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仕事・働き方

特集 | 自分らしい働き方

平日は畳屋、休日はラッパー!? 老舗畳店4代目の仕事。

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「平日は畳職人、週末はラッパー」。そんな働き方を実践する「MC TATAMI」こと、徳田直弘さん。実家は福岡県朝倉市甘木で明治38年(1905年)から続く老舗畳店。奇妙なダブルワークに至った経緯や、ビジュアルとは裏腹に、真摯かつ壮大な野望について。

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「あさくら再興☆未来マルシェ&LIVE」にて。MC TATAMIの曲で、老若男女問わず、盛り上がる会場。音楽と“畳”の力を思い知らされた。

 美しい田園風景の中、軽快なラップが響き渡る。ここは「あさくら再興☆未来マルシェ&LIVE」の会場。2017年の九州北部豪雨で甚大な被害を受けた朝倉地域を盛り上げようと有志らが立ち上げたイベントで、MC TATAMIはこの日のライブゲストの一人。耳馴染みのよいサウンドと覚えやすい歌詞で、会場は大きな盛り上がりに包まれる。ある曲で会場は一体になった。「いっちゃん好きばい」。久留米大学の学生とつくった朝倉・東峰村の復興応援ソング。歌詞には同地域の観光名所や名産品が並ぶ。

 ここまで読んで「MC TATAMIは、ラップで地域を盛り上げる人?」と思った方も多いかも。いえいえ、違います。彼は地元の枠を超え、壮大な夢を胸に活動する、『吉本興業』所属のれっきとしたアーティスト。まずは現在のスタイルになったストーリーから。

目次

人生にきちんと挑戦したかった。そして“歌う畳屋”になった。

 MC TATAMIこと、徳田直弘さん。地元の工業高校卒業後、一部上場企業に就職。が、たったの1年で辞めてしまう。それは2010年のこと。「畳屋は古臭くって嫌だったんです。だから真逆の、最先端の道に進もうと、半導体関連メーカーを選んだんです。でも、ちょうどリーマン・ショックがあり、人生について考えるきっかけもありました。そこで、『やっぱり自分は、小さいころから大好きだった音楽をやりたい!』って強く思って。会社や先輩に相談したらめちゃくちゃ反対されました。一方で、『徳田みたいな18歳の時に、自分の好きなことをやっておけばよかった』ともすごく言われ、その時に『こんなこと言う大人には絶対になりたくない!』って、自分は何かに挑戦をして、だめやったら、『俺は挑戦したけど、だめやった!』って言える、大人になろうって」。

 退職後、まずはお金を貯めようと派遣会社に登録。工場などで昼夜問わず働き、貯めたお金でボーカルスクールに通いだした。スクール主催のライブなどにも出演、当初はカバー曲などを披露していたが、あることをきっかけに、現在に通じる“畳ソング”をつくることに。「オーディションやライブに、応募したり出演したりするけど反応がよくなくて悩んでいた時に、ボーカルスクールの先生から『なんで畳屋にならないの?』って唐突に言われたんです。『これから社会は畳を求める。畳は気持ちいい。フローリングに寝っ転がるのは痛いでしょ? でも、ただ畳屋さんになるんじゃなくて、君は歌をやっているんだから“歌う畳屋さん”になりなさい。そうすれば所属事務所も決まる』って。『なにを根拠に?(笑)』って思ったし、働きながら音楽をやる人なんて当時はいなかったから、どうしようかと思ったけど、実家が畳屋だし、1曲くらい畳の曲を作ってみるかって。できたのが『愛され畳』。で、それをライブで披露したら、今までにないくらいお客さんが笑顔で、反応もすごくって。ある大工さんから『うちの息子が就職に悩んでて、この歌を聴かせたい!』って言ってもらえたのにはうれしかったし、びっくりしました。『畳の歌で人に行動を起こさせる』って、よく考えたら俺にしかできない。歌がうまい、ルックスがいい、才能がある人はいっぱいいる。そこで闘うには畳の歌しかないなって。父親と祖父に『畳屋になる!』って言って修業を始めたのが2013年ですね」。

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父・幸生さん、母・依子さんと一緒に。「息子は小さいころはおとなしくて、目立たなかった。だから今でも不思議。人間って、わかんないですね。でも、成長するし、変わっていいと思う」と幸生さん。

畳業界、藺草産地への危機感から、「九州畳万博」を開催する夢へ。

畳業界、藺草産地への危機感から、「九州畳万博」を開催する夢へ。

 家業を手伝いながら、畳に関する技能をさらに高めようと福岡畳高等職業訓練校に3年間通い、国家資格「畳製作技能士」も取得。現在は徳田畳襖店の専務取締役であり4代目「後継者」として活躍する。相乗効果も起きた。MC TATAMIとしての活動も徐々に広まり、「朝倉におもしろい畳屋がある!」「歌う畳屋がいる!」などと、メディアで取り上げられ、実家の畳店への注文も増えた。しかし、徳田さんが目指した「未来のカタチ」はそこではない。

「衰退する畳業界を盛り上げたい。福岡の中心・天神とかを歩いてて、信号待ちしとったら不動産情報が目に入る。そこで見る間取りに畳の部屋はほぼない。畳屋になってから新築の家に行くと畳の間がなかったりする。危機感が身近にありました。そして九州は畳の原料となる、藺草の産地。とくに熊本県八代市は日本の98パーセントを生産してるんですが、生産農家はこの30年で10分の1以下にまでなっている。全国の畳店、藺草の産地など含め、業界全体を盛り上げていきたい」

 その想いは、あの吉本興業に通じることになる。2019年3月、九州の新たな才能を発掘するという目的で「九州エンタメBIGオーディション」が開催された。「ラップを1分間、あとの4分はパソコンを使ったプレゼンをしたんです。提案したのは『九州畳万博を博多駅で開催したい!』というもの。ステージも畳、客席も畳。マルシェでは食用藺草を使ったパンケーキやコーヒーを出してもらって」。優勝者不在ではあったが、徳田さんは唯一、吉本興業とのマネジメント契約を勝ち得た。折しも同社は、地域課題を解決するビジネスを推進する『ユヌスよしもと』を2019年に立ち上げたタイミング。「地域課題をSDGs視点で解決していくことは、ずっと自分もやりたかったこと。同じ視点を持つ会社とご一緒できるのは、とてもありがたいです」。

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『徳田畳襖店』の店内に掲げられた色紙の数々。地元放送局をはじめ、全国メディアなど、多くの取材が行われた。活動の楽しさと、徳田さんの人柄が人を惹きつけるのだろう。

 徳田さんに、今後の活動について聞いてみた。「吉本興業のクラウドファンディングサイト『SILKHAT』でも、『畳を広めたい』というプロジェクトで、畳パーカーやTシャツの販売のほか、藺草産地への体験ツアーを企画しています。あとは、SDGs視点での取り組みをもっともっと深めていきたい。畳を作る工程で出る端材を靴のインソールにしてみたり、藺草の廃材をオーガニックの土づくりをする企業に持ち込み相談したり。食べられる藺草もあるので、それらを使った麺やクラフトビールなんかもできないか、日々模索しています!」。

 いつか本当に博多駅で「九州畳万博」をやるために、一歩一歩。最後に、現在の活動スタイルのきっかけになったという畳ソング、「愛され畳」の歌詞を引用したい。

「最近どこの家も和室が少ないな。それでは少し、悲しんだな。いいものを残したくって。畳は素晴らしいんだってことを伝えたくて、今ここでオレ歌うよ」

 活動の原点は、きっと“畳愛”。

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工房で作業をする徳田さん。ちなみに仕事中は、集中するために音楽を一切かけないという。

 

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