると彼に紹介するようなつき合いが始まった。


 そのうち、「じゃあ、福岡さんが翻訳したらどうですか」と逆提案された。私は驚いた。一応、科学者として英語を読んだり書いたりはしていたが、それはあくまで研究論文のこと。研究の英語はほぼ定型で、いってみれば、実験の記述は、何々したら何々になりました、という過去形の連続でしかない。なので、英語を読むといっても限られた能力でしかない。物語を翻訳するというのは途方もないことに思えた。翻訳者としての勉強をしてきたわけでもない。


 でも、せっかくのチャンスをいただいたのだから、チャレンジしてみようか。その安易な気持ちが仇となった。翻訳は究極の精読である。しかも一筋縄ではいかない。私は多大な苦労をすることとなった。


 しかし同時に、これがかけがえのない文章修業の場にもなったのだった。

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