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場づくり・コミュニティ

現代の聖人・ラザロの、時空を超えた道行きに同行する。

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『幸福なラザロ』

映画の舞台になっているのは、渓谷によって外部と隔てられたイタリアの小さな村。20世紀後半、すでに小作人制度は廃止されているにもかかわらず、その事実を隠蔽する領主の侯爵夫人は、自身の所有するタバコ農園で、移動の自由も、賃金も与えずに、村人を働かせている。

ほぼ自給自足の農民は、皆かつかつの生活をしている。そして村で誰よりもよく働く従順な青年ラザロは、それゆえ仲間に軽んじられている。侯爵夫人に隷属し、同じ境遇に喘ぐ小作人が、ラザロを利用する。村で出来上がっているそんな人間関係は、世界中どこででも見られる搾取の構造といえる。

だが、誰に、何を頼まれても断らず、不平をいわず、疑わず、怒ることもないように、負の感情をどこかに置き去りにしてきてしまったラザロは、搾取や差別の構造の枠の外にいる。自作自演の狂言誘拐を企てた、侯爵夫人の息子・タンクレディの求めにも、彼は素直に応じる。この狂言誘拐を引き金に、侯爵夫人の罪は世間の知るところとなり、不意の事故で行方不明になったラザロを残して、村人は外の世界へと出てゆく。

崖から落ちたラザロが目覚めた後の展開が見事だ。農作業でうす汚れた生成りのシャツと茶色いズボンを着たきりの彼は、タンクレディを探すため、歩き始める。その姿はどこか野暮ったくも微塵の嘘もなく、彼の無垢な瞳と、肉体の美しさを際立たせている。

まずは情報を集め、それを比較したうえで物事を取捨選択する。無意識のうちに、そんなふうに損得勘定することに慣れすぎてしまった私たち現代人が、何をどう思い、言葉にしてみたところで、太刀打ちできない存在としての善を、ラザロは体現している。

キリストの友人で、その死の4日後、キリストの奇跡によって蘇生した聖人の名を与えられたラザロ。現代の聖人は、その穏やかな表情や何気ない立ち居振る舞いで、観る者の琴線に触れる。

葉タバコの収穫や作物の脱穀シーン、タンクレディが「月みたいだ」と口にした、空撮や遠景で映し出される峻険な山の地形、ラザロを目覚めさせるオオカミ……。フィルムで撮影された映像の詩的な美しさや、寓話的表現を通じてリアリズムと普遍性を描く脚本に、30代のアリーチェ・ロルヴァケル監督の、センスと力量が遺憾なく発揮されている。

映画を見ながら、時空を超えて歩き続けるラザロの道行きに同行できる、そんな得難い作品だ。

『幸福なラザロ』
2019年4月19日(金)〜 
Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

映画『幸福なラザロ』公式サイト http://lazzaro.jp/

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