『tachimachi』代表の倉田敏宏さんは雇っているスタッフに、「一緒にやらない?」というスタンスでともにチャレンジを続けている。広島県福山市にある3軒の店のオーナーの「仕事観」を尋ねた。
人との縁や、勢いで、新しいことに挑戦!
新しいことを始めるとき、必要なのは勢いだ。広島県福山市で3軒の飲食店を経営する『tachimachi』代表の倉田敏宏さんの場合、勢いをつけたのは、『トマトが切れれば、メシ屋はできる 栓が抜ければ、飲み屋ができる』という店舗経営の「指南書」だった。倉田さんは当時、福山にコミュニティスペースをつくろうと『tachimachi』を起業したが事業が進まず、窮地に立たされていた。「トマトなら切れる。よし、居酒屋をやるぞ」と「指南書」の題名だけ見て意を決した倉田さん。飲食店のプロデュースを行う『夢笛』代表の高橋英樹さんに相談すると、自身が運営する『城下横丁』での出店を勧められ、一区画を借りた。それが、2018年にオープンした『暮らしの台所 あがりこぐち』だ。
ところが、飲食店経営は簡単ではない。スパイス料理店を始めるも、1か月の売り上げが19万円。「やばい」と思った倉田さんは業態を居酒屋に転換。「普通に枝豆や唐揚げを出す店にしました」。それが奏功し、お客が増えた。さらに、店内でイベントを開催すると、立ち見客が出るほど賑わい、「おもしろい人が集まる店」というイメージがついた。愛媛県越智郡の離島・岩城島からレモンを仕入れて、レモンサワーをつくって出したら評判になり、さらに北海道へ仕入れに行って生産者や食材をSNSで紹介すると、口コミで大勢のお客が押し寄せた。
そんなお客の一人に佐藤千萌さんがいた。佐藤さんは今、『tachimachi』の社員となり、『裏路地レモネードスタンド 四畳半』の店長をしているが、1年半前はフリーターだった。群馬県の大学から福山に戻ったばかりで、地元の同級生から、「お酒がおいしい店か、友達ができる店か。どっちがいい?」と飲みに誘われ、「友達ができる店」と答えたら『暮らしの台所 あがりこぐち』に連れてこられた。「今思えば、どっちを選んでもこの店だったみたいですけど」と、佐藤さんは笑顔で振り返る。
佐藤さんは3度目の来店時に倉田さんから誘われ、『暮らしの台所 あがりこぐち』で接客のアルバイトを始めることに。2か月ほど経つと、「裏路地にある4畳半ほどの建物で居酒屋をやるけど、佐藤さんどう?」と店長を任された。いきなりのことに「無理」と断ると、「何が無理?」と倉田さん。「お酒がつくれないから」「瓶ビールだけ出せばいい」「一人で店をやったことがないから」「俺も君の年で店やってた」とできない理由を一つひとつ潰され、引き受けることに。日曜だけの居酒屋として営業していたが、半年後、新型コロナウイルスが感染拡大。4月と5月を休業し、6月から営業再開という直前に、「3密を避けられない居酒屋はやめ。レモネードスタンドにする」と倉田さんから連絡が。「え?」と佐藤さんが驚く間もなく業態転換となった。
業態を転換したことで客層が一気に広がった。「高校生、お年寄り、仕事帰りのサラリーマン、天満屋の販売員さん……」と、佐藤さんはお客のタイプを指折り数える。最初は戸惑った店の切り盛りも、「今は大丈夫。お客さんと接するなかで、本来の自分を取り戻すことができました」と装ったり、気負ったりすることなく、素の自分でカウンターに立っている。
遠くまで行きたければ、みんなと!
『暮らしの台所 あがりこぐち』の隣で9月にオープンしたのが『日本酒スタンド たゆた』だ。店を出した理由を倉田さんはこう語る。「新型コロナが広がっているんだから、若者はおとなしくしていろと言われて。義憤に駆られたというか、今、飲食店にとって厳しい状況だからこそ、挑戦する気持ちをなくしてはいけないと思い、開業しました。意地ですよ」。
店長として白羽の矢が立ったのは、加藤陽介さん。大学4年を休学し、バックパッカーとして海外を旅しようと2月に台湾へ渡った矢先に新型コロナウイルスが流行。急遽帰国し、『暮らしの台所 あがりこぐち』でアルバイトをしていたら、倉田さんから「日本酒の立ち飲みの店、やらない?」と声をかけられた。加藤さんは「いいっすよ」と二つ返事で承諾した。ただ、加藤さんは年齢的にも日本酒を飲み始めたばかり。「お客さんに教えられながら、日本酒の魅力を学んでいます」とはにかんだ。加藤さんは出身地の三次市に学校を建てるという夢を持っている。そのためにも、「自分の住む地域に愛着を持てるコミュニティづくりを学びたい」と、『日本酒スタンド たゆた』で修業を積む。
『tachimachi』の理念は、「暮らしの『余白』を彩る」だ。その理念を実現するためのミッションは、「日常にリトリートをつくる」。リトリートとは、のんびりすること。倉田さんが店長を務める『暮らしの台所 あがりこぐち』は、備後(広島県東部地方)の方言で玄関の上がり口という意味。「近所の人が立ち寄って、玄関先でのんびりと世間話を楽しむように、気軽に訪れる場になってほしいです」と店名に込めた思いを語る。店内には、お客が「これ何?」と聞きたくなる仕掛けがあちこちに潜んでいる。「福山の山間部で一人っ子で育ちました。さみしがり屋だったので、どうすれば人とコミュニケーションできるかばかりを考えていました。人が集まる場をつくっているのも僕らしい仕事」と倉田さんは言う。
心がけているのは、パソコン用語の「ハブ&スポーク」。スタッフが場のハブとなり、そこにネットワークとして接続してくるお客とコミュニケーションを取りつつ、やがてハブは消え、お客だけが有機的につながり合う状況をつくること。「人と人をうまくつなげられれば」と倉田さんは話す。お客を店の雰囲気に巻き込む倉田さんは、佐藤さんや加藤さん、アルバイトスタッフとも「一緒にやらない?」というスタンスで接している。「僕ひとりでコミュニティの場をつくっても、店の売り上げを計算しても、楽しくない。アフリカのことわざに、『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなと行きなさい』という言葉がありますが、僕はみんなと一緒に遠くまで行きたいのです」。
倉田さんは26歳。勢いで始めた『暮らしの台所 あがりこぐち』だが、仲間と一緒に歩く道のりは、まだまだ遠くまで続いている。