会社員として離島の環境保全や教育に携わりながら、フリーランスでライフコーチなどの活動をする白石さん。「自分の意見を言っても意味がない」と心に蓋をしていたそうですが、離島での暮らしやコーチングとの出会いを経て、自分のやりたいことに従って生きようと働き方を変えたそうです。白石さんが自分らしく生きられるようになったきっかけとは。そして、人生をかけて実現したい世界とは。お話を伺いました。
しらいし あや|地域コンサルタント・コーディネーター・ライフコーチ。1990年、西東京市生まれ。東海大学人間環境学科卒業後、大学院へ進学、西表島に移り住み離島の自然や暮らしを学ぶ。地域コンサルタントの会社に就職し、主に八重山諸島の環境保全、観光管理、地域教育に関わる。現在は時短社員として引き続き地域の環境・教育に携わりながら、フリーランスで教育事業やライフコーチとしても活動。
意見を言っても意味がない
私が何か意見をしても、「反抗するな」「その前にこれしなさい」と言われ続けました。だんだん言い返す気力もなくなってきて、「私が黙っていればすべてうまくいくんだ」と思うように。私が考えていることは意味がないし、言っても受け入れてもらえない。もし本当にやりたいことがあるなら、何も言わずに進めたほうがいいのかもしれない、と考えるようになりました。
あまり家にいたくなかったこともあって、学校にいる時間はとても楽しかったですね。活発な性格で、ずっと校庭で遊んでいました。サッカーやバスケが好きで、男女問わず友達が多くいるタイプ。小学校ではまとめ役を任されることも多く、高学年の頃は学級委員長をしていました。本当は目立つのがあまり好きではありませんでしたが、リーダー役をやれば父や先生に認めてもらえるんじゃないか、という気持ちがあったんだと思います。
学校でも先生が怒りそうな雰囲気を察したら、「静かにしよう」とみんなに伝えたり、ケンカが起こりそうなのを察して止めたり。なので先生からも頼みごとをされるなど、気に入られていました。家庭でもいつも父の機嫌を伺って過ごしていたので、常に空気を読み、周りの人が不快にならないよう自分が調整役にまわるようになっていました。みんなが喜ぶように立ち回ることで自分の居場所ができて、受け止めてもらえる。そう思っていたんです。
中学では、自分がリーダーをかって出るのではなく、何かをやろうとする人のサポートに徹するように。相変わらず調整役をやっていました。
部活はバレー部に入りましたが、グループを作って群れる女子ならではの関係性があって。自分としては居心地悪く感じて、バレー部をやめて陸上部に入り直しました。高校はハンドボール部に。生徒の仲も良くとても雰囲気の良い学校で、部活に打ち込む楽しい日々を過ごしました。
手つかずの大自然に魅了されて
私は幼い頃から、漠然と環境問題に関心があって。家族旅行で自然が多いところに行ったり、子供キャンプに参加する機会が多かった影響で、自然に触れるのが大好きでした。夏休みの宿題で、地球全体が直面している問題を知る中で、「このままでは大好きな自然がなくなってしまう。自然を守らなくちゃ」と危機感を抱いたんです。
環境問題か、部活でずっとやっていたスポーツのどちらかを学べる大学に入りたいと考えていました。ですが、父から進路についても「ここはやめておけ」「この学校も受けておけ」と指示されて。
反抗もできず、言われるがままにたくさんの大学を受験したんです。試験日程が過密になってしまい、思うように自分の力が発揮できませんでした。結果、受かるはずの学校もすべて落ちてしまって。本当に悔しかったですね。
後期日程で、環境問題が勉強できる大学に合格。自然との共生や地域活性化を学べるということで進学を決めました。入ってみると付属の高校からあがってくる子が多く、受験のためにずっと勉強を続けてきた自分とのギャップに戸惑いました。
初めはここでやっていけるのかと不安を感じましたが、次第に周りの同級生と比較をしても意味がないなと思うように。せっかく自分の関心があることを勉強できる環境に飛び込んだのだから、環境問題について徹底的に学ぼうと気持ちを入れ替えました。
大学では、実践的なカリキュラムが豊富にありました。田植えから収穫まで、1年かけて米を育てる農業体験など、実際に自分の肌で体感しながら自然環境を学ぶことができました。
受験は不本意な結果に終わりましたが、ここなら本当にやりたいことに打ち込める。「この学校に行くために他の志望校は全部落ちたんだな」と思えました。
バイトで貯めたお金で色々な地域に旅行に行ったり、自然学校でボランティアをしたり、学校の外でも自然や暮らしが学べる環境に身を置くようにしていました。そんな時、授業の一環で沖縄の西表島に行ったんです。
西表島は、島のほとんどが亜熱帯性の植物で覆われていて、海は本当にきれいなサンゴ礁が広がっています。東京では決して味わえない大自然に魅了されて。「こんなところに住んでみたい」と思うようになりました。
ありのままの離島の暮らしに惹かれた
特にやりたいことがないけれど、とりあえず待遇がいい会社に入ろうとしている友人もいて。なんでみんなと同じことをしないといけないんだろう、と違和感が拭えなかったです。
私は本当に良いと思った会社で心が動く仕事がしたいと思っていましたが、周りからは「そんな綺麗事並べていたら就職できないよ」と言われてしまう。なんとか最終面接に進んでも、限られた時間で自分の強みや個性をうまく表現できず、もどかしい気持ちになりました。
流れに身を任せて就活を続けていたものの、自分はやっぱりNPOなどの非営利組織で自然に関わる仕事がしたい。そう言っても、家族からは「お金を稼げないから」と反対されました。将来についてもう少しゆっくり考える時間が必要だと感じて就活をやめ、大学院に進むことに。
大学院では授業や研究をしながら、地方に旅行をして現地の人と話をしたり、NPOでインターンをし、様々な人と交流して、知見を広げていました。色々な人と会って話をする中で、多様な生き方、働き方があるんだと知ることができましたね。
2年の時、修士研究のため、以前授業で訪れた西表島で暮らすことになりました。こんな島に住めたらいいなと思ってから数年。実際に島での生活を体験してみると、自然と共存し生き生きと暮らす人々の姿や、子どもからお年寄りまでが当たり前に関わる日常の光景に感銘を受けました。
まず、島の人たちは「自然に生かされている」という感覚が当たり前にあるんだなと感じました。島では、山や海に食べ物を採りに行き、自然に向かって「いただきます」と言うんです。他にも自然の恩恵を受けて生活していることがたくさんあります。
東京で暮らしていると、なかなか思いが至らず、あたかも人間がこの世界の中心であるように考えてしまいがち。島の人々は、大自然に感謝しながら、大きな流れに身を任せて生活を営んでいました。こんな風に自分の命を形作るものに感謝して過ごせたら、もっと人は穏やかに生きられるだろうなと感じたんです。
それに、島の大人も子供も、すごく生き生きと暮らしているように見えました。人と人の血の通ったあたたかな交流、祭りなどの行事ではみな真剣に、全力で取り組む姿が、なんだか羨ましくもあって。忘れかけていた人としての豊かさを思い出しましたね。次第に島の人々の暮らしや文化に惹かれていきました。
大学院を卒業する頃、いよいよ就職先を決めなければいけなくなって。島で論文をまとめている中で、ある企業の名前を見かけました。調べてみると、環境保全や地域振興に取り組んでいる会社で、今いる沖縄のこのエリアでも活動していると知りました。
自分がやりたいことにも近く、大好きなこの地にも関われると思い、興味を持ってオファー。無事にそこで働けることが決まりました。
本当に地域の人のためになっているか
しかし3年くらい経ち、仕事の全体像が掴めてきた頃、徐々に決まりきった業務に疑問を感じるようになりました。会議を繰り返すばかりで、本当に何かを変えようとしているのか。周りの人たちは、「住民のために」「未来のために」という志を持って向き合っているのか。そして今自分がやっている仕事は、本当に地域のため未来のためになっているのか。そうではなく、業務をやりきるための仕事になっているんじゃないか。だんだん分からなくなりました。
転職も考えていた頃、沖縄支店へ異動になりました。「自分は何のために、誰のために仕事をしているんだろう……」そんなモヤモヤを感じていたものの、環境を変えれば何か変わるんじゃないかと期待を抱えながら、沖縄の石垣島へ。
再び離島で暮らせる喜びはありましたが、東京で抱いていた違和感は拭えないまま。それでも、やりいがいある重要な仕事に携わらせていただき、地域で懸命に頑張る方たちに出会うと「一緒に頑張りたい」「私が頑張らないと困る人がいる」という一心でとにかく働き続けました。
無我夢中で目の前の仕事に向き合っていましたが、自分一人でできることには限界がありました。「こうしたらいいのに、なんでやらないんだろう」と思っても、今の立場では実現できないことも多い。
うまく進まないことも多く、自分の思いが伝えられないことに歯がゆさも感じました。このままではダメだ、と焦りましたね。
初めて自分の心の声に従った
それまで私は、親や先生、友人、仕事仲間など、ずっと周りの人の顔色をうかがって、どうしたら人のためになるか、だけを考えて生きてきました。幼い頃に感じた「私が意見を出すと周りに迷惑がかかるから、押し殺さないといけない」という気持ちが、心のどこかに染み付いていたんです。
私自身がどう生きたいのか。どんな社会にしたいのか。気づけば自分の心の声に耳を傾けずに生きるのが当たり前になっていて。仲間からの一言を受けて、実は私にも「こうしたい」という強い思いがあったんだと、少しほっとしました。
不満を並べるだけじゃなくて、自分の理想を叶えるためにアクションを起こせているのか。このまま自分の心に蓋をしていては、しんどいままじゃないか。そう思いました。それまでは、私が頑張らないとみんなが困るから、と勝手に思い込みがむしゃらに働き続けていました。でも、自分が疲弊してまで「誰かのために」とやることは、結果的に誰のためにもなっていないなと思ったんです。自分が本当にやりたいと思えることをやっていくために、ここで働き方を変えてみようと決心がついたのです。
決意を固めてから、6年間働いた会社での雇用形態を変えてもらいたいと直談判。正社員をやめ、時短社員となり引き続き注力したい業務を担当させて頂けることになりました。
志でつながる社会をつくる
以前の私のように、自分の意見を周りに言えず、心に蓋をしてしまっている人、忙しさでそれに気付けない人は意外と多いと感じます。芽生えた違和感をそのままにして、愚痴を言いながら働く社会は、本当に生きづらい。だから、私が人生をかけて成し遂げたいのは、一人ひとりが自信と志を持って生きられる社会の実現です。そのためにも、社会全体の仕組みを変える。そして、個人の意識を変える。この両面から取り組んでいきたいと考えています。
たとえば、離島の子どもたちが自分の地域や社会課題とのつながりを学ぶための取り組みを進めています。離島には自分たちが生まれ育ったふるさとの豊かな自然や文化に気づかないまま、島から出て行ってしまう人もいます。それではあまりにももったいない。恵まれた環境への理解を深め、子どもたちが成長してからも島に関わってもらえる仕組みが作れたらと思っています。また、離島はたくさんの素敵なものが残っている一方で、抱える課題も多くあるので、そこにどう向き合うか考えるきっかけになるといいなと思い、授業のプログラムなどを作っていますね。
それから、大人から子供まで多世代がつながる場所を作ることもしていきたいと思っています。親と先生だけが自分の規範、常識になってしまうことはとても怖いなと思うんです。それが当たり前になると、その狭い世界に適応できない時にものすごく苦しくなり、他人を責めてしまう。
だからこそ、幼い頃から多様な視点を取り入れる機会があれば、自分の価値観を広げられるし、辛くなった時の逃げ場を見つけられるし、「もっと自分らしく生きていいんだ」と自信もつきやすくなると思うんです。学校だけが教育の現場ではありません。もっと地域や社会全体で子供たちの成長を見守っていけたらいいなと感じています。地域と学校をつなぐ取り組みに携わっているのも、この想いからです。
大人たちにとっても、子供と関わる機会が増えることで、未来を見据えて生きられるようになるとも思っています。「今の子供たちが大人になった時に誇れる社会であるか?」。そんな長期的な視点を持って、目の前の仕事や生き方に志や熱意を持って、真剣に取り組む大人が増えれば嬉しいです。
フリーランスとしては、コーチングの活動も本格的に始めました。自信がない人や、仕事をがむしゃらに頑張って自分を見失っている人に、立ち止まって自分を見つめ直す機会を提供し、もっと自分のやりたいを表現して良いんだよと伝えたいと思っています。
私の理想は、自分に自信をもって、自分の人生を歩み、ありのままに生きられる世界。違和感や葛藤を我慢しながら生きるのではなく、もっとみんなが「やりたい」「楽しい」「それいいね」という気持ちや志で繋がったら素敵な社会になると思うんです。そんな社会を作るため、力を尽くしていきたいです。