世界といかに向かい合うか

連載 | 未来型土着文化 | 4 世界といかに向かい合うか

共同幻想論

 柳田国男の民俗学の原点が少年時代の不思議な体験にあるのではないかと述べた吉本隆明氏には、『共同幻想論』という著作があります。
 私たちをとり囲む、国家、法、宗教、風俗といったものを幻想であると捉え、その幻想の正体を明らかにするために、『古事記』や柳田国男の『遠野物語』を分析し、その中で幻想の成り立ちを繙くために「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」というキーワードを挙げています。「個人幻想」とは、個人が抱く幻想のこと、個人がつくる芸術作品や小説などもここに該当します。「対幻想」は理解や説明が難しい概念ですが、個人と個人のあいだで抱かれる幻想で、例えば男女のあいだや親子のあいだにあり、家族を成立させていく幻想のことを言います。「共同幻想」とは私たちがつくり上げる共同体が抱く幻想のこと。国家や法や企業といったものを、普段私たちはたしかに存在するものであると考えていますが、その実は、私たちがつくり出している幻想、イメージなのであると吉本氏は考えました。
 この共同幻想はときに個人を呑み込んでしまうことがあります。「人間のさまざまな考えや、考えにもとづく振舞いや、その成果のうちで、どうしても個人に宿る心の動かし方からは理解できないことが、たくさん存在している。あるばあいには奇怪きわまりない行動や思考になってあらわれ、またあるときはとても正常な考えや心の動きからは理解を絶するようなことが起っている。しかもそれは、わたしたちを渦中に巻き込んでゆくものの大きな部分を占めている。それはただ人間の共同の幻想が生み出したものと解するよりほか術がないようにおもわれる。〈『共同幻想論(角川文庫版のための序)』〉」──こう述べるのには、戦時中に軍国少年であった吉本氏の敗戦体験が根底にあるとされます。戦時中は多くの知識人が絶対の正義として戦争を称揚していましたが、敗戦を境に、それらの知識人はがらりと意見を変え、吉本氏は社会に対する不信感を感じ、また軍国少年であった自分に対する強い自己嫌悪を感じました。「人はなぜ何かを信じてしまうのか」という問いが吉本氏の中に湧き起こり、個人を侵食する幻想の正体を解き明かしたいという切実な問いを持ったのでした。
 現在においても、ネットの中で繰り広げられている、自らの正義を信じて疑わない人同士の過剰な攻撃の応酬には閉口する思いがします。しかし、それと同時に、自分自身も「何か」を信じ、縛られているのではという疑念が湧き起こるのです。

独特の姿をしている奇妙な「御沢仏」。共同幻想をまとった仏像の中に近代芸術が胎動している。その表情は見る者を戦慄させる。

問いを持ち続けること

 私たちは生きている限り、そうした幻想やイメージといったものに、そうとは気がつかないうちに、絡めとられ、侵食されてしまいます。そこから逃れる術はほとんどないように思われます。ただ、問いを持ち続けることだけが、「信じて疑わない」状態に陥らないですむ方法なのかもしれません。
『共同幻想論』を読み進めていくと、自分がなぜ山伏に関心を持ったのかを、より鮮明に伝えることができると思います。しかし、それはまたの機会に紹介するとして、今回、『共同幻想論』に目を向けてみようと思ったのは、6月の上旬に東北芸術工科大学(以下、芸工大)日本画コース教授の三瀬夏之介さんのお招きで、「フィールドワークから描く」という授業で講師として学生とお話をする機会があったからです。
 僕に与えられたお題は、「山形の自然に根ざした文化と、どのように向かい合うのか」ということでした。例えば、山形県の出羽三山に残されている山伏や山岳信仰の文化というものは、紀伊半島や九州の山岳信仰であったり、ほかのさまざまな地域との交渉で成立したものでした。それは山形県の文化だけを見ていればわからないことです。ひとつの文化の中にも広い空間的なつながりや時間的な流れがあること、そしてやはり地域文化と向かい合うときの前提として、問いを持ち続けることの大切さをお話ししました。
 さて、今回最後に紹介したいのは、山形県での三瀬さんの取り組みです。山形県には芸工大が主催する「山形ビエンナーレ」という芸術祭があり、三瀬さんは東北の土着の民俗資料と現代アートを並立するという展示の企画、キュレーションを行いました。今回の内容に即してみれば、共同幻想と個人幻想を並立させる試みと考えることもでき、日本のアート界では大きな反響を呼びました。
 その中で2018年に展示された「御沢仏」という仏像群は個人的に強く印象に残っています。御沢仏とは出羽三山の中の一つ、湯殿山に至る、沢筋にある滝や岩や洞窟などの信仰の対象となっている自然物を仏像化したもので、これを手掛けたのが新海宗慶という仏師です。仏像制作を手伝ったとされるのが、その息子の竹太郎で、竹太郎は山形県出身の彫刻家として著名な存在です。ここでは伝統が断絶されてあらわれるのではなく、前近代から近代に続く芸術の技が、幼虫がカイコとなって蝶に孵化するかのごとくメタモルフォーゼを行っており、このような仏像が存在していることが、奇跡のように僕には思われるのでした。

文・題字・絵 坂本大三郎

さかもと・だいざぶろう●山を拠点に執筆や創作を行う。「山形ビエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「リボーンアートフェス」等に参加する。山形県の西川町でショップ『十三時』を運営。著書に『山伏と僕』、『山の神々』等がある。

記事は雑誌ソトコト2021年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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