左官・都倉達弥さんがつくる、古さの上のあたらしさ。

左官・都倉達弥さんがつくる、古さの上のあたらしさ。

自らの技術を常に磨きながらも、新旧さまざまな世界中の人、デザイン空間に刺激をもらいながら日々、壁をつくり続ける。職人として未来を見すえる、そのまなざしの先にあるものは。

”自分の基準”があれば、どこへ行っても通用する。


 壁を塗るときは、頭の中に一本の線を張り、神経をぐっと集中させる。たとえば茶室を塗るときはぴーんと強く。同じテンションで家のリビングをやると、壁が緊張しすぎてしまうから、”やさしい壁“を塗るのであれば糸を緩めて笑いながらやる。海外での壁づくりや同世代で他分野の職人たちとのコラボレーションをとおして、着実にキャリアを積んでいる左官職人・都倉達弥さんが師匠から教わり、実行していることだという。


目の前を見て、一歩引いて見てを繰り返し、常に第三者的視点をもって仕上げていく。
目の前を見て、一歩引いて見てを繰り返し、常に第三者的視点をもって仕上げていく。

 取材時、都倉さんは千葉県にある個人宅の”ほどよい緊張感のある壁“を仕上げていた。その作業は見惚れてしまう美しさ。下塗りしたものが乾かないうちに、ときに広く、ときに細かく、ときに早く、ときにゆっくり、こてを動かしながら、緻密に壁を仕上げていく。作業しているときに考えていることを尋ねると、「なにも考えていません」という返答。「でも、近いところを眺めながらも、常に一歩引いたところから、第三者として壁を眺めるようにはしていますね」と、先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように都倉さんはにこやかに笑った。


 高校まではサッカーばかりの毎日で全国大会出場まで果たしたけれど、そこで実力の差を知り、すっぱりとサッカーも大学進学も将来の選択肢から除外した。父親が大工の棟梁で、兄も大工の世界へと入った。いつか父親と一緒に働けたらという気持ちはあったけれど、家族にこれ以上、大工はいらない。だから父親に、「大工の次に大切にしている職業は?」と尋ねると、返ってきたのが「左官」という答えだった。


こてを握る都倉さんの指には、左官ならではのタコが。
こてを握る都倉さんの指には、左官ならではのタコが。

「でも、僕、左官がなにをやる人か知らなかったんですよ。聞いたら ”壁を塗る人“だと。それならいいかなあと。だって、家を建てたら壁はいっぱいあるから(笑)」


 10年でようやく一人前の職人になれると言われるのが左官の世界。「技術を身につけるには早いほうがいい」と思い、高校卒業後すぐさまこの世界へ飛び込んだものの、大分県の親方・原田進さんに弟子入りして過ごした修業時代の始まりは、来る日も来る日も荷物運びと掃除ばかり。半年たってようやく材料の配合を手伝わせてもらえるようになり、壁を塗る材料となる土や砂、水、スサ(藁)などの材料の分量や入れるタイミング、混ぜ方などを徹底的に叩き込まれはするけど、いつまでたっても現場で壁は塗らせてもらえない。兄弟子がやっているのを真似て、仕事を終えたあと倉庫に残り、壁を塗る練習を重ねていった。


材料をどのくらいの分量で入れ、どのくらい混ぜ合わせて、どのような状態にするのか。壁の仕上がりの7〜8割は、こうした材料の混ぜ方によって決まるという。
材料をどのくらいの分量で入れ、どのくらい混ぜ合わせて、どのような状態にするのか。
壁の仕上がりの7~8割は、こうした材料の混ぜ方によって決まるという。
壁の仕上がりの7~8割は、こうした材料の混ぜ方によって決まるという。

 ようやく現場で下塗りをさせてもらえたのは弟子入り後、2年たってから。とはいえ、その後もほとんどが材料を混ぜるばかりの日々が続いたため、モチベーションが保てず、手の怪我をきっかけに逃げ出そうとしたこともあったという。


 そんな都倉さんに、日本の”徒弟制度“についてどう思うかを尋ねると、「下積み時代の経験は、職人としての基準をつくるうえで大切な期間」と断言。「親方から、なにが正しくて、なにが正しくないか、地に足をつけて学ぶ期間は絶対に必要。そうでないと、自分がなにをしたらいいかすらわからないので」。


 4年で弟子上がりをして、職人として同じ親方の下で1年間働いたあと、拠点をドイツに移して過ごした1年間でも下積み時代の経験が役に立ったという。親方が毎年やっていたドイツのアーヘン工科大学でのワークショップとともに任されることになった、南アフリカでの壁塗りでも現地で採取した土を使った。南アフリカでは「自分がいなくなっても現地の人たちだけで壁塗りができるように」と、そこにある土や砂をどのように混ぜたら材料ができるかをみんなに教えた。いろいろな土で配合をする下積み時代の経験があったため、初めての土でも難なくできた。


杉でできたこて板に材料をのせる。
杉でできたこて板に材料をのせる。

 左官という職業は、たいていどこの国にもある。そんな中、海外での経験を経てわかったのは、海外では素材を「使う」ことが多いけど、日本の職人は素材を「活かして」仕上げていくこと。日本人は独特な感性で繊細な壁をつくる。ならば、自分はどう活かして、どんな壁をつくろうか。そう自問した都倉さんは、まずは自分に足りない技術をつけようと、帰国後は東京の左官職人・勝又久治さんの下で働くことにした。


世界を広げながら、新しい文化をつくる。


 他分野で活躍する同世代の職人仲間・庭師の山口陽介さん、茅葺き職人の相良育弥さんと出会ったのもこの頃だった。それぞれの分野で自分の世界を掘り下げながら活動している三人はすぐに意気投合。さまざまな現場で一緒になったほか、野外フェスのステージをつくったり、写真展の装飾を行ったりもした。三人で作業をすると、世界がどんどん広がっていくのがわかった。


 毎年行っているドイツでのワークショップにも二人を誘った。茶室に庭をつくり、建物に茶室と待ち合いという関係性をもたせたことで、それまでただの建物だったものがひとつの風景になった。


 最初は「壁を塗るのが好き」から始まった左官という仕事。やっていくうちに、梅雨時は湿気を吸い取り、冬場は潤いをもたらしてくれる土壁は、機能的にも優れていることを知った。そして今では、自分がつくった壁が、時代や地域を超えて文化を伝えることも国内外での経験をとおして体得した。


修業時代、来る日も来る日も材料を混ぜた経験が今も生きる。大分時代の師匠・原田進さんは、移動中でもいい土を見つけると引き返さずにはいられないくらい土へのこだわりがある人物だとか。
修業時代、来る日も来る日も材料を混ぜた経験が今も生きる。大分時代の師匠・原田進さんは、移動中でもいい土を見つけると引き返さずにはいられないくらい土へのこだわりがある人物だとか。

 現在の住宅環境を見ると、クロス張りのマンションや家がほとんどのうえ、DIY流行りで珪藻土や漆喰を自分たちで塗る人たちが増えている。「家づくりに関心を持つ人が増えることはとてもうれしい」と言う一方で「左官の仕事は、しっかりある」と都倉さんは言う。


僕がつくりたいのは、そっとある壁。目立たなくていい。ただ、やさしく寄り添ってくれるような壁がいい。


 仕事は言われるがままにやるのではなく、施主や設計士としっかり対話して、彼らが求めている以上の壁をつくる。知らない人にはしっかりと説明して、職人が仕上げる自然素材の壁のよさを伝えるとともに、その壁と生活の中で寄り添いたいと思えるよう対話を重ねる。


呼吸のわずかな振動ですらブレるもととなるため、ぐっと息を止めてひと塗りを行う。
呼吸のわずかな振動ですらブレるもととなるため、ぐっと息を止めてひと塗りを行う。

 あたらしい素材や方法、デザインを否定するのではなく選択肢のひとつとして考える。でも、それだけではそれらはすぐに廃れてしまうことは目に見えているから、昔ながらのやり方のうえに、あたらしいことを取り入れていけばいいと思っている。


「どちらがいい、悪いでなく、僕がやりたいのは、しっかりとした技術の上にあたらしいことを混ぜ合わせていくこと。昔の職人は、脈々と技術と配合と発想を進化させてきてくれました。それをしっかりと今に受け継いでいき、後世に残していけるものをつくっていきたい」と語る都倉さんの瞳は力強く輝いていた。あたらしい文化は、あたらしい価値、そして美しさとともに、こうしてつくられていくのだろう。

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