釣りと登山のやり方を父から教わり、自然の味わい方と地球環境との向き合い方は母から教わったと先月書いた。
ニュージーランドの湖畔で営む森の生活。衣食住と釣り竿を背負い、時に2週間ほどかけて長い山岳ルートを踏破するバックパッキング登山。ぼくが人生をかけて取り組んでいる、これらの生き方や冒険は、両親からの影響が大きいことは伝わっただろう。
実は、もう一つある。それは、我が祖国だ。
四方を海に囲まれ、狭い陸地の大半を山と森が占めていた日本。大小さまざまな形態の湖沼が、全国津々浦々に点在し、「命のゆりかご」と呼ばれる湿地帯が、高原エリアと、海辺に近い汽水域の両方に多数存在した。
そして、無数の川が血管のごとく、国土の隅々まで網羅する。豊かな森と山が生み出した滋養を大地に供給しながら、最後は海に注ぎ込む。海では、その高い栄養分で魚たちが大きく育ち、複数の魚類が川を遡り、陸へその栄養を還元していた。
多くの魚が下流部や中流部で産卵活動を行うが、一部の種は、源流に近い上流域まで遡上し、山にその肉体を捧げた。そう、川は文字どおり「血流」のような役割を果たしてきたのである。ちなみに、森の中を流れる上流部まで遡る種は、誰もが知っている鮭や鮎だけじゃなかった。この国には、ほかに数種類もの魚族たちがいたのだ。
しかし残念ながら、川に無数に建設された堰やダムによって血管は分断され、血流は完全に止まってしまった。「魚道があるから大丈夫」と言われていたが、実際にはほとんど魚がそこを乗り越えられなかったのだ。そしていつの間にか、源流部から河口まで、これらの建造物が存在しない川はもう数本しかないという状況になっていた。
さらに、食物連鎖が健全だった時代は、豊富な数を誇った美しき肉食獣たちが、海から上ってきた栄養の塊である魚を、さらに森の奥へと運んだ。その行為が、豊かな日本の森を育てることにつながっていたのである。だが、人間の手によって一部の獣は完全消滅し、熊などの残った動物たちも数が激減、多くが絶滅危惧種となっている。
「健全な森が海をつくり、健全な海が森をつくる」。この太古から連綿と繰り返されてきた、日本列島の美しき自然の営みが完全に破壊されて、もう半世紀以上が経つ。
過去にもこの連載で書いてきたが、ぼくが育った時代はまさに「自然破壊の時代」であった。今年49歳となるが、半世紀近い我が人生において、生まれ育った街の変わりゆく姿、日本各地で暴力的に進む都市化の弊害、旅や冒険の果てで遭遇する自然破壊の現場を見てきた。
地球規模で見ても「奇跡」と呼ばれるほど独特な自然形態を誇っていた日本。江戸時代の終わりに、欧米人たちが初めてこの国の奥深くまで訪れた時、その豊かで美しい自然環境に誰もが感嘆したという。
そんな宝のような自然が失われてゆく過程に立ち会ったという哀しい経験、つまり「負の遺産」も、祖国から受け継いだ大切な継承物なのではないかと思うのだ。それは強烈な痛みとなり、長い年月をかけて自身の体に刻み込まれ、いつの間にかぼくの魂と一体化した。その結果、ぼくは森で暮らすようになり、大自然への冒険に駆られるようになったのである。
(続く)