「デジタルx資本」で中小企業再建を手掛ける「くじらキャピタル」代表の竹内が日本全国の事業者を訪ね、地方創生や企業活動の最前線で奮闘されている方々の姿、再成長に向けた勇気ある挑戦、デジタル活用の実態などに迫ります。
お話を伺ったのは、前回に引き続き、千葉県館山市で「原状復帰義務なし」のユニークな賃貸住宅「ミナトバラックス」や、診療所をリノベーションしたホステル「tu.ne.Hostel(ツネホステル)」、そして戦争関連の貴重な手記や書籍を所蔵するコミュニティスペース「永遠の図書室」を経営する漆原秀(うるしばら しげる)さん。(本記事の取材日は2020年11月18日です。)
そして、漆原さんと共に「永遠の図書室」の実現に尽力された藤本真佐(ふじもと しんすけ)さんにもお話を伺いしました。後編です。
古いモノが持つパワーを活かす
漆原さん もともと古い建物が好きになる前から、古い雑貨やビンテージ家具が好きだったんですけど、なんでそういう古いモノが好きなのか考えてみると、長く生きてきたモノだけが発するパワーがあると思うからです。ビンテージの家具1つ置くだけで部屋が魅力的になるのは、その家具が生き残ってきたパワーだと思うんですよね。
漆原さん 建物にもそれがあると思っていて、多くの人は、こんなボロボロの、買う金額より改装費の方が倍かかるような物件にはマイナスの印象だと思うのですが、その方がビフォーとアフターのギャップで驚きが倍増するんです。更地に新しく建物を建てるより、「え、ここって昔診療所だったの?」という方がみんな驚くし、共感も増すし、その力はプロモーションの際の伝播力になると思うんです。
ただ、古い建物のリノベーション工事というのは、金融機関からも工事業者からも嫌がられるという(笑)。
金融機関はやはり築年数や耐用年数に対して融資期間を検討するので、築古物件というだけであまり融資したがらないし、融資期間も伸びないんですね。
工事業者も、新築だと積算が簡単だし、工期がほぼブレない訳です。でも、築古の場合は、床を剥がした時に下地が腐っていたりすると下地からやり直さないといけないとか、壁1枚だと思って剥がしたら2枚目が出てきてそれも剥がさなきゃいけないとなると、工期がどんどん延びてしまうので、工事業者もあまりやりたがらないんですよね。
漆原さん 金融機関と工事会社という2つのネックがあると、大きな物件を金融機関頼みで買うのがなかなか難しいので、まずは手元資金で投資できる規模でやることが必要だと思います。あとはDIYである程度やることが、初期コストを抑える上では必須ですね。
竹内 逆にDIYができない人には向いてない、ということですかね。
漆原さん 業者任せでドーンとやると、日当が1人1万円代後半ぐらいになる訳です。それで1ヶ月工事やると50万円近く、大工さん2人だと100万円近くなるので、初期投資額がどんどん上がってしまいます。
手離れよくやりたいのであれば、新築物件とか、誰かが作ったものをポンと買った方がいいのでしょうけど、僕は半分プラモデル作りみたいな気持ちなんですよね。作ること自体が趣味というか楽しみなので、完成した時は喜びもありますが、終わっちゃったっていう寂しさもあるんです。
もちろん自己物件だからできることではありますよ。お客様のいる請負仕事でやろうとすると、やっぱり粗い仕上げだらけなので。
旧帝国陸軍大尉の息遣いが残る「永遠の図書室」
竹内 賃貸用アパート、ゲストハウス、お蕎麦屋さんという流れの中では、先ほど見学させて頂いた「永遠の図書室」だけ少し毛色が違いますね。
漆原さん 「永遠の図書室」のある建物は、元々は飯塚浩さんという旧帝国陸軍の元大尉だった方が復員後に営んでいた薬局兼住居でした。
あの中に戦争関連の書籍がたくさん眠っているとは露知らず、10年くらい前に初めて見た時から、「町の大きな交差点に立つ円形の象徴的な建物で非常にチャーミングだな、空いているなんてもったいないな」と思っていた建物でした。
その後、ご縁があってお話を頂いたのですが、不動産屋さんから「多分売りに出ますけど、あなたが買わないと更地になっちゃいますよ」と言われて、「あの建物が更地になるなんて許せない!」という変な使命感からなんとか入手だけはしました。
築年数が古く、金融機関からは融資を断られたので、友人・知人からお金を借りてなんとか入手したのですが、入手をしたら今度は生活雑貨、家具、衣類、書籍などの残置物だらけ。
戦争の本が多いなとは思っていたんですが、とにかく片付けようと思い、本を1階の元々薬品棚だった棚に並べ始めたら、思った以上に数があるぞと。どうやら数千冊あることが分かり、生活雑貨や家電はどんどん整理したんですけど、書籍と手記だけはどうしても手が付けられなかった。手記に込められた飯塚さんの思いがひしひしと伝わってきたからです。
これはどうしようかなと悩んでいた時に、藤本さんと久しぶりに再会しました。藤本さんが戦地・戦跡巡りをライフワークとし戦史研究をされていることも知っていたので、何か意見をもらえるかなと思って相談したところ、「手記もあるのか?」と。
「あります」と答えると、「じゃあ行くわ」と来てくれて、初めは何冊か借りていこうという感じだったんですけど、手に取って読むうちに顔色が変わり、「これはすごい、民間でこのレベルで置いてあるところないから図書室にしよう。俺もサポートするから」と。
実は、その5日後くらいに戦争専門の古書店に引取のアポイントを入れてあったんです。
竹内 売ってしまおうと。
漆原さん 捨てるくらいだったら売っちゃった方がいいかな、というくらいの考えでしたが、藤本さんが「断れ」と。すぐ電話してすみませんと謝り、そこから図書室プロジェクトがスタートしました。
竹内 藤本さんがキープレーヤーとして登場されたので、ここで簡単に藤本さんのご経歴に簡単に触れさせて下さい。
藤本さんは私が2018年まで社長を務めていた株式会社アイ・エム・ジェイ(現アクセンチュア グループ)という会社の創業者兼初代社長で、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社やそのグループ会社数社の社長・取締役・執行役員を歴任され、私の社会人としての大先輩にあたります。
近年は精力的に太平洋戦争や日露戦争の戦地巡りをされていますが、元々はどのようなきっかけでその活動を始められたのですか?
藤本さん 2001年、当時の小泉総理大臣による靖国神社参拝により日中の対立が激化した時、中国でやっていたビジネスが結構ダメージを受けたのがきっかけで、なんで中国人や韓国人は未だに昔の戦争のことで怒っているのか不思議に思ったのが最初です。
しかし調べれば調べるほど真実が分からなくなりました。映画、本、博物館などを色々見ましたが、結局真実は行ってみないと分からないと思い、旧日本軍が侵攻した地域を廻り始めました。
西はミャンマーのインパール地方、北はモンゴルのノモンハン、東はガダルカナル島など旧日本軍の主要な戦線は大体訪れたと思います。元々旅行好きでもありましたが、海外旅行は昨年100カ国訪問を達成しています。
竹内 漆原さんの方は、元々近現代史や戦史にご関心はあったのでしょうか?
漆原さん 僕自身は正直あまり興味がなく、どちらかと言うと戦争は怖いもので見ないふりをするという感じでした。
竹内 膨大な手記や書籍があるから図書室を作ろうと言われても、元々は建物全体をシェアハウスにするご予定だった訳ですよね?
漆原さん 2階と3階はシェアハウスにしようと思っていましたが、元々薬局店舗だった1階については、クラフト作家さんやクリエイターさんたちが集うチャレンジショップみたいなものをイメージし、テナントに貸し出すことを考えていました。自ら図書室をやるイメージはなく、最初は「え、図書室?戦争の?重いな、、、」みたいな気持ちもありました。
リノベーションを通じた町づくりって、建物という「空間資源」をなんとかしようという取り組みでもありますが、それを掘り下げていくと、文化的資源や歴史的資源、人的資源にぶち当たっていくんですね。
空いてるハコを使い、今ここにいる人と、昔の文化・歴史を再編集するのがリノベーションなんですけど、僕はその時に「あ、そうか。この町でいうところの歴史的資源、人的資源というのは戦争経験者であった飯塚さんであり、戦争を含めた歴史の中で蓄積されてきたドキュメンタリーであり、それこそがこの町の資産なんだ」と思ったんです。
であれば、この町の歴史的・人的資源を、空いている空間資源に収めることは、町づくりそのものだと理解し、気持ちが乗ってきました。
永遠の命を与え、次世代に引き継ぐ
漆原さん 「永遠の図書室」の成功要因、といっても成功までいっていませんが、ユニークさを訴求できた要因は2つあると思っていて、1つは「永遠の図書室」というネーミングです。
竹内 これは百田直樹さんの小説「永遠の0」をモチーフにされたのでしょうか?
漆原さん そうです。僕は「永遠の0」は観たことがなかったのですが、藤本さんに「お前、観てないのか?たった2時間だぞ、観ろ」と言われて。竹内さんはご覧になりましたか?
竹内 はい、本も読んでいますし、映画も観ました。
漆原さん あの映画で、主人公がおじいさんの過去を辿って色々な人に会って回るとか、プロファイリングをしていく活動が、丁度飯塚さんの手記がどんどん見つかって彼の経歴が見えてくるプロセスに重なって、藤本さんが「『永遠の0』みたいだね」と仰ったので、じゃあ「永遠」と「図書室」をくっつけて、「永遠の図書室」でどうだろう、みたいな話になったのです。どこかの居酒屋で。
このネーミングのお陰なのか、宣伝も特にしていないのですが、兵隊だったおじいさんの形見の軍装品などを寄贈して下さる遺族の方が増えました。これが「兵隊図書館」みたいな名称だったら、多分集まらなかったと思うんです。ここに預けたい、語り継いで欲しい、という思いに応える意味でも、象徴的な名前にすることができました。
竹内 私も祖父が亡くなった時に祖父の軍隊手帳を初めて見ましたが、そこには、広島県の宇品から出港する際の不安、戦地であった中国安徽省での戦闘記録、別の連隊にいた親友戦死の報を受けた時の絶望など、個人的な考えまで生々しく書かれていました。これを図書館とはいえ他人に託すには相当の抵抗があるので、「永遠の図書室」という名前であれば、抵抗感は減りますよね。
藤本さん 飯塚さんの手記にはいわゆる従軍慰安婦のことも書かれていますし、日本兵と一緒に戦った台湾兵に対する補償活動なども非常に詳しく記録されていました。
竹内さんが生きている間はおじいさまの軍隊手帳は大切に保存されると思いますが、その先はどうなるかわかりませんよね?今日本では、引き取り手のない戦争関連の手記や写真が沢山あり、どんどん捨てられてしまっているので、そういうものを全部かき集めたいと思っています。
漆原さん 「永遠の図書室」の2つ目の成功要因は、ここで働いてくれている堀口さんがまさにそうなのですが、サブカルから入って戦争に興味を持った若い女性がスタッフをしてくれているという点です。
漆原さん 大概の戦争図書館というのは、自分が持っていた、あるいは父親が持っていたものを並べただけの私物コレクションみたいなものだと思うんです。そうではなく、これだけの規模の蔵書や手記を、次世代の人が引き継いでやっている施設はあまりないと思います。
竹内 今後はどのような取り組みを進めていく予定なのでしょうか?
漆原さん よく皆さんに「どうやってマネタイズするんですか?継続するんですか?」と聞かれるのですが、実際に出征した人たちの年齢が現在95歳から99歳くらいになっており、あと4、5年もすると出征体験者ゼロという時代になってしまいます。なので、とにかく今は手記や蔵書を集めること、そういうものを残そうよという気運を作るのが最優先だと考えています。
あまり焦ってお金に変えていくことは考えないようにしているんですけど、最小限のコストで図書室を運営できるやり方をまず考えながら、遠隔地の人が蔵書を検索して借りられる仕組み、遠隔地から寄贈品を集める仕組みをシステムとして立ち上げようとしています。
蔵書や手記のデータベース化までは済んだので、あとは業務フローを作り、ホームページを作るようなフェーズです。12月2日からは、その取組実現に向けたクラウドファンディングを開始する予定で、来年2月くらいには実現させたいと考えています。
竹内 楽しみにしています。漆原さん、藤本さん、本日はありがとうございました!