自分の目で見たものよりも、誰かの目=レンズを通して映し出された世界に圧倒されることのほうが多い。写真であれ、映像であれ、才能とセンスに恵まれた人間の目やセンサーは、凡庸な人間が見過ごしてしまうものをとらえ、表現しているのだから、当然といえば当然かもしれない。
『歩いて見た世界―ブルース・チャトウィンの足跡』は、オーストラリアで出会って以来、チャトウィンの盟友だったヴェルナー・ヘルツォーク監督が、彼の足取りを辿り、その世界観を伝える作品だ。みずから聞き手となり、縁の地で縁の人々と対話するヘルツォークは映像の人であると同時に、卓越した言語能力の持ち主だと痛感する。
神話を心の旅として/土地は歌で覆われている/世界は徒歩で旅する人にその姿を見せる……。
歩くこと、放浪することを巡るふたりのことばは警句や格言に満ちている。
チリのラストホープ湾の洞窟。中央オーストラリアの乾いた大地。ボディペイントを施し、女装したウォダベ族の美しい男たちがアヴェ・マリアを歌いながら闊歩する南サハラの砂漠……。
風景は、決してただの風景ではなく、人の心の状態や質を表している。ヘルツォークがそう語るように、ふたりの放浪者の目というフィルターを通して現出する荘厳な景色、その力強さに息をのむ。土地に幾重にも折り重なる神話の時間を、その流れを心の目で見て、自身のことばで再生する。チャトウィンはそんな人だったのだろう。
『歩いて見た世界―ブルース・チャトウィンの足跡』
©️SIDEWAYS FILM
故郷とは安全な場所、ずっといてもいい場所。『FLEE フリー』の主人公アミンはそう話す。彼が故郷・カブールを離れたのは、命が危険に晒されていたから。行き先がロシアだったのは、そこしか観光ビザを取れる国がなかったから。映画は1990年代初頭、戦禍のアフガニスタンからコペンハーゲンに逃れたアミンの実体験を元に、戦争が人々をどう翻弄するかを描いている。
公権力の腐敗が目に余るロシアから北欧へ。無事、辿り着く保証などないなか、彼らはブローカーに大金をわたす。コンテナ船での密航。国境警備隊による通報、難民センターへの送還。ロシアに戻り、そして再び北欧の国へ。
故郷では認められないセクシュアリティの問題も抱え、生きるために逃げ続けるしかなかったアミン。成功した今も、負い目を抱えていた彼は自身の体験を語ることで、ようやく過去と折り合いをつけたのではないか。
彼と家族のリスクを避けるため、映画はアニメーションで製作されている。この選択をしたヨナス・ボヘール・ラスムセン監督も、迫害を逃れ、ロシアを離れたユダヤ系移民の出身だという。
『FLEE フリー』
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記事は雑誌ソトコト2022年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。