住宅が立ち並ぶ東京都台東区東上野の静かな路地空間。メッキ工場をリノベーションした2棟の建物が向かい合わせとなる『ゆくい堂』と『ROUTE BOOKS』を中心としたこの場所、「ROUTE COMMON」では、人々が出会うことで日々、新しいなにかが始まっている。
重い扉を開けると現れる、静かなるカオスな世界。
入口は決して入りやすい雰囲気ではない。緑の植物にあふれていながらも、どちらかというとそっけない印象。それでも、路地と建物のただならぬ佇まいに後押しされて重い扉を開けると、なんとも心地よい“自由の風”が吹いている。
東京都台東区東上野でおもしろくうごめいている場の母体となっているのが『ゆくい堂』という工務店だ。「ROUTE89 BLDG.」と呼ばれる建物に、工房と事務所を構えていて、主に住宅や店舗のリノベーションを行っている。その向かいにあるのは、『ゆくい堂』が運営する『ROUTE BOOKS』という2階建ての本屋兼カフェ。店内は植物だらけで、ところどころに置かれたテーブルで、読書や仕事、打ち合わせなど、それぞれが自由に過ごしている。2階へと上がってみると、土をこねたり、ろくろを回したりする人がいるから、ちょっと驚く。2階の一角は陶芸教室にもなっているのだ。かと思うと、隣のテーブルでは英会話教室が始まり、しばらくするとギターの音が心地よく空間を満たした。この場所ではギター教室やアロマ教室、ライブだって行われる。これだけ聞くとなんともカオスな状態だけど、それはあまりにも自然に起こるので、むしろ心地よい。
さらに、土曜日になると工房の軒先には、野菜を売るマルシェが立つ。通りがかりの人たちが足を止めて世間話をするその奥では、木工ワークショップが開催される。『ゆくい堂』の現場で出た廃材を自由に使用でき、必要があれば機械の使い方を教えてもらうこともできる。自分の好きなものを製作できるこのワークショップ、なんと無料だ。「材料はうちで出た不用物で、かかるのは電気代ぐらい。だったら徹底して無料でやろうと思ったんです」と笑うのは、『ゆくい堂』の代表・丸野信次郎さん。『ROUTE BOOKS』に来たらワークショップの存在を知り、おもしろいと思った人が、その翌週あたりにまた来てくれればいいというスタンスだ。
気づいたら毎日何かが行われているものの、ホームページやSNSで逐一告知されているわけではない。『ゆくい堂』や『ROUTE BOOKS』、そしてこの場所全体のことを指す「ROUTE COMMON」で起きていることは、来て、見て、興味をもってからではないと、どういうところなのか、そこでなにが起こっているのかがわからないのだ。
「でも、だからこそ、自発的にいろいろなことをやりたい人が集まって、コミュニティらしきものになっていったのかもしれませんね。ぼくはおもしろいと思ったことを形にしているだけで、そういう場所を意図的につくろうと思ったことはまったくないですけれど」と、丸野さんは振り返る。興味をもって訪れた人たちが出会って、話をすると、この場所でやりたいことが見えてくる。試行錯誤して形にすると、また違う人がやってきて……。じわりじわりとその輪は今も広がり続けている。
変わることを前提に、場所はつくられていく。
こうした場所のつくり方は、『ゆくい堂』がリノベーション物件を手がける方法とよく似ている。家をつくるのだってライブ感が大切。以前、リノベーション予定の建物内で、カーペットを剥がしたときに、いい感じの木材が出てきたことがあった。「予定にはなかったけれど使いませんか」と、現場でお客さんに相談。生の声を反映してこそいいものができる。
ところが下請けとして物件に関わっていたら、直接お客さんに提案することなく「設計図にないことだから」とはねのけられてしまう。丸野さんが1999年に立ち上げた『ゆくい堂』は、下請けの仕事を多くやっていた時期もあったが、リーマンショックの後、施工の仕事が減っていくなか、仕事のあり方を再確認し、強い意志をもって下請けの仕事を撤廃。今のスタイルを確立した。
以前の拠点だった浅草から東上野へ引っ越したのは2015年のこと。当初、借りていたのは「ROUTE89 BLDG.」だけで、1階を工房、2階を事務所、3階をものづくりのアトリエにして、4階はシェアオフィスにする予定だった。「住宅街とはいえ、上野は美術館も大学もある文化的な土地。シェアオフィスではなく本屋にしたほうがおもしろい人が集まってくるんじゃないかと思ったんです。だとしたら、植物があふれるくつろぐ場にしたいし、コーヒーやビールが飲めるようにしたい」とやはりその時々に合わせて柔軟に考え、判断することで『ROUTE BOOKS』は生まれた。
それは網を張って待っている感覚だったという。日々変化していく様子を見た東京藝術大学の学生から、展覧会をやらせてほしいとの申し出や、写真展の開催希望の話もあり、すぐ開催した。「そろそろ4階で本屋をやるのは限界かなと思ったタイミングで、向かいの空きビルが使えるようになったんです。また、『ROUTE BOOKS』をライブ会場として使うこともあったので、生ピアノがあるといいなあと思ったとき、調律師の吉川さんが現れたんです」。丸野さんはうれしそうに話す。
吉川満之さんは、近くの音楽大学に勤める調律師だ。幼いころ母親から買ってもらった思い出のアップライトのピアノを誰かに使ってもらいたいと思っていたときに、丸野さんから声がかかった。現在では「来るたびにお母ちゃんに会えるようでうれしいですよ」という吉川さんの手によって、『ROUTE BOOKS』のピアノはたびたび調律を施され、製造から60年たった今も可憐な音を響かせている。
木工ワークショップが3年ほど前に生まれたのも、ニーズを感じたからだと、発案者で『ゆくい堂』で家具職人として働く国部優介さんは振り返る。「もともとは廃材をテイクフリーで置いていたんです。何に使うかを聞いてみたら家で棚をつくると。だったら、この場所でワークショップをやってつくればいいと思ったんです」。
こうしてつくられた場所からにじみでる世界観や価値観に共鳴して人は集まってくる。そしてその人たちによって、場所の特性はつくられると丸野さんは考える。「僕がやっていることは、おもしろい人が来るきっかけを生むという意味で、“人の編集”をしているのかもしれません。それ以外は、ほったらかしにしています。コミュニティは、つくるものじゃなくて、勝手に形になっていくものだと思うから。ちょっと前までは、ここはコミュニティじゃないと思っていたけど、ぼくの知らないところでも新しい物事が生まれていて、もしかしたらそういう一面もあるのかな、と少し思ったりもします」。
家も場所も住んでから、使ってからが完成形。季節や人にあわせて、今も「ROUTE COMMON」の全体にちょこちょこ手を入れているという丸野さんは、「実はさっきも……」とうれしそうに報告する。こうして日々変わり、新しいことが起こり続けていくこの場所に居心地のよさを感じ、自分の場所のように好きになった人たちが、今日もまた集まってくる。これが本来の“場の編集”かもしれない。