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サスティナビリティ

連載 | こといづ

おひいづ

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目次

風が吹きよる。葉が裏返りよる。それやったら、風が、大風が吹くなよぅ。

 夏が近づいてきた天気のよい日に、100歳になったシヅさんが縁側にちょこんと座って、どこか遠い空を眺めながら呟いた言葉だった。「かみさまって何やろうね」と尋ねたら、そう答えてくれたのだった。今朝、さくらんぼの木からすっかり実がなくなって、あれだけ鳥たちが来ていたものなあ、賑やかだったなあと、眠気まなこを擦っていると、ゆるやかな風が吹いて、さくらんぼの葉が一斉に裏返った。辺りを見回すと、けやきや桃や桜の葉も、気持ちよさそうにふわりと裏返って、シヅさんの言葉が鮮やかに蘇った。前より言葉の意味がよくわかる。風が吹く度に、何かが終わり、何かがはじまる。もうじき、大風が吹く季節がやってきて、そうしたら夏がくる。

 最近は、庭いじりが楽しい。庭といっても、どこから山でどこからが庭なのか分からないけれど、いつもだったら草刈り機で一気に刈ってしまっていたのを改め、腰を屈めて草花と同じ目線におりる。来年も増えてほしい草花は残して、増えて欲しくない草花は切るか抜いてしまう。そうやって、ぼちぼち進んでいくと、自分好みの植物が残っていくので、ひとつ自分の庭らしくなってきた。草刈り機というものが発明されて、本当に便利で仕事が早いのだけれど、ついつい、掃除機をかけるように隅から隅まで草花をちょいんちょいんと刈ってしまう。それを今年は、歩くところだけを刈るようにしてみている。振り向いてみると、野原に小川のような路ができていて、歩く癖を刻んでいるような、自分の心や躰を土地に描いているようでおもしろい。

 人はなぜ、庭をつくるのだろう。種をまいたり、溝をこしらえたり、川に石を積んだり。自然に手を入れたら、次はあたらしい自然が立ち上がってくるのを待つのみ。これだけのことが最高に楽しい。自分だけで満足して勝手に突き進むのではなく、相手に一歩踏み込んで、相手がどう返してくるか、どう一緒に育っていくのか、混じり合って今までになかったものがこの世に生まれるのが、なにより楽しいと思う。数年がかりで石を見つけては放り込み続けてきた裏庭にある三面コンクリートの小川も、徐々に自然な小川らしくなってきた。緑が生い茂り、カエルやトンボが棲み着き、ついには小魚が泳いでいるのを見かけた日には心が跳びはねた。

 この春、山からの水がじわじわ滲み出ている場所を発見した。苔むした、その綺麗な崖に、透き通った水がぴょるん、ぽるるんと繊細な音を立ててゆっくり膨らんでは落ちてゆく。毎日すぐ側を通り過ぎていたのに気づかなかった。こんな秘密の場所がきちんとあるのだと知っているだけで、これから先、また再び、まだ見ぬ秘密の場所と出逢える気がしてくる。

 なんだかんだ、夜にずれこんで朝起きるのが遅くなってしまった。朝ご飯を食べていると、あら珍しい、ユキさんとマッちゃんさんが少し赤らんだ顔で、「かっちゃん、お昼ご飯一緒にどうかと思ってな。おっ、いま時分に、朝ごはんか。昼とは言わん、晩までやってるさかい、いつでも来とおくれよ」とうれしそうな顔で公民館に戻っていった。

 少し遅れて、妻と二人、一升瓶片手に、ガラガラッと戸を引いてみると、80を超えたユキさんとマッちゃんさんが小さな机を出して飲み交わしている。「あれ、もう何時間も二人だけでやっとんたんかいな。何を話してたん」と聞くと、「あのなあ、昔の話や。昔の話をしとったんや。よう来とくれた」とお酒を飲み交わした。「かっちゃん、あんたらの出逢いを聞かせとおくれ。まだ一度も聞いてなかったな。どうやって一緒になったんや」。妻との出会いの話は、僕が人生で辛かった時期の話でもあるので、傷がうずく。ユキさんが真剣な顔になった。「そうかあ、そんなことがあったんやな。大変なことがあったんやな。僕はなあ、今日、はじめて、この子どもの時分からの大親友のマッちゃんにも言うとらんぞ。そんなことをあんたに話しとおなった」と突然、ユキさんが若かった頃の、とても複雑な心の話をゆっくりと聞かせてくれた。「荒れとった若い頃を思い出すと、やらなあかんと思ってな。しんどいことでもいろいろやってしまう。青春は荒れてしまったけれど、今のわしをつくったんも、あの頃のお陰や」。

 ユキさんの手は、ごつごつとたくましくて、でもきっと使い過ぎたんだろう、いつも少し内側に曲がっていて、「ありがとう」と笑顔でお礼を言ってくれる時に手を合わせてくれるのだけれど、ぴたっと手のひらがくっつかずに、種のような形になる。誰にも内緒で、村の玄関口の草刈りをやってくれて、遠くから村に帰って来たら、いつも綺麗で、「ただいま」とほっとした気持ちになる。

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