別府を若者のチャレンジを応援するまちへ。リモート×ローカルで地域と共に生きる

別府を若者のチャレンジを応援するまちへ。リモート×ローカルで地域と共に生きる

観光温泉のまち・別府。東京からUターン移住した深川謙蔵さんは、自分の強みで基盤を支えながら、ローカルプレイヤーとしても挑戦を続ける。地方でも自分の夢のために、そしてまちのためにチャレンジできる、これからの働き方を読み解こう。

昼はリモートワーク、夜はバーテンダー


2019年3月に東京から大分県別府市に移住し、街中で飲食店を経営する深川謙蔵さん。レコードとフルーツサワーが楽しめるお店「the HELL Record & Sour」には、深川さんの友人から今までバーに行ったことがない人まで、日夜様々なお客さんが訪れる。地域の人、別府にやってきた観光の人。多様な人が交わる交差点となり、そこから新しいことが生まれていく場所にしたい。そんな想いで営む深川さんの拠点だ。


バーの内観


バーが始まるのは夜の8時から。しかし、この場所へ行けば日中でも深川さんに会うことができる。深川さんの生活の基盤は、二足の草鞋だ。別府の街中でバーを経営する傍ら、もう一足は、東京の人材系企業で新卒採用支援の仕事をしている。朝9時からパソコンの前で朝礼を済ませ、日中はこのお店が事務所となってデスクワークをこなすのだ。夕方まで働き、定刻になればバーテンダーの顔に切り替わる。


大学を卒業し、新卒で入社した企業で人事部署に配属され、移住するまでの4年間キャリアを積んだ。その経験・スキルを活かして都市部から仕事を請けつつ、“まちの人”として生きる地方でのロールモデル。深川さんの生き方は、柔軟かつ堅実なしなやかさがあった。移住前後のお話を詳しく訊いてみよう。


大学時代の繋がりを守り続ける


深川さんが別府への移住を決めたのは、社会人3年目の中頃。別府市にある立命館アジア太平洋大学(以下、APU)に進学し、そこで多くの出会いと経験に恵まれた。


大学時代の深川さん


大学を卒業し、東京で就職した後も、数ヶ月おきに足繁く別府へ通った。


深川さん「むしろ、僕にとっては『別府に帰る』という表現がしっくり来てました。イベントの手伝いなんかで呼ばれて、お金もかかるし大変なんですけど、それも楽しくて。別府に戻って友人と会うたびに『それで、いつこっちに帰ってくるの?』と聞かれるのがお決まりでした(笑)。」


社会人になっても、そうやって別府やAPUとの繋がりは途絶えず、保ち続けたのだった。


APUの友人たちと。


どうしてここまで別府に惹かれるのか、東京に行っても深川さんを別府に繋ぎ止めたものとは何だろうか。それは、別府という町がいろんなヒト・モノを受け入れる寛容な性格だったことが影響している。町の目の前には海があり、後ろには山が囲う港町・別府。新しい文化は海から船に乗ってやってきた。町の外の文化を歓迎し、新しいチャレンジに対しても応援してくれる土地柄だったのだ。


別府の町の風景


小さい頃から親の転勤で引っ越しを繰り返してきた深川さん。日本各地を転々としながら、今では佐賀県に実家は落ち着いている。しかし、居心地の良さ、過ごした時間の濃さから、いつしか別府が深川さんにとっての故郷に。そんな町で、大学卒業直前の10ヶ月間、飲食店の経営にも挑戦した。様々なチャレンジの経験と地域の魅力から、学生時代から独立の意思が芽生えていたという。そして、その場所は別府だと心に決めていた。



別府への移住に向けて。そして、これから

東京から大分・別府へ、着実に備える


東京で仕事をしながらも別府との関係性を保ち続け、社会人3年目の半ば頃で別府に帰ろうと決意した。別府の人間関係は今も続いているので問題はない。しかし、移住に加えて開業となれば、準備することはたくさんあるし、もちろん乗り越えるべき障壁もあった。まずは、別府でどんな仕事をするか。


深川さん「移住・独立という目標が先にあって、実は別府で何をやるかはその後で決まったんです。今の自分のキャリアを生かして、APUの就職支援課や民間企業の人事課などが思い浮かびました。でも、それは少し違う気がして。どうせなら自分で何かやってみたいなって。その『何か』は、学生時代の経験・ノウハウがある『飲食店』にしようと決めたのが、移住の半年前くらいでした。」


大学時代のバーテンダーをする深川さん


次に、お金だ。深川さんは堅実に資金を工面し、移住・開業に備えた。移住を決意してから始めた約2年間の貯金、クラウドファンディング、両親からの借入。合わせて300万円ほどを別府でのスタートのために用意したそう。


そして、家族や恋人からの理解を得ることも重要なステップ。資金面で応援してくれた深川さんの両親だが、説得のためにはきちんとプレゼンを行った。独立への心配を拭うため、どんなお店にするか、資金をどれくらい・どのように集めるか、二足の草鞋で生計を立てていくこと、などなど。息子の挑戦に心配は募るが、それを押し切る形で移住を踏み切った。


父親と一緒にお店作りをする様子


深川さん「実は父親が建築士で、お店づくりにも父の力を借りました。週末に父が別府まで足を運んでくれて、1ヶ月ほどかけて一緒に店舗を作っていきました。僕自身すごく心強かったですが、父も楽しんでやってくれていたので、良かったのかな。」


父親作成の簡易的な設計図


そうして、深川さんは自分の身近な人と共に別府移住への道を歩んでいった。準備を怠ることなく、また応援してくれる人との関係性を築きながら、着実に移住のステップを進めていった深川さん。二本の柱で生計を立てる働き方と同じく、堅実でしなやかな立ち振る舞いがあった。最後に、今年のコロナ禍の影響や、状況の変化とその対応について訊いてみた。


別府でのこれからの生き方


自分の得意なこと・培ったスキルで安定した収入を得る一方で、愛する別府に自分の拠点を構え、まちの人として地域に暮らす。昨今のコロナ禍で、場所を選ばないリモートのワークスタイルが急速に普及した今、こんな地方での生き方も決して遠い夢ではなくなった。


また、開業して1年が経つ頃にコロナの打撃を受けたため、この期間でさらに働き方を考え直したという深川さん。


別府の商店街風景


深川さん「飲食店だったので、コロナの影響はモロに受けました。特に4〜5月ごろは客足もぱったり止みました。だからこそ、サブの採用の仕事があったおかげで大きく助かりました。加えて、果たして基盤は『二足』でいいのかな?ということも考えました。」


元々、最初は昼飲みができるように昼の2時〜夜12時まで営業をしていた「the HELL Record & Sour」。しかし、東京に比べて昼飲み文化が根付いていない別府ではあまり響かなかった。そこで、半年ほどで昼飲みを辞めて時間を短縮し、夕方6時〜夜12時の営業に切り替えることに。


またそこからさらに、このコロナ禍で時間の使い方を考え直し、お店の営業時間を夜9時〜12時へと変更したのだった。開店時間までは採用の仕事の割合を増やして収入をカバー。


深川さん「営業時間を短くしたところ、お店の売り上げが以前と変わらなかったんです。これ、もう3時間でいいんじゃね?と思いました(笑)。」


お客さんで賑わうお店


環境の変化に対応してみたら、問題なく適応できてしまった。そんな深川さんの柔軟さが感じられる。しかし、ただ営業時間を短くしただけではテナントを借りているのが勿体ない。その空いた隙間を埋めるように生まれた次なるもう「一足」が、学生のチャレンジショップとしての運営であった。


深川さん「大学時代お店をやっていたその時に、初めて『まちの中の人』になれた感覚がありました。それまでは、ただの別府にいる大学生で、お客さんでしかなくて。その感覚を持てた時に、まちの課題や人の繋がりなど、色んなことが見えてきたんです。こんな経験を、もっと若い世代に感じて欲しいなと思っていて。」


学生が運営する運営するお店の様子


今の深川さんのお店は、週末だけ3つの顔がある。カフェをやりたい学生、ご飯を提供してみたい学生などに場所貸しをして、昼の1時〜夕方4時まではカフェ、夕方5〜夜8時までは立ち飲み屋、そして最後に夜9時〜12時で深川さんのバーが始まる、といった具合だ。それが、3時間ごとにコンセプトが変わる「3 HOURS  STORE」。挑戦してみたいAPUの大学生に、深川さんが集客のサポートや運営に関するアドバイスなどを行う。そうして、深川さんはまちと大学の距離を縮めようと試みている。


これが、深川さんにとって全てが繋がり、腑に落ちる答えだった。学生時代に挑戦した飲食店経営の経験、培った人材育成・採用支援のキャリア・スキル、APUと別府のまちに対して自分が貢献できること。独立の夢を果たした今、30代のこれからの生き方が見えてきたようだ。


深川さん「別府は温泉のまちと言われています。でも、温泉は有限な資源であり、それだけに頼らないやり方を模索しないといけなくて。別府に3つもある大学と、8000人近くいる学生という貴重な人材をもっと活かせるまち・仕組みを整える必要があるなと。チャレンジを応援してくれるまちとしてのカルチャーを、きちんと継承していくべきだと感じています。」


そう語る深川さんからは、別府の「まちの中の人」としての言葉や想いが宿っているように感じられた。地方には、可能性がたくさんある。それは活かされるべき資源があるというだけでなく、ノウハウを持った人材が地方でもその力を発揮できる課題がある、ということでもある。温泉と観光のまち・別府は、今後どのように進んでいくのだろうか。働き方や地域の個性が見直されるこの時代に、地方で挑戦したい次の世代の登場が楽しみだ。

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