私は大阪府で生まれ育った。母が奈良県出身で、祖父は熱心な修験者でもあった。そのことを知ったのは奈良によく行くようになってからなのだが、その話の内容はまるで物語を聞いているような不思議な話が多いのだ。
一本歯下駄を履いて山で修行していたとか(木に登り一本歯下駄を履いて枝の上に立っている写真を見せてもらったことがある)、大峰山で一人で1週間の断食をし、修行中に気を失って倒れているところを発見してもらえて助かったとか、修行をしていると空を飛んでいる感覚になるとか、普段の生活からはかけ離れた話が多かった。私にとって奈良とは、まさしくミステリアスな場所なのである。
十津川村はそんな奈良県の最南端に位置し、近年道が整備されたとはいえ大阪府からは車で3時間半ほどかかる位置にある。なかなか辿り着けないような場所であり、たくさんの昔話も残っている地域である。十津川村に行くようになったきっかけが何だったかは、今ではハッキリとは思い出せないのだけど、複合的にいろんなことが重なっている。とはいえ“何度も行く理由”は私の中では一貫していて、それは私とその場所に住む人との間に何らかの関係性があるかないかにある。
友達に誘われ十津川村武蔵集落の盆踊りの手伝いに行き始めたのは13年ぐらい前だっただろうか。その当時、大阪市立大学の先生をされていた中川真先生が、夏休みに学生を連れて盆踊りの継続支援の活動をされていて(40年以上続けている)、そこに参加させてもらったのがきっかけで毎年のように盆踊りの手伝いに行くようになった。十津川村の盆踊りの魅力は華やかさであり複雑さでもある。「大踊」は国の重要無形民俗文化財に登録されている。うまく踊れるまでには練習が必要で、私は未だにうまく踊れなくてもっぱら写真を撮るか、楽しそうに踊っている姿を眺めていることが多い。
公民館では10〜15名が家事を分担し、夜は一間に布団を並べ合宿生活。年齢も職業もまちまちな人たちが毎年盆踊りの時期に集まり独特な雰囲気を醸し出している。自販機もないような場所なので、櫓の設営や踊りの練習をする以外はやることもなく、のんびりした時間を過ごす。踊りを教えてもらったり散歩したり他愛もない話をしたり。次第に古い木造の小学校校舎と校庭に櫓が建てられ提灯も飾られ、本番になると村の人たちと櫓の周りをぐるぐる踊り、お酒を飲む。
そこには懐かしさや日常とは違った時間の流れをみんなで共有しているように感じられ、翌朝片付けをし、また来年会いましょうと心の中で呟きお別れをする。
ずっとこういった場所で生活している東さんの佇まいと話し方は、大峡谷と相まって心地よい。瀞峡を知り尽くした東さんは私の呼吸に合わせてくれるように舟を操舵し撮影をサポートしてくれる。瀞峡と東さんは私にとっては一体みたいなものだ。
最近の出来事を話したり、一段落すると「昼寝していくか?」と言われ、座布団を枕に横になる。そして帰るときはいつも表玄関で一旦お別れをするが、今度は家の裏手に周り山道を下り車が見えなくなるまで手を振って見送ってくれている。
その場所とそこにいる人たちと関係が築かれ、私も含めた記憶のような写真を、私は撮っているのかもしれない。