「街と山のあいだ」にある身近な自然や山をテーマにした『mürren』というリトルプレスがある。その小さな冊子は2007年から続いていて、年2回の発行で、もう25号目を迎える。好ましいと思うのは上着やジーンズのポケットに入れて持ち歩けるその判型とテーマの斬新さ。例えば山の標識だけの特集があったり、琉球切手やアイヌの特集号があったりする。決して大手出版社の雑誌にはできないユニークな特集と美しい写真、そして編集者である若菜晃子さんの文章が合わさることによって独自の世界観を有することに成功している。元・山岳雑誌の編集者であった若菜さんが綴る文章はいつもどこか風の吹く場所にいるような、海の近くで波の音を聞いているような、不思議な味わいがある。デラシネ(根無し草)という言葉がよく似合う若菜さんの文章をもっと楽しみたい。そう考えていたところに若菜さんの新しい随筆集が届いた。窓から見える家々の灯りや馬の背中、夜の遊園地、地下鉄の車内から聞こえてくるトランペットの音。旅先の何げない風景に言葉の連なりが詩情を宿し、そこに実在を与える。旅の素晴らしさ、美しさ、不安、恐怖、かけがえのない出会い。この随筆集は旅をすることの敬虔さに満ち溢れている。
『旅の断片』
著者:若菜晃子
出版社:アノニマ・スタジオ