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サスティナビリティ

連載 | こといづ

やがて

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 ウーーー、ピーポーピーポー。大晦日も直前の29日、朝早く、救急車のサイレンが谷じゅうに響き渡った。何事かと目覚めると、妻は、ぱっとそこらにあったものを羽織って一目散に家を飛び出していった。僕も急いで着替えて後を追いかけていったものの、意識がはっきりしない。鎌ん坂を駆け下りていくと、救急車が止まっている。ハマちゃんの家の前だ。目が覚めた。そういえば、数日前に「気分が悪おて、もどしてしもた」と言っていた。「テレビでやってたノロウィルスかもしれん」と半ば冗談で言っていたのかと思っていたら、ほんとうにそうだった。集まっていたマサミさんやエッちゃんの話を聞くと、大事には至ってなくて、ひとまずほっとする。病院に着くと点滴を打ってもらっているハマちゃんが弱々しく、「あかん、あんたらは来たらあかん。うつしてまう」。横になっている姿を見てよかったと思った。ここなら休めそう。というのも、この2週間、ずっと眠れていなくて、しんどそうだった。ハマちゃんは、身の周りで問題が起こったり心配事があったりすると、それが気になって眠れなくなってしまう。2週間前にお兄さんとちょっとした気持ちの行き違いがあって、それ以来、ゆっくり休めていなかった。横になっているハマちゃんを見て、これですべて溶けて流れるといいなと思った。退院したと聞いたので、元日の夜に家に寄ってみると、「心配かけて悪かったな。蟹でも食べて行きない」、大勢の家族に囲まれてハマちゃんが身軽そうに笑っていた。

東野健一さん※が亡くなられた。大病で余命宣告を受けておられるのは知っていたけれど、どうしても一緒に舞台に立ちたくて、無理を言って昨年秋の「大おおやま山咲えみ」というコンサートで紙芝居を披露していただいた。すでに容体が厳しくなっているとのことだったので楽屋ですぐに横になれる環境を用意していたくらいなのに、稽古場に現れるや、挨拶も手短に、予定もしていなかった本気の紙芝居がはじまってしまった。それまで緩やかに練習していた他の演奏者たちもスタッフも、みんな静まり返った。東野さんの命を削った芸を目の当たりにして、みんなの魂に一気に灯りがついた。僕は少し離れたところで、いままさに、すごいものを与えられ受け取ってるのだなとぞくぞくしていた。本番の舞台上での東野さんはもちろん素晴らしかったけれど、僕は、あの日の稽古場の、子どものように衝動を抑えきれないまま、お客さんもいない、全く何も用意されていない場所で急にはじまった東野さんの本気の大舞台が、心に焼き付いて消えない。

ギッ!! 大きな怪物がむくりと起き上がったような唸りが響いて、天井を見上げる。そうか、ここは家の中ではなく、怪物の胃の中だったかと思い巡った瞬間、どおどどどどどおおぉぉ、大量の雪がなだれ落ちて、あっという間に家のぐるりを背の高い雪の壁が覆っていった。この大雪が冬の終わり頃にやってきたなら、うんざりしていたかもしれない。今はまだ冬のはじまり、その真っ白なふくらみが、何もかもを覆い尽くして、ただただ美しい。数年に一度の大寒波が迫っていると早くから報せが届いていたので、10日くらいはやっていけるようにと、畑で野菜を多めに収穫し、山で大量に柴を拾い集め、薪をすぐに使える位置に運び直した。食料も暖も十分な備えがあるので、今年は雪と闘わずに、太陽が解かしてくれるまま、雪に閉じ込められたまま、ゆっくり過ごしてみようかと思った。雪が降るままに任せていると、集落から我が家へと通っている一本道は分厚い雪に覆われてしまい、車はおろか、とても歩けない。「お届けの荷物を預かっているのですが、すみません、雪でそちらには向かえません」と宅配屋さんから電話が掛かってきた。家の外に出てみても、雪がしんしんと吸い取ってしまって、村人の気配もすっかり消えてしまった。時折、鳥が甲高い声で飛び交っては、ようやく見つけた南天の実や桜の蕾などをくわえ飛び去ってゆく。あとには静けさというより、何にもない。あらゆるものからの繋がりや縁も何もなくなってしまったようにさえ感じる。ああ、ほんとうに山にぽつりだな。はて、ここでいったい何がしたかったのだっけ、不意に、孤独、寂しさ、頼りなさが襲ってきたかと思ったら、ほっと、ほおおっと、ようやく「自分に還ってこれた」安心感があった。外界から閉ざされて、気にすべき要素が減ったからか、ぎゅっと自分の内側に入っていける通路がぽわんと開かれた感触があった。すると、ああ、今年はこういうことに挑んでみたいなとか、こういう準備をいまからはじめたいなと、やりたいことがどどどっと一気に溢れてきた。陽が差し込んできて、ゆっくりゆっくりと雪を解かしていっとるなあ、今日あたり雪掻きでもするかと伸びをしていると、坂の下からわいわいと賑やかな声が聞こえてきた。「かっちゃん、雪掻きに来たで。一気に開通したるわ」、スエさん一家、おじいちゃん・おばあちゃん、息子にお嫁さんにお孫まで、凄まじい速さで雪を掻き分け上ってくる。孫のアラちゃん・イッちゃんは、雪の上をすいすいバタバタとクロール泳ぎしながら上ってくる。「おお~い、知ってたかあ。山でも泳げるんやで~」、がはははは。さすがこの地で生まれ育った強靭パワー。あっという間に一本の素敵な道が現れて、外の世界と繋がった。家族がおるって、人数がおるってええなあ。「じゃあね~、バ~イバ~イ」、軽トラに繋げられたソリに乗って元気よく帰っていった。「よし、外に繋がったということなら今から温泉にでも行くか」、わいわいと妻と車に乗り込み、じわじわ、するすると坂を下りていった。ずっ、ぐたん。集落の道に出るまでもなく、雪に拒まれて途中で動かなくなった。陽も暮れかかって暗くなってきた。見かねたヒロシさんが「こうぉりゃ、どおしたんじゃい」とスコップ片手に家から出てきてくれて、一緒に車を脇まで動かした。「ありがとう、ヒロシさん、びしょびしょやね。もうすでにあったまって一杯やってゆっくりしてたんやろうに。ごめんね」「なにうぉい。昼からやっとるわい。がははは」。家まで歩いて戻りながら、やっぱりもう少し家にこもっていようと思った。慌てんでよい。ゆっくりゆっくり、何もかも解けていっとおわい。

※インドで古くから伝わる「ポトゥア」という絵巻物紙芝居師と出会い、自ら日本の「ポトゥア」として活躍。2017年1月に死去。70歳だった。

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