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サスティナビリティ

連載 | こといづ

そのまま

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 今年の夏は、どこも立派な草でぼうぼうだ。暑すぎるやら外出が続くやらで、草刈りがとても追いつかなかった。まあ、冬になれば枯れるのだから、このまま放っておいてもいいだろうと思いつつも、やはり、風が通らなかったり、水気が溜まったり、家にもよくなさそう。えいやっと刈ってしまうことにした。

 自分の周りだけぐるり、ひと刈りしてみると、虫たちが数十匹びっくり飛び出して、右へ左へ慌ただしくぴゃぴゃっと茂みへ隠れていった。ああ、こんな少しの場所にあんなにも棲んでおったんか。昨夜のあの大合唱は彼らの歌だったのか、また今晩も聴きたいなあ、草刈りしてしまうと居場所もなくなるわなあ、どうしたらいいもんか。そうやって、草を刈るたんびに色々考えてしまうものだから、ジグザグ、あっちに草の小島が残り、こっちに大海原が残り、虎刈りのような、はっきりしない中途半端な景色になってしまった。この姿は自分に似ているなあ、どっちつかずのぼんやりした景色やなあと、滝のような汗をぬぐいながら眺めてみる。

 盆が明けると、ようやくひとつ涼しくなって、村の男衆が活気付く。遅まきながら、この村の盆踊りがはじまったのだ。小さな広場で開かれるささやかな盆踊りだけれど、毎年少しずつ、何かがよくなっていく。僕たちが引っ越してきた6年前は、音頭取りは60手前のカズシさんがひとり、太鼓叩きは80手前のヤッさん、踊りの輪も小さく、なんだか寂しいと思った。これはなんとかしたいなと思っていたら、図らずも、僕たち新参者の夫婦が音頭を教えてもらっての上で唄ったので火がいたのか、若いミッちゃんやシンちゃんたちが、俺も俺もと唄ってくれるようになった。

 最初の数年はうまく唄えず、踊り手からも「踊りにくい」と言われてしまったけれど、経験を重ねるごとに落ち着いて唄えるようになって、音頭を覚えたい、踊りを覚えたいという若手も増えてきた。さらに今年は、いつも頼りにしている年配方が揃って盆踊りに出られなかったので、若手だけで盛り上げようとしたのがよかったのかもしれない。

 「ヨイトヨヤマカ、ドッコイショ〜」、いつもは控えめなマスミさんが男気あふれる掛け声を腹から絞り出した。どうやらマスミさんのお父さんは昔、音頭取りだったらしく、子どもながらに見ていた親の姿がいまになって現れたようだった。お祖父ちゃんのヤッさんから引き継いだリュウくんの太鼓も若々しく、ドンッカカッと軽妙だ。櫓の上は5、6人の男で賑わっていて、「次は俺の番、俺が唄うぞ」という威勢が頼もしい。いつもは音響設備の調整やらで忙しい僕も、今年はゆったりと三味線を弾いてみた。これがとっても楽しかった。弾きたいことを弾くというより、音頭取りさんが唄いやすいように、間違いやすい節回しを前もって弾いて誘導してみたり、合いの手を鳴らすことで不安にならないようにしてみると、ぐるぐると唄や太鼓が生き生きしはじめた。すると、踊り子さんたちにも熱がともって、ゆらゆらした踊りがにゅわんにゅわんと、大きな炎のように渦巻いてくる。その気迫が櫓にもググッと伝わってきて、音頭取りも冗談交じりの即興を唄い出す。自由にやっていいんやな、いま、今夜限りのあたらしいものをつくっていいんやなという歓びが、櫓の上でもドドドンドンッ、踊りの輪でもパンパンパンッ。先に生きた人たちが綿々と残してくれた、唄や太鼓や踊りや、村や山や。なんでもない、こんな日の、こんな瞬間の渦のなかで、あっという間に、いまも昔も、あなたも私も、ごっちゃになって、ああ、そういうことかとわかってしまう。

 分け隔てなく、考える。分け隔てなく、世界を受け取ってみる。分け隔てなく、感じる。そのまま、そのままに。この心は、どこまで広いか。このは、どこまで届く

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