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サスティナビリティ

特集 | 地域をつくるローカルデザイン集

井上岳一さん、藤崎圭一郎さん、川口真沙美さんと「山水郷」からローカルデザインの未来を考える。

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昨年、東京・千代田区丸の内のギャラリー『GOOD DESIGN MARUNOUCHI』で、「山水郷のデザイン-自立共生のためのナラティブ展」を企画し、開催した三人が、ローカルデザインのおもしろさや価値を、「山水郷」の視点から語り合いました。

目次

ローカルから語り始める、 新しい「物語」。

井上岳一(以下、井上) 2021年4月〜6月に東京・千代田区丸の内にある『GOOD DESIGN MARUNOUCHI』で、「山水郷のデザイン─自立共生のためのナラティブ展」を開催しましたが、そのきっかけをくださったのは藤崎さんと川口さんのお二人でした。

藤崎圭一郎(以下、藤崎) 井上さんとは10年来のおつき合いで、僕が教えている東京藝術大学のデザイン科の講義をお願いしています。2019年に上梓された『日本列島回復論』(新潮社)で「山水郷」という概念を提示され、その言葉をテーマにした展覧会を開こうとひらめきました。

井上 山水郷は僕がつくった言葉で、文字どおり「山」と「水」と「郷」、森が豊かで(山)、川や海や湖に恵まれ(水)、人が古くから生活を営み、技術や文化を伝えてきた場所(郷)を表しています。海に囲まれ、7割が山地の日本列島では、都市を除けばほとんどが山水郷と呼べる地域です。でも、その多くが、今は人口減少・高齢化に悩んでいます。確かに都市的な価値観からは不便で不利な場所かもしれません。しかし、「生きる」上では、絶対的な安心の基盤がある。東日本大震災のときに孤立集落となった三陸の漁村では、山と水の恵みを生かし、皆で助け合いながら、人間的な暮らしを保っていた。その光景を見て以来、山水郷にこそ次の社会の鍵があると考えるようになりました。「田舎」や「里山」でなく、あえて「山水郷」と呼んだのは、そこから新しい日本の物語が始まると思ったからです。

藤崎 明治政府が中央集権体制を構築し、現在の東京一極集中の状況を生んだ。僕たちはその明治政府がつくった「物語」のなかに生きているが、それを乗り越え、新たな物語、”ナラティブ“を創生しなければならない。そのキーとなるのが山水郷だという井上さんの視点には共感を覚えました。ただ、「じゃあ、どうすればいい?」という答えが、意図的であれ、本では明確に示されていなかったように感じました。ならば、僕がディレクターの一人を務める『GOOD DESIGN MARUNOUCHI』で山水郷の実例を示そうと、展覧会の開催に至ったわけです。

川口真沙美(以下、川口) 私はその頃から加わりました。以前からお仕事をご一緒している藤崎さんからご紹介いただき、井上さんとお会いしました。数年前から「地方移住」というトレンドはあったものの、東京のデザイナーが地方へ活動の場を移すと「都落ち」ととらえる人もいました。その状況は変わり、ローカルデザインがおもしろい潮流として注目されるようになった今、丸の内という場所で展覧会を開きたいと思いました。

井上 山水郷を展覧会にするなんて発想は僕にはまったくなかったのでうれしかったです。

藤崎 ところが、企画を始めようとした2020年に新型コロナが蔓延してしまい、展覧会は延期に。YouTubeで「山水郷チャンネル」を開設し、ローカルで活躍するキープレイヤーのみなさんの活躍ぶりを紹介しています、今も。

井上 ローカルで活躍されているのはデザイナーなどのクリエイティブな方が多い印象です。無から有を生む「ゼロイチ」の能力に長けているからでしょうが、デザイナーでなければローカルで活躍できないかというとそんなことはありません。

藤崎 井上さんの紹介で「山水郷チャンネル」にご登場いただいた、害獣駆除に取り組む『くまもと☆農家ハンター』代表の宮川将人さんもそう。職業は蘭農家。デザイナーではないけれど、地域をデザインする活動を続けておられます。

井上 「そもそも、デザインってなんだろう?」と議論しましたよね。「デザイン」という言葉が多様な分野で使われるようになり、再定義が必要じゃないかと。

藤崎 デザイナーは産業革命以降の大量生産が生んだ職業で、製品の原型(プロトタイプ)をつくるのがその仕事とされていました。実際に形にするのは工場の工員さんたち。ただし、バウハウスやチャールズ&レイ・イームズは、工房のなかで実際に自分たちの手を動かして「プレイ」する感覚で試行錯誤(プロトタイピング)を繰り返し、デザインを生み出していった。

井上 「モダンデザインの父」と呼ばれる19世紀のデザイナーで思想家のウィリアム・モリスも著書『ユートピアだより』で、タイムスリップした22世紀のロンドンでは、人々は必要なものを自分たちでつくりながら、美しく喜びに満ちた暮らしをしていると書いています。それが理想の社会だと。

藤崎 そして今、「プレイ」するフィールドが都市の工房ではなく、山水郷の営みにあると気づいた若いデザイナーたちが活躍の場を地方へ移しているのでしょう。

井上 都市では、デザインは専門分化され、グラフィックならグラフィックの能力だけを研ぎ澄ませていくことで生きていける世界があります。一方、山水郷では、専門分化はほとんど意味をなしません。都市のように人が大勢おらずシステム化されていないというのもありますが、現実にインパクトをもたらすためには全部やらないといけないし、全部を任せてももらえるからです。そういう中でデザイナーたちは総合的なクリエイティブの力を磨いています。都市のように構想だけして実行はほかに任せるということがないので、自分で考え、自分で形にできる逞しさと力強さがあります。難しい課題を前にしても、仲間と前向きに取り組み、ユニークな解決方法を構想・実行して楽しんでいる。まさに「プレイ」だなと思います。

川口 地域ではデザイナーとしての本質や、本来の役割が求められるような気がします。創発力や実行力、人を巻き込むセンスとか。

井上 例えば、建築家が商店街の再生に関わるというとき、店舗のデザインだけで終わるというのが普通です。でも、今の若い世代はそこに留まらず、自らカフェのオーナーとなって商店街に入り、グラフィックを手掛け、PR映像をつくり、コンサルティングもするというように、多面的に活動しています。専門分野や立場を易々と越境できる知性と能力を今の若い世代は備えています。そうやっていろいろな分野や世代の方々と付き合う中で、”多面体“としての自分が開花していくのです。

川口 地域の歴史や文化を掘ることで、デザインのヒントを得ているデザイナーも多いと感じます。デザインが拠って立つ基盤が深いというか。

井上 その深さは、山、水、郷との対話からくるのではないでしょうか。豪雪地帯なら雪と向き合わざるを得ないし、海のそばならその文化を無視することはできません。路地にたたずむおじいさんとの対話からも自身が磨かれ、深くなっていく。その深さが、山水郷のデザインにつながっていく。

藤崎 開かれていますよね、山水郷は。デザイナーを訪ねてコンコンと扉を叩けば、仕事中でも笑顔で扉を開いて迎えてくれそうです。でも、東京だと「前もって電話してよ」と煙たがられそう。

井上 福井県鯖江市で活動する『TSUGI』の新山直広さんは、プロジェクトを説明するときに関わった人全員の名前を積極的に公開しています。あれも、一つの開かれ方。企業の場合、あそこまでオープンにはなれない。

藤崎 そう。ローカルデザインを語るとき、東京と地方という二項対立でとらえがちですが、企業に雇われているインハウスのデザイナーの存在を抜きに語ることはできません。ある意味、地方のデザイナーの対極とも言えます。実は、日本のデザインの世界ではインハウスのデザイナーが結構力を持っています。ただ、企業の守秘義務があるからインタビューをしても多くを語りません。いわば、閉じたデザイナー。しかも「プレイ」しないから、失敗しない堅実なデザインが多い半面、おもしろみに欠けます。一方、ローカルには「プレイ」できる環境が豊富にあり、多少の失敗も許されます。だから、ローカルデザインはおもしろいのです。

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「山水郷のデザイン展」開催のきっかけにもなった井上さんの著書『日本列島回復論』。新しい日本の「はじまりの場所」としての、山水郷を論じている。
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「山水郷のデザイン展」のキー・ビジュアル。

未来をつくる人は、 誰もが「デザイナー」。

藤崎 もう一つ、ローカルデザインを語るときに忘れてはいけないのは、1970年代に都市からやって来たデザイナーが「地場を荒らした」こと。デザインはある種の啓蒙活動とも言えます。近代化されていない地域のものづくりの現場を訪れたデザイナーが、「こういうデザインの商品をつくりましょう」と知恵を授け、それを地方の職人たちが受け入れてつくるというものでした。ところが、その関係が崩れます。デザイナーの啓蒙どおりにつくってはみたがちっとも売れない。結局、地場産業をかき回しただけで、デザイナーは都市へ帰る。それを、「地場を荒らす」と。そんな、土地を開発するようなやり方で地場産業を変えていくのではなく、鯖江の新山さんがインハウスデザイナーならぬ「インタウンデザイナー」と称して地域に入っていったように、地域の人たちとお酒を飲み、膝を突き合わせ、自然や人を肌で感じながら共存共栄になれる仕組みをつくっていくもの。デザインは啓蒙であってはいけないのです。

川口 悪く言えば、啓蒙は押し付け。「荒らされた」地域のものづくりの現場ではその後、「デザイン」と口にした途端、拒絶反応を起こす人もおられたように、地域のものづくりとデザインが不幸な関係に陥ってしまったことがあったのは事実です。

井上 上の世代の「失敗」から学んだ若い世代は、地域から搾取しないデザインを心掛けるようになっています。そんなふうに地域の歩んできた経験を、世代を超えて伝え、共有することが大事ですが、そのための「場」や「回路」が地域に足りていないことは課題です。上の世代と話し、地域を読み解き、その視野をさらに日本や世界といったマクロに広げることで、未来へ向けたアクションを起こせるようになりますから。

今日は三人で、「美の基準」でも知られる神奈川県・真鶴町に集合しました。都心から電車で1時間半ほどなのに、岬には「お林」と呼ばれる森があり、きれいな海があり、まちにはコミュニティもある。まさに山水郷。先日、真鶴町のまちのデザインコード「美の基準」をつくったメンバーや『真鶴出版』の川口瞬さんたちと、「美の基準」誕生30年を振り返る座談会を行ったのですが、「美の基準」をつくったメンバーから、「『美の基準』を神棚に飾っていないか?」と指摘がありました。もっと使い倒して必要なら見直せばよいということです。そんな話を聞くことで、「美の基準」の見え方も変わってくるのですが、こうした世代を超えた話し合いの機会は意外に少ないのです。

川口 自分のおじいちゃんの話を直接聞く機会がなくても、誰かが間を取り持ってくれることでその貴重な体験を知るということもあります。外からの人が間に入るからこそ、つまびらかに話してくれる方もいますから。

井上 僕はすでに核家族世代で、地域の歴史と縁が切れています。若い世代はさらに切れているかもしれません。ただ、切れているからこそ「教わりたい」「教えてあげよう」という世代を超えた関係性が生まれることもあります。藤崎 東京藝大の学生の作品の傾向としてあるのは、自分の家族や住んでいる地域をテーマにする学生が増えていること。以前多かった「私の内面世界を見て」的な作品ではなく、家族や地域をきちんと観察し、それをベースにつくる作品だから共感できるのです。例えば、障害のある兄との関係を見つめ直しながら兄と共作した作品は、多くの共感を得て、今年のデザイン科の卒業制作展でトップの賞を取りました。地域でデザイン活動をしている人たちもそう。地域に寄り添うのではなく、地域を引き寄せ、自分ごととして、その自分を観察し表現することによって課題の解決に挑んでいます。それは自己表現ではなく、自己言及。その方法論はSDGsの解決にもつながります。ナイーブで、グローバルな視点は欠けていても、どこかで共感を得る力、人と人をつなぐ力を持った若い人たちが少しずつ増えているような気がします。

井上 つながるという面では、新型コロナによって、僕らは気軽にオンラインでつながれるようになりました。全国のローカルプレイヤー同士がオンラインで活動を紹介し合えるようになったのはいいことです。海外ともつながれますし、その環境を生かせる人や地域はさらに伸びていくと思います。互いの活動を見聞きし、学び合うなかで、共通する部分や自分たちに足りない部分を見出しながら方向性を定め、互いに発展していく。そうした状況の広がりは未来への希望でもあります。

川口 地域のデザイナーが向き合わなければいけない現実の一つに、安易な東京化との闘いもあると思います。以前、「山水郷チャンネル」の54回目にゲストとしてお越しいただいた、兵庫県神戸市・塩屋町の『旧グッゲンハイム邸』管理人で音楽家の森本アリさんが、昔からの入り組んだ道だからこそのよさもあるのに、2車線の広い道路を通すことがステータスだと思っている人は今もいるというお話をされました。駅前の景色をどこも同じようなものにしてしまわないためにも、2車線道路賛成の意見とどう折り合いをつけ、地域ならではの「だからいい」という価値観を、どう共有できるか。何を「いい」と思うかはみんな違うし、もちろん違っていいのですが、東京化しないよさを地域の人たちに伝える難しさに、ローカルデザイナーたちは直面しているのではないかと思います。

井上 どこの地域でも、「ここには何もない」と地元の人が言うのを聞きます。でも、それは東京化した価値観や産業化された目線で地域を見ているからです。例えばこんな話があります。徳島県・神山町に『WEEK神山』という宿泊施設があるのですが、設計者の案を実現するには、構造計算上、直径350ミリの丸太が22本必要となった。ところが、そのサイズの木材は市場には流通していない。それで困ったとなった時、製材所の人に「そこの山に生えているよ」と言われて、結局、山から丸太を伐り出して建てることができたそうです。これは産業構造や流通の仕組みに適合しないものは、あたかも存在しなくなってしまうということですよね。そうやって産業から取りこぼされたものが山水郷にはたくさんあるはずです。それを見つけ出し、価値に転換することがデザイナーの役割であり、それこそが「山水郷のデザイン」なのだと思います。

藤崎 もちろんそれはデザイナーの役割ですが、職業としてのデザイナーに縛られる必要はまったくない。未来にどういう望ましい社会をつくっていくかを考えて実現していく人がデザイナーです。デザインは美の問題ではなく倫理の問題。「こういう社会にしたいと思っているのだが、どう?」と、みんなで語り合う場をつくるのもデザイナー。そういう思いと行動力のある人なら、編集者であっても、食堂の料理人であっても、農家であっても、誰もがデザイナーだと思います。V・パパネック著『生きのびるためのデザイン』の冒頭に、「人はだれでもデザイナーである」と書かれているように。

井上 同感です。繰り返しますが、「山水郷のデザイン展」で取り上げたのは職業としてのデザイナーに限りませんでした。本質的なクリエイティブを実践している人はみんな、デザイナーです。いや、むしろ「ローカルクリエイター」と呼んだほうがいいかもしれませんね。そんな話をしていたら、「山水郷のデザイン展」の続編に思いを馳せてしまいました。実はもう次回のテーマは決めてあります。僕の好きな言葉で、「コンヴィヴィアル」。誰かに支配されるのではなく、自立した人たちがともに生き生きと生きていく世界をつくっていくという考え方。山水郷を訪ねると、本当に楽しく、生き生きと暮らし、働いている人たちがいます。そんなコンヴィヴィアルな山水郷の姿を紹介したいです。取り上げる地域も前回は3地域でしたが、次回はもう少し増やせられたらと思っています。

藤崎 コンヴィヴィアルという言葉には、「自然に還れ」ということではなく、最先端テクノロジーや社会インフラをほどよく使いながら自立した生活をしていこうというニュアンスも込められているような気がします。

川口 「人としてどう生きるか」を考えるきっかけにもなりそうな言葉でもあります。ぜひ、続編を開催したいですね。まだ未定ですが、開催したらぜひ『ソトコト』読者のみなさんにもご覧いただき、これからの暮らし方に生かしてもらえたらうれしいです。

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「山水郷のデザイン展」の様子。「山」は岡山県・西粟倉村、「水」は長崎県雲仙市、「郷」は福井県鯖江市を紹介。地域で活動する人(動画とテキスト)や生み出されている物を展示した。展示会場は、『GOOD DESIGN MARUNOUCHI』。(写真提供:日本デザイン振興会)
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『真鶴出版』の共有スペースで鼎談を行った後、『真鶴出版』代表の川口瞬さん(左)たちと談笑していた。
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いのうえ・たけかず●東京大学農学部卒業。林野庁、『Cassina IXC』を経て、『日本総合研究所』で持続可能な地域社会のデザインに取り組む。
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かわぐち・まさみ●青山学院大学経営学部卒業。グッドデザイン賞を主催する『日本デザイン振興会』事業部で、デザインプロモーション事業に取り組む。
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ふじさき・けいいちろう●上智大学外国語学部卒業。『デザインの現場』編集長を経て、デザイン評論家、編集者。東京藝術大学美術学部教授。
photographs by MOTOKO & Takekazu Inoue 
text by Kentaro Matsui

記事は雑誌ソトコト2022年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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