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サスティナビリティ

連載 | リトルプレスから始まる旅

雨ニモマケズ)

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目次

自戒のための、祈りの言葉。

リトルプレスは、紙と鉛筆さえあれば誰でも作ることができる。今回紹介するリトルプレスは、『451ブックス』制作の『雨ニモマケズ)』。MacBookとプリンターを使い、A4判の和紙に印刷、手製本して作ったリトルプレス。

素材は宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」。1931年頃の仮名遣いを現代風に読みやすく調整をしている。

「雨ニモマケズ」は、賢治の死後、1934年に彼の大きな革トランクのポケットから手帳が発見され、そこに書き留められていた文章の一節を切り取ったもの。

教科書にも掲載され、多くの人に知られるこの詩は生前に発表されたものではなく、発見した賢治の弟・宮沢清六、詩人の永瀬清子や草野心平らによって評価され、一つの詩として知られるようになった。

雨ニモマケズ)
このページから始まります。小さなイラストを添えました。

2011年の東日本大震災後に、有名俳優による朗読や、支援への喧伝などで、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という言葉を改めて耳にすることも多かった。

太平洋戦争時、「雨ニモマケズ」は軍国主義教育下の訓話などに引用され、政治スローガン「滅私奉公」や「欲しがりません勝つまでは」などと結びつけられ、日本全国に広められたこともある。

元来、この詩(言葉)は、他人に読ませるものではなく、自戒用の祈りの言葉として手帳に書き留められたものと考えられている。言葉の続きには、法華経に傾倒していた様子がえる「南無妙法蓮華経」の言葉を見ることもでき、「雨ニモマケズ」を理解するためには、彼の宗教思想の背景を知ることも不可欠であることがわかる。

雨ニモマケズ)

明治三陸地震で、大津波が東北を襲った1896年に生まれた宮沢賢治。岩手の農民たちが冷害や干害などに苦しめられている時代に、彼の知識をもとに『羅須地人協会』を設立し、農民芸術の講義とともに農業指導を始めた。

協会の活動は社会教育を行っているとみなされ、当時の花巻警察署長によって活動を中止させられたが、個人としての農業指導を止めることはなかった。

そのことからも「雨ニモマケズ」は政治的に利用されるべきものでも、支援への喧伝に使われるべきものでもないことがわかる。

雨ニモマケズ)

当時の岩手、そこに生きる人々と、彼らに寄り添って生きた賢治の思い。生きていくこと自体が大変である現代。宮沢賢治の目でもう一度「雨ニモマケズ」や、彼の作品から考えてほしい。

彼の死(1933年)後87年。著作権は切れ、その作品を誰もが利用することができ、彼の作品を楽しむために読むだけでなく、自分で本を作ることも可能になっている。

その見本となり、より多くの人に接してもらうため、『451ブックス』としてリトルプレス「雨ニモマケズ)」を制作した。

『雨ニモマケズ)』著書から一言

雨ニモマケズ)

『451ブックス』を始めて14年が過ぎました。本屋としての存在感は小さなままですが、日々いろんな本に出合い、それらの本を紹介するためにさまざまな活動をしています。今回紹介した以外にも宮沢賢治の本(『注文の多い料理店』、『冬と銀河ステーション』、『サキノハカ・生徒諸君に寄せる』)を作っています。

今月のおすすめリトルプレス

雨ニモマケズ)

『雨ニモマケズ)』

A7サイズの小さな手製本。

発行:451ブックス
仮名遣い・イラスト:根木慶太郎
75×105mm 16ページ
2020年3月(改版)、330円

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