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多様性

連載 | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか

人工培養肉で生きている

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 本物の肉や魚を食べるのは、お祝いや、ここぞという時、いわゆる晴れの日。誰もが気軽に口にできるわけではない超高級品である。
 世界の人口は100億人を超え、肉や魚の消費量が急増。需給のバランスを大幅に崩し、タンパク源が不足する「タンパク質危機」は悪化の一途である。新興国の経済成長による中間層の拡大も、肉や魚の消費量アップの主要因となっているが、新興と呼べる国自体が地球上からどんどん減っているので、消費をセーブするにも限界がある。畜産や養殖には生産物の何倍もの穀物が必要となるが、異常気象の影響もあり、その穀物の収穫にも苦しんでいる。
 人口増、経済成長、異常気象の連鎖による、タンパク質の危機の悪循環を背景に、肉や魚以外にタンパク質を摂取できる食品を開発する企業が巨大化している。タンパク質産業は注目の成長分野、いくつかの新種のタンパク質食品の製造企業が世界の企業時価総額の上位にランクインし、シェア争いでを削る。
 少ない餌で育てられる昆虫がタンパク源として重宝され、コオロギ、バッタ、セミの幼虫あたりは主食やデザートとしてよく食べる。とはいえ肉や魚を食べたいというニーズが途絶えることはなく、それに応える人工培養肉の研究開発が激化している。
 味と食感は本物に近づき、「人工肉で充分だ」と感じる人が大勢を占めるようになった。牛や魚の微量の細胞をもとに培養し、人工的に肉や魚をつくる。子どもたちも、肉といえば人工肉のことだと思っているし、幼い頃から当たり前のように食べているので、違和感を持たない。何しろ、人工肉はおいしい。製造には人工知能も用いられ、人間の味覚のツボを突く。当たり外れもなく、コストもリーズナブル。消費者が受け入れている以上、まあそれでいいじゃないかという世論が主だが、消費者団体や本物の肉関連事業者は、安全性の問題や「人工肉は肉ではない」という異論を唱え、規制を求めている。
 人工肉を製造する企業や団体は、その安全性について問題がないことを主張しているし、人工肉が健康に悪影響を与えているという根拠もいまのところはない。体調の異変を人工肉と関連づける話題には事欠かないが、本当のところはよくわからない。「そもそも肉とは何か?」という肉の再定義が必要な局面だが、固めきれない肉の定義をよそに、人工肉は食卓に並ぶ。タンパク質を摂らないといけないし、本物の肉や魚がほとんど手に入らない以上、人工肉を食べなければならないのだ。昆虫ばかりでは飽きてしまう。
 確かに、肉とはいったい何なのかと問われてみると答えに窮する。人工肉だって豊富なタンパク質を含み、食感も味も悪くない。本物の肉を味わっているかのごとくだ。人間が誕生してからずいぶんと長い期間、動物の肉の恩恵を受けて生きてきた。無尽蔵であると勘違いしたツケがやってきて、人間は本物の肉を食べられなくなりつつある。生態系、食物連鎖が永遠に望ましい状態であるだろうと思い込んできた人間のエゴは、未来永劫、本物の肉から人間を遠ざけてしまうのだろうか。それを人間が受け入れてしまうのか、肉とは何かの解も判然としないが、とりあえず目の前の人工肉を頬張りながら生きている、という時代がくるかもしれない。

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