CMや映画で、大森歩監督によってそっと示されるひとつの現実。それはあなたにとって、意外なものでしょうか、それとも当たり前のものでしょうか。
大学卒業後、CMの世界へ。
大森歩さんは、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に在学中、アニメの監督とCMの監督どちらかになれたらと就職活動をしていた。そして、映像制作会社である『AOI Pro.』の採用試験に合格したことをきっかけに、CMの世界へ。2021年からはフリーランスで活動しているCMの監督で、作品によっては、監督だけでなく脚本も書き、演出も担うこともある。手がけるジャンルは、学校法人に食品、スキンケア商品に転職サイト・企業CMと、幅広い。
例えば、出版社『宣伝会議』発行の雑誌『ブレーン』主催のコンテスト『Brain Online Video Award 2014』で一般部門審査員特別賞/協賛企業賞を受賞した、参天製薬の目薬のCM『瞳の恋』。このCMでは、駅前の花屋で働く男性に恋をした女性が、今日こそは声をかけようと決意する朝を描いている。何を着て出かけようかと心躍らせながらも、きっと自分なんて相手にされないと悩む乙女心の独白が続く。そして、最終的に映し出される声の主は、白髪のおばあさんという展開だ。
ため込んでいた鬱屈を、映画に。
大森さんの映画初挑戦となった作品『春』では、監督だけでなく脚本も手がけ、『文化庁メディア芸術祭2019エンターテインメント部門新人賞』を含む全国各地の9つの映画祭でグランプリを受賞した。CMの監督として、忙しく活躍していたにもかかわらず、なぜ映画という新しい領域に進出したのだろうか。
大森さんは「CMの仕事って社会とともに生きている感覚があるんです。こういう時代だからこういう企画にしよう。こんなセリフが合うんじゃないかなと考えながらつくるから。好きなんですよ、自分が商品や誰かに少しでも貢献してる気持ちになれるところが。でも、どこかで自分が消費されてる感じもしたんです。夢を持ってこの世界に入ったけど、朝から晩までただただ働いて。プライベートも全然うまくいかなくて。そんな時に、浪人時代と大学生時代の3年間、一緒に暮らしたじいちゃんが亡くなったんです。老人ホームのスタッフの方から、もうまったく食事を摂らなくなったと聞かされて、叔母と一緒に駆けつけました。ずっとじいちゃんのそばについて、手を握っていたんですけど、じいちゃんが目を閉じた瞬間に感触がふっと変わって、魂が抜けていったのがわかったんです。その時初めて、人が死ぬということを直接感じたんです。ああ、自分もいつか死ぬんだよな……。だったら今、やりたいことをやってみようと思ったんです」と話した。
映画は短くても数十分単位だが、Webで流れるCMでも長くて2分程度、テレビで流れるものであれば、たいていが15秒や30秒という世界だ。尺ひとつをとっても、違いがある。CMは、時代の空気を読みながら、効果的なメッセージを乗せて、クライアントの商品・サービスをどう伝えるのかを求められ、映画は、監督の内なるメッセージをどう表現するのかを、監督自らが追求する。CMも映画も映像を撮るという点では同じだが、まったく別のものだとわかる。
大森さんの場合は「人生このままでいいのか」「血迷ってる」「仕事ばっかりにならなくてもいいんじゃないか」「自分が主体になっていない」、そんな、ずっとため込んできた気持ちが、映画の製作へ邁進させたのだそうだ。
準備途中に脚本を見てもらったプロデューサーの、「オチがないけど、大丈夫?」という意見に揺らがなかったのも、このため込んだ強い気持ちがあったからだろう。「実際に『春』は、分かりやすく誰かが何かに打ち勝つ話ではないし、起承転結がはっきりしないと思う人は多いかもしれない。でも、短編映画だし、観た人の心に“引っかき傷”を残すことのほうが大事なんじゃないかって。だからこれでいいと思ったんです」。

祖父の認知症は、ひとつの変化。
映画『春』では、認知症の祖父と美大生の孫娘の1年間の同居生活が映し出されているが、大森さん自身も美大出身で、祖父は認知症の末に、寿命で亡くなっている。「当時、mixiやTwitterとかのSNSに、じいちゃんとの毎日を投稿してたんです。かなりの貧乏性だったので、それがおもしろくて。ラップを干して使い回したり、賞味期限を気にせず食べたりしているところなんかを書いてましたね。そういうものを見返しながら脚本に起こした部分もあります」というように、映画を観ていると、過去の大森さんの生活を覗き見ているのではと思ってしまう。それくらい生々しいのだ。
例えば、映画に登場する祖父は、居合わせた相手に、「スーパーのレジ待ちの列に割り込んだ」と言って突然怒り出したり、「知らない人にずっと見られている気がする」と言い張ったりする。互いに怒鳴り合い、カッとなった孫娘が祖父を突き飛ばすシーンも出てくる。認知症が進行していくからといって、悲しいばかりではない。そこに映し出されていたのは、うれしいことも腹の立つこともいろいろある、ありふれた日常風景だ。
それはきっと、大森さんが実体験として、病気で衰えていくことは悲しいことではなく、生きていれば起こり得る変化のひとつだととらえているから。
「長生きが素晴らしい、健康が一番だって、最近よく聞きますけど、本当にそうなのかなって思うんです。私のばあちゃん、つまりじいちゃんの奥さんは、病気で早くに亡くなったんです。私が小学6年生の頃。ばあちゃんの日記には、死にたくない死にたくないとびっしりと書かれていて。それを見てしまって以来、死ぬのが怖くなったんです。高校3年生くらいまで、夜になる度に死ぬことについて考えたりしていました。でも、じいちゃんと一緒に3年間暮らした中で、早く死んだばあちゃんよりも、ひとり残されて、20年近く暮らしてきたじいちゃんのほうが寂しいのかもしれない。病気があるとかないとか、命の時間が長い短いにかかわらず、生きているうちに、主体的に何かや誰かと向き合えたかどうかのほうが、大事なのかもしれないと思ったんです」
そしてこう続けた。「じいちゃんはすごい頑固だったけど、認知症でまろやかな性格になったから、実は若い頃は優しかったのかなって。病気になった今がちょうどいいくらいと笑ったりしましたね」。

確かに存在する、現実。
CM作品『瞳の恋』を観てハッとさせられたのなら、それはなぜか。恋がテーマなら、主人公は若者だという思い込みからではないだろうか。では、映画『春』はどうだろう。認知症になり“子ども返り”していく祖父と孫の物語だから、きっと悲壮感が漂うのだろうと構えていたら、思わぬ展開だと感じるかもしれない。物語が進むにつれて祖父は、孫娘の助けだけではなくヘルパーさんの介添えを受けるようになり、就職活動が本格化し始めた孫娘は、戦いに挑む面持ちで採用試験に出かけるようになる。病状や環境が少しずつ変化していくふたりの日常が、ていねいに映し出されるだけだ。
大森さんから示されるのは、ささやかな日常の連続。誰も取り上げなかったかもしれない、言葉にしなかったのかもしれない、でも確かに存在している現実だ。大森さんは「あなたの視点だけで物事を見ていませんか? ほかの視点もありますよ」と、作品を通じて意見するわけではないが、「普通はこうだよね」という、経験則から来る一人ひとりの思い込みを軽やかに飛び越え、こうささやいてくるようだ。「これもまたひとつの現実。あなたはどう感じますか?」。

おおもり・あゆみ●東京都生まれ。愛知県内の『大森牧場』で育ち、実家は骨董屋。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。Club_A所属、CMディレクター。ダイワハウス「かぞくの群像」。ミルボン「美容室の帰り道」、ケアリーヴ「僕は、ばんそうこう」、ラインクリスマス、マンダム・ビフェスタ、など。本作『春』が映画初監督作となる。2021年公開作に「SSFF & ASIA 2020 クリエイターズ支援プロジェクト」の短編映画『卵と彩子』がある。
photographs by Mao Yamamoto text by Maho Ise
記事は雑誌ソトコト2021年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。