兵庫県神戸市兵庫区は、写真の専門学校に通っていた頃によく歩いた土地だ。あれから20年、僕自身の環境や立場などの変化から、物事の向き合い方や想いなどは変わってきているが、事あるごとにこの地へは足を運んでいるような気がする。兵庫区の南部はかつて、神戸の中心市街地として繁栄していたが、現在その面影はない。しかし世間一般的な神戸から想像する、海、山、そしてきれいな街並みに夜景といった印象とも違った、ここにしかない個性がある、もう一つの神戸の顔があった。
当時、写真学校の先生でもあり写真家の俊二さんから、「自分からまちに入り込み、人に声をかけて撮るように」と言われ、そんな怪しいことをしていいのかと思いながらも、意識して撮影をしていた。カメラを持って歩くこと、そこで出会った人や出来事を撮影すること、そのすべてが僕には新鮮だった。また、撮影後の暗室では現像液に浸かった印画紙に写る人の眼差しや景色に新たな発見があり、ワクワクしたのを思い出す。
プリントした写真は後日、被写体になってくれた人に届けた。写真をプリントして渡すことは、当時の僕なりの写真を撮らせてもらった人に対しての感謝の気持ちだった。そのことが身についてしまったのか、僕は今でも仕事、旅先に関係なく写真を撮らせてもらった人には、できるだけプリントして渡すことを心掛けている。
9年前にこの地で僕と同世代の三宗匠くんと麻衣さんに出会った。彼らの家の周りには、かつて南北に長く続いた商店街があり、市場などが並んでいた。彼らは、商店街の空き家にイベントスペースをつくり、人を集め、まちの魅力を伝えたり、憩いの場として提供をしていた。そのほかにも、昔から祀られていたお地蔵さんの管理を引き受け、子どもたちのために地蔵盆を行ったり、古くからあるこの地の神社で結婚式を行いたいという麻衣さんの気持ちを受け、一度断られながらも匠くんが宮司さんを説得し、何十年かぶりに神前式が行われたりもした。しかし、そんな中でも3年前に再開発が行われ、人が譲り合って行き来した狭い路地もなくなり、マンションが建ち始めた。イベントスペースも取り壊さなければならず、今もなお残っているのは、最南にあたる1本60円のホルモン屋など数軒のお店と神社だけだ。
気さくに話しかけてくれた住民や市場の人々がいなくなり、人と人の関わりから生まれる豊かさのようなものも少なくなるなかで、彼らは立ち退きなどを経験しながらも、18年住み続けている。そして現在、神社とマンションに挟まれた空き家に、再び新たな住まいとイベントスペースをつくっている。
生活や暮らしの原点、次世代に伝えたい無形の何かがあるからか、彼らはいつも新しく生まれ変わるこの地とていねいに向き合い、何らかの形で次に活かそうとしている。僕も写真を撮り始めた頃、同じように写真を通しての出会いや出来事にまっすぐ向き合い、どこか一点を見つめ写真を撮ることに希望を持っていた。今、振り返ると、写真で何かを伝えられたかといえばそうでもなく、つまずくことのほうが多かったような気がするが、今も当時のように写真を通しての出会いや発見ができていること、そして、写真を撮る仕事ができていることに感謝すべきだと彼らと出会い、交流することで気づかされた。
今回、写真を撮り始めた頃のことや、当時の写真を見返した。そして改めて純粋にシンプルに写真が撮りたいと思い、この地の人たちに声をかけて写真を撮らせてもらった。ここに写ったのは、みんなの素顔とあのときの僕の想い、そして、今も持ち続ける写真を撮ることへの希望だ。
僕にとってこの地は、写真を撮ることの初志を思い出させてくれる場所で、写真は、過去に戻れ、未来へとつなげてくれるものだと思う。初志を忘れず、これからも写真を撮りたい。