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【熊本県菊池市】創業60年超「三牧食堂」店主・博之さんに歴史と今後について聞いてみた。

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熊本県菊池市で60年以上もの間、まちのみなさんに愛されてきた老舗の「三牧(みまき)食堂」。 地元で暮らす多くの方が、子どもの頃に一度は行ったことがある、菊池市の心象風景のひとつです。 今回は店主・三牧博之さんに食堂と地域の移り変わり、その歴史をうかがっていきます。 総合貿易会社にお勤めのサラリーマン時代から、スーツを脱いで、前掛けを腰に巻いて、まちの食堂を営み続けた人生のお話です。

目次

三牧食堂ってどんな食堂?

こちらは、創業60年を超える老舗の「三牧食堂」。店を切り盛りするのは三牧博之さん・優子さん夫妻です。

食堂は1960年代に創業し、以来地域に愛され続けるお店です。今でもお客の大半は子どもや学生。昔、三牧食堂に通い大人になった今も、懐かしい味と居心地のよさを求めて訪れます。大人になり県外へ出た方も、帰省する度に食堂へ足を運ぶそうです。

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子どもにも、大人になってもやさしい価格設定

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昭和時代の雰囲気が今も残る店内。その要因は当時と変わらない、懐にやさしい価格設定にもあります。(※取材当時の価格のため、金額が異なる場合がございます)

・たこ焼き1皿220円
・焼きそば350円〜 
・たい焼き120円

などなど。博之さん曰く、

「子どもがお小遣いで買えるように」

と、今でもこの金額で販売しているそうです。この思いは食堂の創業者、今は亡き博之さんのご両親から受け継いでいます。地域にとってなくてはならない三牧食堂。博之さんは今年で79歳。三牧食堂の誕生から、博之さんの人生も絡めて、いろいろお話を聞いてきました。

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博之さんの両親がはじめた三牧食堂

三牧食堂を始めたのは、博之さんのご両親。菊池市内の総合庁舎に務めているみなさんを相手に商売をしようと、1〜2台の鉄板を用意しました。そのとき目玉商品にしたのが、たこ焼き・お好み焼き・焼きそばでした。

しかし目論見とは裏腹に、オープン直後から大勢の地元の子どもたちが来店するようになります。三牧食堂は小学生から高校生の若者たちで賑わい、次第に鉄板焼きの台も増え、まちの人気店となりました。

博之さんが跡を継ぐことになった理由は?

その頃の博之さんはというと、今とまったく違う人生を歩んでいました。

高校3年生の頃に大学受験で失敗し、「全部覚え直したらどこの大学にも行ける!」と浪人を経て進学する覚悟を決めていました。ところがそんなとき、ある人から

「貿易会社で働いてみてはどうか?」

と就職試験のお誘いが……。英語や語学が好きだったこともあり、博之さんの進学への気持ちが揺らぎはじめます。結果的には、入社試験を受けて総合貿易商社に見事合格。最初は受験勉強を頑張ろうと心に決めていましたが、「せっかく合格したから」と、貿易商社マンとして働くことになったのです。

貿易商社での仕事は順風満帆で、着実に出世コースを歩みはじめていた博之さん。ところが、大阪転勤を経て、そこでの暮らしが1年半くらい経った頃、店を切り盛りしていたお母様が倒れます。そして、三牧食堂に存続の危機が訪れたのです。

スーツを脱いで、前掛け姿で働くことを決める

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家族会議を重ねた末、博之さんは大きな決断を下します。24歳で地元へ帰り、三牧食堂を引き継ぐことを決めたのです。その時の気持ちを博之さんは

「サラリーマン人生しか考えてなかったのに、まさか前掛け姿で食堂で働くなんてな……」

貿易商社でのキャリアライフを捨て、熊本県菊池市へ帰ってくるしかありませんでした。その後、熊本で妻・優子さんとのお見合いを経て結婚。今に至るまで2人で三牧食堂を切り盛りしてきました。

全盛期の三牧食堂。子どもたちを見守り続けた日々

全盛期の三牧食堂はたくさんの子どもたちで大繁盛。下校時間になると、座る場所も歩く場所もないほど、子どもたちでにぎわいました。その子どもたちも今は立派な大人になりましたが、懐かしい味や居心地のよさを求めて、今度は孫や子どもたちを連れて来店しています。

それ以外にも、「〇〇大会で優勝したよ」「今度、校長先生になりました」など、めでたい報告をわざわざ知らせに来てくれる昔のお客さんもいて、三牧食堂には子どもたちとの楽しい思い出がたくさんあるんだとか。また、まちの子どもたちを相手に長く食堂を営んでいると、色々な出来事があるそうです。

ある日、熊本市内の高校に通う学生が、角の席でタバコを吸っていました。博之さんは

「うちの店ではどうしても吸ってほしくないんだ。預かっとこうか?」

と注意することも。また、男女で仲良しすぎてベタベタされすぎても困ります。

「他の生徒の手前もあるから程々にね」

など、対応と注意には神経を使っていたそうです。部活後、食堂でおしゃべりが弾む学生を見れば、

「帰りが遅くなると親御さんは心配するよ」

と、こちらから時間を気にして声をかけたり、

「家に帰っても、晩御飯はしっかり食べなんばい!」

と話をしたりしていたそうです。電車に乗り遅れた運動部の女子3人を30分かけて家まで送り届けたこともあります。店のお客には子どもや学生が多いこともあり、近しく付き合うと同時に、いろいろ気にかけなければならないことも多かったそうです。

時代と共にまちが変わり、三牧食堂にも変化が……

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1986年、熊本電鉄菊池線の区間廃止で街中の交通事情が大きく変化。菊池駅から菊池高校までの通り道の途中にあったこの三牧食堂への人の流れはどんどん寂しくなっていきました。

電車が走っていた頃は、三牧食堂の前が朝市が開かれるようなメインストリートでした。しかし、時代の変化と共にメインストリートも、一本隣の道路へ、そしてまた一般隣の道路へとゆっくりと離れていきました。

博之さんは

「電車がなくなって、まさかここまで人の流れが変わるとは思っていなかった。自然の成り行きだから仕方ないけど、まちの歴史があってここまで店もやってこれた。ありがたい私の人生です。」

と話しつつ、今でも夫婦二人でコツコツとお店を続けています。

“もうそろそろ?” 三牧食堂のこれから

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三牧さんには娘さんがいらっしゃいますが、跡は継がないようで、区切りをつけて閉店するか、後継者を募集するか悩んでいるところだそうです。

「店舗、厨房設備、お客さんがいるという利点があるから、継業も含めて、誰かとマッチングさせるのもいいかと思う。これからどんなに頑張っても1〜2年かな。体力だけはどうしようもない。」

と博之さんは言います。地元・菊池市で世代を超えて愛されてきた三牧食堂。ご夫婦が営業されているうちに、思い出がある方はぜひもう一度、足を運んでいただければと思います。

素敵な三牧食堂の思い出が、菊池市でずっと続いていきますように。

photographs & text by Rika Takamoto
ライタープロフィール
高本梨花|田舎で探究ローカルイノベーター
熊本在住24歳のフリーライター。化学反応が起こる瞬間をデザインしたいと20歳で起業。人が好き、田舎が好き、魚が好き、探究が好き。取材を通して面白い地域の方々と出会える事を楽しみにしています。
https://lit.link/rika0Ktion#

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