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特集 | まちをワクワクさせるローカルプロジェクト

みんながフラットな関係を築くまち。「のきした」という場づくり。

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長野県上田市の商店街にある劇場・ゲストハウスを備えた文化施設『犀の角』。「みんなで軒下で雨風をしのぐように、人々のつながりで助け合える場をつくりたい」この場所に集まる人々が生み出した、そんな「のきした」とは?

目次

ヒントは「軒下」。雨風をしのぐ場をつくる。

昔の建築物のあり方から、人々がかつて育んできた、しかし今は失われつつある暮らしや文化、考え方を学べることは多い。長野県上田市で行われている「のきした」は、かつて日本家屋にあった空間、「軒下」をヒントに生まれたプロジェクトだ。日本家屋では、建物を雨風から守るために屋根を長めにして「軒」をつくる。このことで軒下には空間ができ、縁側が生まれて、そこが癒しの場になったり、集まった人々によって新たな文化が生まれる場でもあった。
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劇場には珍しく、窓を大きく取った造り。何をしているのかと覗いていく人も。「おふるまい」で、コロナ禍では道路側を客席代わりにして、屋内からガラス越しにパフォーマンスをした。
「のきした」は、「雨風をしのげる場をまちじゅうにつくる」という発想のもと、雨風のような困難に見舞われた人でも、そこにいけばふと助かるような時間を過ごせる場所やつながりを生み出したり、再発見していこうという活動。まちの劇場や映画館のスタッフ、NPO運営者、障害者や高齢者施設の職員、公務員、学生、一般市民など多様な人々が関わっている。

「のきした」のスタートには、NPO法人『場作りネット』の一員として、支援が必要な人の手助けを行う元島生さんと、劇場やゲストハウス、喫茶店などの機能を備えた民間の文化施設『犀の角』の運営者・荒井洋文さんが大きく関わっている。コロナ禍で女性の自殺が増え、また女性からの相談件数が増えたことに危機感を募らせていた元島さんに、以前からの知り合いである荒井さんが声をかけた。自粛を余儀なくされた『犀の角』を、困っている人のために活用してほしいという申し出だった。
 
こうして2020年4月、困りごとを抱えた女性や母子が1泊500円で宿泊できる「やどかりハウス」が『犀の角』内に誕生し、軽い息抜きをしたい人から暴力被害に悩む人まで、さまざまな人を受け入れられるようになった。

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犀の角』の裏にあるゲストハウスの建物と、別のもう一か所の建物が「やどかりハウス」の宿泊場所になる。
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「やどかりハウス」で宿泊する、ゲストハウスの部屋の一例。昼も利用できる。

「おふるまい」で見えた、分断された社会の構造。

この経験から、支援者側による支援や、結果がなかなか出ない行政の対応によるのではなく、普通の市民同士で助け合える場をつくろうと始めたのが、「のきした」だった。

『犀の角』にはこれ以前から、障害者施設を運営するNPO法人『リベルテ』と喫茶店活動でコラボレーションをしたり、オープンは大正時代にさかのぼる近所の映画館『上田映劇』と交流したりと、多くの人が集まっていた。「のきした」にも関わることを希望したこれらの人がまた知人を呼び、関係する人の輪はどんどん大きくなった。意見交換をしてみると、みんながコロナ禍の中で「官民の垣根を越えて助け合える場が必要」という、漠然とした問題意識を持っていた。『犀の角』という場所の性質や、表現に関わる活動をしていた人がいたこともあって、演劇や映画をはじめとするこれからの芸術には何ができるのかという話でも盛り上がった。
 
こうした話し合いの結果、2020年の年末から2021年の年初にかけて、「のきした」にとって象徴的かつ大規模なイベントを行うことになった。寄付で集まった食料を配布したり、『犀の角』裏の駐車場で炊き出しをしたりするという「おふるまい」だ。屋内では、誰でも自由に語り合ったり、書き初めをしたり、飛び入りで簡単な演奏ができたりもした。
 
しかし1日目に、元島さんがつらくて見ていられなくなった、ということがあった。

「そそくさと来て食べものを袋いっぱいに詰めて、声もかけずに去っていく人が多かったんです。助け合うどころか、つながらなくてもいい構造を強化してしまったような気がしました」
 
そこで考えたのは、「まずは話すこと」だった。

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子どもからお年寄りまで大勢が集まる「おふるまい」

出会い直して、表情が優しくなった。

2日目からは、一人一人呼び止めて話をした。3日目には、振る舞う側、振る舞われる側という垣根をできるだけなくそうと、みんなで一緒に豚汁を食べた。
 
そこで見えてきたのは、今は困っている状態がたまたま可視化されただけで、困っている人──多くが社会から排除されていたり、人とのつながりがなかったり──は、ずっと昔から困っていたのだということだった。あるホームレスの男性は、最初は険しい顔つきだったのが日数を経て優しい表情になっていき、自分の苦労話や得意なことの話をしてくれるようになった。そのときに、これは“出会い直し”で“つながり直し”なのだとわかった。分断された向こう側にいたホームレスだった人も、向かい合って話をした後は”苦労人のおっちゃん“として見られるようになる、と。

「のきした」に関わる一人で、東ティモールでの農業支援などを行うNPO法人『APLA』の野川未央さんは、「人は、他人が『この人はこう』と思うように振る舞ってしまうところがある。だからこそ、目に映る姿や状況だけを見て、『こうだ』と決めつけることをなくしていくのが大切だと、改めて思いました」と語る。

「おふるまい」はその後も2か月に1度のペースで続けている。上田市は長野県内でも外国人の住民が多いまちだが、同じまちに住んでいてもなかなか知り合うきっかけはない。そこで何度かは彼らを招き、自国の料理を教えてもらい、一緒につくったりもした。振る舞う人、振る舞われる人の垣根をなくそうという姿勢は当初から変わらず、スタッフ証などはつくらない。責任者や上下関係をつくらないのも特長だ。誰もが普段の肩書や役割と関係なく、そのときしたいことができるようにする。

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イベントでは落語や演劇をはじめ、バンドの演奏やダンス、朗読などが多彩に開かれる。

責任者はいない。だから自分で判断する。

おふるまい」では、ほかにも得られたものがあった。責任者をつくらないやり方は、その都度自分で判断することにつながり、高校生など若い関係者が、指示を待たず自分で考えて物事を進められるようになった。「誰かの許可を待たないといけないと、無意識にすり込まれていたんでしょう。」と元島さんは振り返る。

「のきした」からは、ほかにもお金を介さない譲り合いのマーケット「くるくる市」や、18歳までの子どもに向けたクラブ活動「うえだイロイロ倶楽部」が生まれた。かかる時間を交換するという考えで、お互いができることの取引をする「時間銀行『ひらく』」なども準備中。今まさに、「のきした」がまちじゅうにできつつある。

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「のきした」の主要メンバー。近所の高齢者デイサービスで働く八反田真史さん(左から2人目)も来てくれた。
photographs by Yusuke Abe  text by Sumika Hayakawa
記事は雑誌ソトコト2022年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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