地球上の多様な生物は、種の垣根を超えて相互関係を築いている。実に半世紀以上前から「生物多様性」を研究テーマに掲げ、探究し続けてきたのが、東京大学名誉教授の岩槻邦男博士だ。2016年のコスモス国際賞にも輝いた博士に、自然と人間の関係性について、語っていただいた。
「生命系」の中では、人もひとつのエレメント。
地球上には、現在明らかになっているだけで150万種以上(一説には億を超えるともいわれる)の生物が存在するという。その中には、もちろん人間も含まれていて、「自然と人間との共生」は今や世界的な課題となっている。岩槻邦男博士は、この問題を1960年代から研究し続けてきた、まさに第一人者と言える人物。博士自身は、「世間の人から見たら、何をやっているか分からんような研究ですが」と笑って語るが、その深めてきた知見の中に、これからの自然と人が生きる道につながるヒントがいくつもあった。
ソトコト(以下S) 岩槻博士は「生物多様性」を研究する中で、「生命系」という概念を提唱されていますよね。これはどういった考えなのでしょうか?
岩槻邦男(以下岩槻) 私の専門は日本だけでも600種ほどある「シダ」を扱う植物分類学なんですが、このシダ植物を含めてすべての生き物というのは、元をたどれば、38億年ほど前に単一の個体からスタートしています。そして、進化の歴史を経て、数百万・数千万・億を超えるほどの多様な種に分岐してきた。一つのものが多様化していくことを„系統〝と呼ぶのですが、これは„血統〝と同じようなもので、いわば、あらゆる生物が親戚関係を持って、地球上で生活しているというわけです。
S 人も、動物も、植物も、すべてが同じ血統を持つ親戚だと。
岩槻 そうです。人間は「我々が万物の霊長だ」と考えていますが、私が食べて生きていけるのはほかの生き物のおかげですし、呼吸に必要な酸素がいつまでもなくならないのは植物の光合成のおかげです。他の種がいないと、人間一人、生きていくことはできません。こういう直接的・間接的な関係性をたどっていくと、地球の反対側の、見も聞きもしないようなもの、例えばリオデジャネイロの糸状菌が、実は我々の暮らしと無関係じゃなかったりするわけです。
S 見えないだけで、地球の裏側の生物ともつながっているわけですね。
岩槻 アナロジカルに言えば、私たちの体だって、受精卵というひとつの細胞が60兆ぐらいの細胞に分裂して生まれてきます。それでも、例えばほっぺの細胞と足の裏の細胞に、普段つながりは感じないですよね。
S たしかに、細胞同士のつながりなんて考えたこともありません。
岩槻 けれども、両方の細胞があって、「私」という生き物は生きているわけです。これは地球全体で考えても同様で、38億年の歴史を通じて、単一の形から分岐した多様な種が、互いに関係性を持って暮らしている「ひとつの生き物の塊」と考えることができる。つまり、人間や植物という個体よりもひとつ上のレベルで、生命体が生きているんだということを、「生命系」というシステムで示したわけです。この概念で整理すれば、生物多様性であったり、人間も大きな「ひとつの命」の中の、ひとつのエレメントとして生きていることを、イメージしやすくなるんじゃないでしょうか。
「人のため」のサスティナビリティではなく、「共生」を目指す思想。
S 人間もひとつのエレメントだとすれば、生命系を守りながら自然と共生していくためには、どうすればいいとお考えですか?
岩槻 今あらゆる分野が、「今日、明日をどう生きていくか?」というふうに、損得を計算高く考える時代になっていますよね。どこかの国の選挙だって、100年先の国を考えようという論点だったら結果も違ったでしょうけれど(笑)。この損得勘定ありきというのは、「地球の持続性」とか「サスティナビリティ」を考えるうえでも問題になります。
S 持続可能な社会をつくる、という発想にも損得が絡んでいますか?
岩槻 地球を持続させようという裏には、“人のために”という意識がどうしてもあるんですね。ただ、人ありきになると、「ほかよりも、自分のほうが得したい」という人間がどうしたって生まれてしまいます。そのうえで、自然を維持するようなライフスタイルを……といっても、これはちょっと無理でしょう。
S 「人のため」のサスティナビリティでは意味がないと。
岩槻 僕も安全で豊かな生活をさせてもらっていますし、最近は毎日薬を飲まなきゃ生きていけませんから(笑)、文明の悪口は言いません。強くあるために鍛えるとか、自分を美しく見せるために何かを足したり削ったりするとか、そういう行為自体は、決してとがめられることじゃない。それは自然界、「生命系」の中だって同じことです。ただ、よい危害の加え方と、好ましくない危害の加え方は確実にあるわけですね。
S 「よい危害の加え方」もありますか?
岩槻 例えば、江戸時代以前の日本列島はそうです。農地・人里をつくった後、エネルギー資源の供給源として上手に利用できる「里山林」をバックヤードとしてつくっています。里山の先、手つかずの自然を「奥山」といいますが、こちらは野生の生物が暮らしていける場所になった。そうした環境づくりをうまい具合にやってきた結果、江戸時代の末期まで、日本列島で中・大型の動物は、ただの一種も絶滅に追いやっていないんです。これは海外諸国では例がないことで、自然と人の共生が成立していたんですね。
S 江戸時代までは「共生」があった。
岩槻 だから、人為・人工の行為もすべてが悪ではなく、問題はマネジメントにある。環境に悪影響な営為はやめないといけませんし、やった以上は修復しないといけない。環境破壊ではなく、正しい「環境創生」をするためには、科学・政治・経済すべてを含めた「人知」によって、策を練っていく必要がありますね。それに、今日、明日ではなく、あらゆることについて100年後、1000年後を考えた視点で計算するような発想の転換ですとか、自然とどう調和して生きていくかということを
、世界中の70億人が意識することが、本当の意味での「サスティナビリティ」を生むはずです。
次世代を育む、生涯学習の場づくりにも尽力。
S 100年先、1000年先を考えるとなると、我々の次世代に自然と暮らすライフスタイルや理念を伝えていくことも重要になりそうです。
岩槻 おっしゃるとおり、後進を育てるというのは大事なことです。そもそも研究を始めた当時は、科学の世界は普遍の原理・原則を追究するもので、「多様性」なんてナンセンスだと偉い先生に言われたこともあります。でも自分はそれが大切だと思っていましたから、とにかく仲間を増やそうとセミナーを開き、70年代後半には大型の協働プロジェクトを立ち上げたり、あれこれやってきました。
S 研究の黎明期は、今では考えられない状況だったのですね。岩槻 それでも時代が進み、80年代後半には「生物多様性条約」というものができるらしいとなって、一変していった。
岩槻 それでも時代が進み、80年代後半には「生物多様性条約」というものができるらしいとなって、一変していった。いろいろな省庁の方から「多様性とはどういうものですか?」と相談されて、国のお手伝いをするなかで、外国の研究者と連携できる関係も始まっていきました。特に東南アジアには、現地で自分たちの手で生物多様性を研究する人が増えてほしいという気持ちがありましたから。インドネシアのジャカルタ大学から交換留学生を招いたりしてね。
S 海外の研究者の育成にも取り組まれたんですか? 型の協働プロジェクトを立ち上げたり、あれこれやってきました。
岩槻 英語をマンツーマンで教えることから始めましたから、日本人の後継者を育てる以上に手間はかかりました。でも、インドネシアからのその留学生は、帰国後も研究者として論文をいくつも発表しましたし、ドゴールの植物園園長や国の生物研究所の所長を歴任して、インドネシアを代表する研究者になってくれました。こういう様々な垣根を越えて、仲間を育てて、絆を育んでこられたというのは、正に生命系本来の姿かな、なんて思うこともあります。
S 2003年からは『兵庫県立 人と自然の博物館』の館長を務め、現在も名誉館長でいらっしゃいますが、博物館などの施設は、次の時代を担う子どもたちにどんな影響を与えられると思いますか?
岩槻 学習や教育の場というと、日本では明治以降、「学校教育こそが教育である」となっています。しかし、全体でいきますと、「生涯学習」こそ学習の基本なんですね。その中で、博物館が生涯学習の場として、「遊びながら学べる」というシステムを整えていけば、大人はもちろん子どもたちも、自然に対する関心が自ずと高まっていくはずです。好奇心や関心というものを生涯学習の場で高めて、基本的な、効率よく学ぶべきことは学校教育で学ぶ。そのように両々相まっていけば、教育の効果をますます高めていけると思うんです。
S 博物館などの施設と学校教育の相乗効果で、次世代を育んでいくわけですね。岩槻 そのためにも、博物館のような施設がもっと充実することが望ましいです。ただ、僕らが勉強を始めた頃を考えれば、環境はずいぶん改善されていて、博物館を職場に選ぶ研究者も増えてきました。このままもっとよくなっていけば、未来は見捨てたもんじゃないなと希望が持てますね。