この霊園はじいちゃんが一緒に働いた仲間たちと造ったそうなのだが、それってどんな絆なのだろうと思う。「仲間」という言葉には年々気恥ずかしさを感じるようになってしまったけど、「一緒に霊園造ろうぜ」はさすがに「仲間」だと思う。じいちゃんは僕が3歳の時に死んだ。「尚樹はよう似てる」。その言葉だけで、彼のことを身近に感じて生きてきたけど、その実ほとんど何も知らないということを、ここに来るたびに思う。
掃除会に参加したのは、ほとんどが僕の親世代だった。皆さん何年も掃除を続けてきた手練で、「ほな、始めましょか」の合図の後は、それぞれが慣れたように“いつもの”配置についた。小屋の整理をするおばさん、でかいマシンで木を剪定するおじさん、小鎌で細かな草を刈るおじさん、それぞれがよく似合っている気がした。マシンのおじさんは体が大きくいかにも豪快だったし、小屋のおばさんはチャキチャキとして素早かった。
僕はそこら中で刈り取られた草を熊手でかき集め、山の茂みに撒きに行く、という一番地味な割にしんどい仕事を任された。もう一人、僕と同じ役目のおじさんがいたのでその人を見様見真似で始めたけど、こういう時の僕は「ちゃんとできているかな」とばかり考えてしまう。手際が悪い、要領が悪い、使えないヤツだ。そんな風に思われていたらどうしよう、しっかりやらなきゃ。いい歳なので、こんなことで緊張しているとは悟られないよう平気な顔をしているけど、人目を気にしてばかりの小心者の性分は、小さな頃から変わっていない。
「にいちゃん、適当でええで」。集めた枯れ草を抱えようとかがんだ僕に、同じ役目のおじさんが話しかけてきた。おじさんは小屋の屋根の下のベンチに座り、「にいちゃんもおいで」と言って自分の隣をポンと叩いた。立ち上がり、体についた草を払っておじさんのもとに向かうと、おじさんは小脇に用意した小さなクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出して「飲みい」と言ってくれた。お礼を伝えて、僕はそれを一気に飲み干した。
「ほら、あのおっちゃん見てみ。ようやるやろ」。おじさんが指差す先には、芝刈り機を振り回し、隅から隅まで芝を刈る血眼のおじさんがいた。「あそこまでやるんは性格やわ。にいちゃんもな、そんな頑張らんでええからな。十分ようやってるわ」「そうですかね」「適当でええねんで」。おじさんは景色をぼんやりと見ながら、暑さに溶かされたような優しい笑みを浮かべていた。そういえば僕はこれまでの人生で「もう十分だ」と言われたことがほとんどないかもしれない。裂いた綿飴みたいな薄い雲が空に広がって、さっきよりも民家が落ち着いて見えた。自分の中で、変な気持ちがわいてきていた。
慰霊碑の前はもう少していねいに熊手をかけたい。正直、木の剪定もやってみたい。おじさんに十分だと言われて、ただ僕は「しっかりやりたいだけ」な気がしてきたのだった。そういえば自分は目の前のことにハマりやすい単純な人間だったし、昔からとことんやらねば気が済まない人間だった。人の目ばかりを見ていると、自分の心が見えなくなると、どこかで聞いた気がするけど、初めてそれをちゃんと分かった気がした。
結局その後、僕は芝生のおじさんと一騎討ちのようになる。じいちゃんも僕みたいにやりこむ人だったのだろうか。それともおじさんのように「適当でええねんで」と言ってくれたのだろうか。というか、もしかしてあのおじさんって……。はたと顔を上げると、おじさんはベンチでアイスを食っていた。やっぱりただの適当なおじさんだった。適当なおじさんに救われる日があるのも人生なのだった。
文・太田尚樹 イラスト・井上 涼
おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。
記事は雑誌ソトコト2022年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。